長崎教区 秋安居(しゅあんご)

この一年の教区での大きな行事、安居が終了しました。
去年が長崎市の長崎教務所であったので、今回の依所は佐世保別院で行うことになりました。
長崎の安居は泊まり込みで3日間あります。
もちろん、それぞれが各寺の法務や留守番があったりするので、全員というわけにはいきませんが、全50ヵ寺のうち7割ほどのお寺のお坊さんが集まります。
初めて顔を合わせる人や、安居のときにしか顔を合わせない人も中にはいます。
 



講師、延塚知道師の講義も今講で一応一区切り。
さすがに三年目ということもあってか、これまでで一番の熱気を感じました。
めったに泊まり込んでまで勉強をする機会がないので、この秋安居は楽しみです。
質問も飛び交いとても有意義なすてきな講義だったとおもいます。

講題『「浄土論註」と「教行信証」』とし、計六講義で菩薩の十地と煩悩の話から、往還二回向の話に及びました。

 この長崎教区の安居は明治の後半に『夏季講習』という勉強会としてはじまりました。当時の講師は清沢満之の門下生、浩々洞のメンバーが講師にきていたそうです。それから戦後にはいって秋安居と名前を変え、大谷派の安居とは違った独自のスタイルで行ってきたようです。講師にはその当時の重鎮と言われる人たちが来られていたようです。
金子大栄・曽我量深・暁烏敏・安田理深などなどの諸師が何年か交代で入れ替わりながら長崎までお話にきていたといわれています。いまや長崎教区の伝統となっています。

安田先生は、「曽我さんから言われました。君は長崎に行ってください。あそこは全員が威儀をただして墨袈裟を着て講義を聞きにきます。」と言われてきたんです。ということを言っていたそうです。




この時期になると、各寺の住職・若院・役僧・坊守がそれぞれ万障繰り合わせて三日間の安居で膝を突き合わせ、勉強にお酒(?)に、修行に励みます。




台所では朝・昼・晩の三食婦人会の方に作っていただきました。ありがとうございました。

荘厳の華とお華足も門徒の方につくっていただきました。ありがとうございます。

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1組 育成員学習会 公開講座

運動不足解消のために時津から自転車をこぐこと約35分。

『行こか戻ろか思案橋』をわたり、繁華街を尻目にその横の坂道をあがるとそのお寺はあります。
公共機関を使うとすると、どこまで乗ってもいまだに一律100円という市民の足、チンチン電車にのって繁華街へ向かいます。するとその路線の終点は『正覚寺前』です。
長崎では正覚寺といえば『あー、あの正覚寺下の正覚寺ね』と答えるぐらいネームバリューがある真宗仏光寺派のお寺です。



正覚寺は長崎でも各宗合わせても最古参の仏光寺派のお寺です。
長崎は江戸時代以前の古い寺が残っていません。そのほとんどが江戸期以降に造られたものです。
なぜ長崎には古い寺院がないのかというと、一説には、ほとんどの寺院がキリシタンの焼き討ちにあったとも云われています。



今日はここで1組 育成員学習会 公開講座、善導大師の『観経疎』、六字釈の勉強会です。







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光西寺住職継職法要

今日は雲仙市愛野町にある長崎教区第1組光西寺の宗祖親鸞聖人の750回御遠忌お待ち受け法要です。昨日は住職継職法要があり、昨日・今日の二日間、賑々しく勤まっています。
今日は二日目。





あさから稚児行堂、まず本道の周りをお稚児さんのかっこうをした子供たちがお母さんやお父さんに手を引かれて歩きます。
本堂の周りの後は本堂の中を一回りしておしまいです。
楽人さんも一緒です。音楽入りの行堂です。





午後は、お待ち受け法要です。
満堂の中で賑々しく勤まりました。








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御流罪の地をたずねて =長崎教区児童教化連盟in居多ヶ浜==

長崎教区の児童教化連盟の研修旅行で新潟に行って来ました!
総勢40人の大人数です。

子どもたちを親鸞聖人の御刑地に連れて行こうという企画を立てて2年越しの旅行だそうです。

<初日>
まずは初日は朝8:00に長崎空港に集合。

飛行機に乗ってひとまず東京へ






そこからバスで目指すは新潟、妙高高原。




 子どもたちの元気さに圧倒されながら、この日は暗くなる前に東本願寺青少年センターに到着。





初めてみる自分の背丈より高く積もった雪に興奮気味のようで、ついたら荷物を置くより先に雪合戦開始。この日はお夕事を済ませ、食事をし次の日に具えます。
それにしても、明日からの天気が心配。

ー2日目ー

<朝>
あいにくの雨。
本降りに近い降り方です。
お朝事と朝ご飯をたべて、さっそくスキーウエアに着替えて妙高のスキー場に行きました。
ほとんどの人が初めてのスキーです。

雪質は「全然良くない」ということですが、これだけ雪が積もっているのを見るのが初めての子どもたちのはには関係なかったようです。



さすがに子どもたちはおぼえが早い、最初は転んでいましたが、午後にはスイスイとゲレンデを滑って降りていきました。



<夜>
明日の御旧跡巡りはウォークラリー形式で旧跡を回ります。ということでチーム分けを前日に分けました。




−3日目ー



今日はこの旅の一番の目的、親鸞聖人の御流罪の地居多ヶ浜付近の旧跡を巡ります。
この日は天気がよく、快晴。
歩くと徐々に汗ばむほどの熱さ。
昨日とうってかわっての気温差。




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彼岸会 in東本願寺長崎教会

だんだん春らしくなって来ました。
今日の長崎はずいぶん暖かかった。
しかし、まだまだ油断できません。

ということで9日・10日と筑後町にある長崎教会の彼岸会に行って来ました。
長崎教会といっても、キリスト教の教会ではありません。
正式には東本願寺長崎教会といいます。その敷地内に長崎教務所があり、長崎教区ではこの教務所と佐世保別院とで中心的な役割を担っています。

長崎教会の建物は以前、NHK長崎放送局の上にある26聖人処刑の地のモニュメントがある場所にありました。
それが原爆投下後GHQの方針により、現在の場所に移りました。
その後、その場所に原爆でなくなった身元の解らない人々のお骨が沢山運ばれてきました。
それ以来、毎月9日と8月9日は原爆法要、原爆定例として勤まってきました。
参詣者の高齢化や原爆の記憶の風化、非核非戦の碑や定例の知名度の低さ、高齢者にはキツい何段もの階段を上る立地の悪さなどもあってでしょうか、わたしも彼岸会には初めて参詣しましたが、人はまばらです。それでも毎月お参りに行くと、足しげく通い聞法している門徒の姿に頭が下がります。


9日は毎月、原爆定例として、『非核非戦法要』が行われていています。
今回の彼岸会の講師は雪の浦・真光寺住職 武宮勲師でした。
仏説無量寿経の中にある『嘆仏偈』の文(真宗聖典p13)

 假令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔

たとい、身をもろもろの苦毒の中に止るとも、
我が行、精進にして 忍びて終に悔いじ。


を引用してお話しされました。

    >>萬行寺 春期彼岸会のあんない
  >>萬行寺HPに戻る

仏華講習会 in西光寺

年に一回の長崎教区仏華講習会です。
去年の依所は萬行寺でしたが、今年は第1組、福田の西光寺で行われました。

今回は各家庭のお内仏の華をいけました。
お寺の仏華は花瓶(かひん)が大きく、特殊なものですが、各家庭で自分でも出来る仏華のたて方はそれぞれの仏壇の大きさに合わせて工夫をすることが必要だと思います。



大谷派の仏華は池坊の立華を基本としています。
立華の場合はそれぞれの枝ぶりの出どころを見せるもののようですが、仏華の場合は見えないように立てるようです。
水際の立ち上がりの具合もすっきりしていて、奥行きがり、バランスまとまった仏華でした。

佐世保別院/子ども報恩講の準備

今日は佐世保別院に行って来ました。
夕方、自分たちのお寺の法務をすませた後、夜な夜な人が集まり子ども報恩講の準備が進められています。
今日は人形劇の準備です。
背景画や人形の制作をやっていました。





 この「子ども報恩講」は、毎年長崎各寺の日曜学校や保育園幼稚園の子どもが集まり、佐世保別院で勤められています。
                 @Daisetsu

組門徒総代一泊研修 in北九州〜下関

10月に入りました。10月と11月は例年通りだと忙しい月です。
今月の皮切りは声明講習と組門徒総代一泊研修。下関までいってきました。
まずの目的地は九州国立博物館の本願寺展。

博物館


博物館2


エスカレータ


その後は下関へ移動。宿泊。

バスから関門橋がみえる


次の日は妙行人、おかる同行の郷、六連島と唐戸市場へ。
バスに乗り込み

船に揺られること約20分。
船の上1


関門海峡近くに浮かぶ島六連島へ到着。
到着


六連島読書は人口 159人 面積 0.69km 世帯 42世帯 周囲 3.90kmの小さな島。

おかるさんの菩提寺、浄土真宗本願寺派 西教寺で勤行。
勤行

この日は住職さんが出張中だったのでみんなでおかる同行について取材したビデオを鑑賞しました。

そのあと西教寺の前で記念撮影
記念撮影


いい天気です。



さあ、もう戻る時間です。


この辺りは海の交通の要所。大きいタンカーが行ったり来たり。




関門大橋を観ながら瓦ソバをいただきました。





唐戸市場で買い物
市場

下関はふぐが有名ですね。







一路長崎へ

声明講習 in佐世保別院

とうとう10月になりました。
更新が遅れております。



昨日今日と佐世保別院で「声明講習会」がありました。
講習風景


久しぶりに電車に乗って佐世保まで。
電車


長崎から約1時間半電車に揺られて到着。
別院





おまけ



                              大攝

非核非戦の一日

晴れ蝉たちが力一杯鳴いて今日も賑やかな一日だ。
8月9日に雨が降ったという記憶はない。
きっと62年前の今日も同じような、うだるような猛暑だったのでしょう。


11時2分、鐘をつく。 それ!国豊安民 兵戈無用  正覚大音響流十方!←これ梵鐘の銘

そんな暑さの中、長崎教務所において「非核非戦 -共に生きよ-」というテーマで法要が厳修されました。



62年前に焼き尽くされた荒野に横たわっていた身元のわからない遺骨。一説には二万人とも、三万人ともいわれるおびただしい数の遺骨は、当時の門徒たちの手で長崎市内のいたるところから長崎教務所に集められ、非核非戦の碑の中に納められています。







その碑の前で勤行。

その後本堂で阿弥陀経を読授。




 その中で、6月に就任したばかりの教務所長が表白を読みあげました。
「思うに核兵器の出現は、人間の無明の闇を露呈した知性の悲劇であります。我々は今、寂(ひそか)に「非核非戦」と呼びかけられ、「※兵戈無用(ひょうがむよう)の世界に共に生きよ」との災死者の叫びを、この時代のただ中で能(よ)く聞き開くべきであります。
 今日の人間の危機は物欲の尽きることのない自我に迷わされて仏智を疑い、帰依三宝の生活を失ったことにあります。この危機に気付く時は、今を措いてありません。願わくは、相共に聞法精進して、本願のまことを聞思する御同朋御同行の僧伽(さんが)が形成されんことを仏祖の威徳を讃え、敬って申し上げます。」
                ※兵隊や武器を持っていても、戦が起こらないので用をなさない状態。
講師は、第二組真連寺住職の寺本温氏。



寺本氏は講題を『善としての平和から真の平和へ』とし、「自分を善とし、他を悪と思う独善の知恵が迷いであって、その迷いに気付かない平和主義が、人間の無明の闇をますます深くしている。
みな平和を願っているが、事実は自らが建てた平和を善とし、その平和を脅かすものに対しては悪と決めつけ、徹底的に攻撃する。こうして我々の自我を中心とした罪福信、
が最終的には原爆を落さしめることとなった。」というお話がありました。

62年前の夏は蝉さえも鳴かない猛烈な夏だったと伝えられています。累々と広がる悲しみに満ちた荒野の中で、名もなき遺骨の主達は何を見、何を感じたのでしょうか。
原発、大臣の失言、政治不信、格差社会、環境破壊・・・・・。そんな行き場を失ったかのような今日の状況を思えば、今まさに非核非戦の碑に刻まれた銘が、真実に「共に生きよ」と我々に獅子吼しているのでしょう。



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秋安居in長崎教務所

読書6月3日・4日・5日の三日は長崎教区の秋安居(しゅあんご)です。
安居とは、いわゆる修行です。

見る釈尊の時代には、雨期になると外に出て修行が出来ないために、雨期のあいだは晴耕雨読、道場にこもって修行をしていたことに由来しているという話です。


内容は講義が中心でお勤めの稽古や座談などがあります。

長崎の安居は全国の教区でも珍しいらしく、全寺の住職・若院・役僧・坊守・老僧の有教師者(僧侶の資格を持っている人)がこの日のために、スケジュール調整をして3日間泊まり込みで修行します。
さすがに三日間もお寺を空けるわけにはいかないので、実際はほとんどの場合、坊守が留守番になります。
萬行寺もこの三日間は、葬式以外の全ての法務をお休みにし、4人揃って参加しました。

 去年までは佐世保にある別院で行われていましたが、今年から長崎と佐世保と交互でおこなうことになり、今年は教務所での開催になりました。

講師は去年に引き続き、大谷大学教授の延塚知道師です。
三年かかって『浄土論』と『浄土論註』を中心に講義があります。
今年の講題は『浄土論註と教行信証』でした。



長崎の安居はかつては、曽我量深、金子大栄などのそうそうたる先生方が講義をされたらしく、
昔から、一年のうちでも報恩講とともに大きな行事として位置づけられています。



朝のお勤め



二日目と三日目は楽入り法要。
お経があがりました。



今年は総勢4〜50名ほどでしょうか。例年よりも今年は、若手の僧分が多く参加していたようです。


「非核非戦」の碑って知ってますか?





門徒の方の家にお参りに行くと、たまに61年前の夏の話を聞くことがあります。
「原爆が落ちた時に家族は長崎市内に住んどったとですよ。ちょうどそん時はわたしは長崎ば離れとったもんですから、自分だけ助かってしもうた。なんか申し訳なくて・・・でも、家族はどこでどうやって死んでしまったかわからんとですよ、今となっては探しようがなかですけんね。残念です。」
これはあるおばあさんの話です。
その時に長崎教務所の境内地に建っている「非核非戦の碑」のことを話すことがありました。
その方は、いまでも毎月そこで法要が行われていることを知ってとても驚かれていました。
それから、たびたびそういった話が出るたびにそのことを話すのですが、どれほどの方がその碑のことを知っているのかとおもい、このブログを書いてみようと思い立ちました。


長崎駅前に程近い筑後町、真宗大谷派長崎教務所の境内地に原子爆弾でなくなられた身元のわからない一万体とも二万体ともいわれるお骨が入っている『非核非戦の碑』があります。
そのよこには”共に生きよ”との碑文も刻まれています。
長崎教務所では毎月9日には原爆定例として、法要が勤まっています。この61年間勤められています。
8/9には原爆法要としては一年で一番おもい法要が勤まります。
毎月の法要に訪れるひとはほんの僅かですが、なかには必ず毎月お参りに来る方もいます。
かつて”焦土”と化した長崎の町の記憶は、人々の中で、遠い過去のことになりつつあります。
そんな記憶を忘却するかのように、近年では「二度と過ちは繰り返さない」と世界に誓った憲法を改訂し、また戦争の出来る国に退転しつつあるように思えてなりません。

この国がまた同じ過ちを繰り返すかもしれないこの時代に、「非核非戦」という言葉がどれほど、この現代という”闇”を照らしているか、そのことを私たちは今一度、他人事ではなく、自分の生活の中にあって、そのことを深く考えなおさなければいけないのではなでしょうか。





その碑の隣には次の縁起文が刻まれています。

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