彼岸会 in東本願寺長崎教会

だんだん春らしくなって来ました。
今日の長崎はずいぶん暖かかった。
しかし、まだまだ油断できません。

ということで9日・10日と筑後町にある長崎教会の彼岸会に行って来ました。
長崎教会といっても、キリスト教の教会ではありません。
正式には東本願寺長崎教会といいます。その敷地内に長崎教務所があり、長崎教区ではこの教務所と佐世保別院とで中心的な役割を担っています。

長崎教会の建物は以前、NHK長崎放送局の上にある26聖人処刑の地のモニュメントがある場所にありました。
それが原爆投下後GHQの方針により、現在の場所に移りました。
その後、その場所に原爆でなくなった身元の解らない人々のお骨が沢山運ばれてきました。
それ以来、毎月9日と8月9日は原爆法要、原爆定例として勤まってきました。
参詣者の高齢化や原爆の記憶の風化、非核非戦の碑や定例の知名度の低さ、高齢者にはキツい何段もの階段を上る立地の悪さなどもあってでしょうか、わたしも彼岸会には初めて参詣しましたが、人はまばらです。それでも毎月お参りに行くと、足しげく通い聞法している門徒の姿に頭が下がります。


9日は毎月、原爆定例として、『非核非戦法要』が行われていています。
今回の彼岸会の講師は雪の浦・真光寺住職 武宮勲師でした。
仏説無量寿経の中にある『嘆仏偈』の文(真宗聖典p13)

 假令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔

たとい、身をもろもろの苦毒の中に止るとも、
我が行、精進にして 忍びて終に悔いじ。


を引用してお話しされました。

    >>萬行寺 春期彼岸会のあんない
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仏華講習会 in西光寺

年に一回の長崎教区仏華講習会です。
去年の依所は萬行寺でしたが、今年は第1組、福田の西光寺で行われました。

今回は各家庭のお内仏の華をいけました。
お寺の仏華は花瓶(かひん)が大きく、特殊なものですが、各家庭で自分でも出来る仏華のたて方はそれぞれの仏壇の大きさに合わせて工夫をすることが必要だと思います。



大谷派の仏華は池坊の立華を基本としています。
立華の場合はそれぞれの枝ぶりの出どころを見せるもののようですが、仏華の場合は見えないように立てるようです。
水際の立ち上がりの具合もすっきりしていて、奥行きがり、バランスまとまった仏華でした。

佐世保別院/子ども報恩講の準備

今日は佐世保別院に行って来ました。
夕方、自分たちのお寺の法務をすませた後、夜な夜な人が集まり子ども報恩講の準備が進められています。
今日は人形劇の準備です。
背景画や人形の制作をやっていました。





 この「子ども報恩講」は、毎年長崎各寺の日曜学校や保育園幼稚園の子どもが集まり、佐世保別院で勤められています。
                 @Daisetsu

組門徒総代一泊研修 in北九州〜下関

10月に入りました。10月と11月は例年通りだと忙しい月です。
今月の皮切りは声明講習と組門徒総代一泊研修。下関までいってきました。
まずの目的地は九州国立博物館の本願寺展。

博物館


博物館2


エスカレータ


その後は下関へ移動。宿泊。

バスから関門橋がみえる


次の日は妙行人、おかる同行の郷、六連島と唐戸市場へ。
バスに乗り込み

船に揺られること約20分。
船の上1


関門海峡近くに浮かぶ島六連島へ到着。
到着


六連島読書は人口 159人 面積 0.69km 世帯 42世帯 周囲 3.90kmの小さな島。

おかるさんの菩提寺、浄土真宗本願寺派 西教寺で勤行。
勤行

この日は住職さんが出張中だったのでみんなでおかる同行について取材したビデオを鑑賞しました。

そのあと西教寺の前で記念撮影
記念撮影


いい天気です。



さあ、もう戻る時間です。


この辺りは海の交通の要所。大きいタンカーが行ったり来たり。




関門大橋を観ながら瓦ソバをいただきました。





唐戸市場で買い物
市場

下関はふぐが有名ですね。







一路長崎へ

声明講習 in佐世保別院

とうとう10月になりました。
更新が遅れております。



昨日今日と佐世保別院で「声明講習会」がありました。
講習風景


久しぶりに電車に乗って佐世保まで。
電車


長崎から約1時間半電車に揺られて到着。
別院





おまけ



                              大攝

非核非戦の一日

晴れ蝉たちが力一杯鳴いて今日も賑やかな一日だ。
8月9日に雨が降ったという記憶はない。
きっと62年前の今日も同じような、うだるような猛暑だったのでしょう。


11時2分、鐘をつく。 それ!国豊安民 兵戈無用  正覚大音響流十方!←これ梵鐘の銘

そんな暑さの中、長崎教務所において「非核非戦 -共に生きよ-」というテーマで法要が厳修されました。



62年前に焼き尽くされた荒野に横たわっていた身元のわからない遺骨。一説には二万人とも、三万人ともいわれるおびただしい数の遺骨は、当時の門徒たちの手で長崎市内のいたるところから長崎教務所に集められ、非核非戦の碑の中に納められています。







その碑の前で勤行。

その後本堂で阿弥陀経を読授。




 その中で、6月に就任したばかりの教務所長が表白を読みあげました。
「思うに核兵器の出現は、人間の無明の闇を露呈した知性の悲劇であります。我々は今、寂(ひそか)に「非核非戦」と呼びかけられ、「※兵戈無用(ひょうがむよう)の世界に共に生きよ」との災死者の叫びを、この時代のただ中で能(よ)く聞き開くべきであります。
 今日の人間の危機は物欲の尽きることのない自我に迷わされて仏智を疑い、帰依三宝の生活を失ったことにあります。この危機に気付く時は、今を措いてありません。願わくは、相共に聞法精進して、本願のまことを聞思する御同朋御同行の僧伽(さんが)が形成されんことを仏祖の威徳を讃え、敬って申し上げます。」
                ※兵隊や武器を持っていても、戦が起こらないので用をなさない状態。
講師は、第二組真連寺住職の寺本温氏。



寺本氏は講題を『善としての平和から真の平和へ』とし、「自分を善とし、他を悪と思う独善の知恵が迷いであって、その迷いに気付かない平和主義が、人間の無明の闇をますます深くしている。
みな平和を願っているが、事実は自らが建てた平和を善とし、その平和を脅かすものに対しては悪と決めつけ、徹底的に攻撃する。こうして我々の自我を中心とした罪福信、
が最終的には原爆を落さしめることとなった。」というお話がありました。

62年前の夏は蝉さえも鳴かない猛烈な夏だったと伝えられています。累々と広がる悲しみに満ちた荒野の中で、名もなき遺骨の主達は何を見、何を感じたのでしょうか。
原発、大臣の失言、政治不信、格差社会、環境破壊・・・・・。そんな行き場を失ったかのような今日の状況を思えば、今まさに非核非戦の碑に刻まれた銘が、真実に「共に生きよ」と我々に獅子吼しているのでしょう。



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秋安居in長崎教務所

読書6月3日・4日・5日の三日は長崎教区の秋安居(しゅあんご)です。
安居とは、いわゆる修行です。

見る釈尊の時代には、雨期になると外に出て修行が出来ないために、雨期のあいだは晴耕雨読、道場にこもって修行をしていたことに由来しているという話です。


内容は講義が中心でお勤めの稽古や座談などがあります。

長崎の安居は全国の教区でも珍しいらしく、全寺の住職・若院・役僧・坊守・老僧の有教師者(僧侶の資格を持っている人)がこの日のために、スケジュール調整をして3日間泊まり込みで修行します。
さすがに三日間もお寺を空けるわけにはいかないので、実際はほとんどの場合、坊守が留守番になります。
萬行寺もこの三日間は、葬式以外の全ての法務をお休みにし、4人揃って参加しました。

 去年までは佐世保にある別院で行われていましたが、今年から長崎と佐世保と交互でおこなうことになり、今年は教務所での開催になりました。

講師は去年に引き続き、大谷大学教授の延塚知道師です。
三年かかって『浄土論』と『浄土論註』を中心に講義があります。
今年の講題は『浄土論註と教行信証』でした。



長崎の安居はかつては、曽我量深、金子大栄などのそうそうたる先生方が講義をされたらしく、
昔から、一年のうちでも報恩講とともに大きな行事として位置づけられています。



朝のお勤め



二日目と三日目は楽入り法要。
お経があがりました。



今年は総勢4〜50名ほどでしょうか。例年よりも今年は、若手の僧分が多く参加していたようです。


「非核非戦」の碑って知ってますか?





門徒の方の家にお参りに行くと、たまに61年前の夏の話を聞くことがあります。
「原爆が落ちた時に家族は長崎市内に住んどったとですよ。ちょうどそん時はわたしは長崎ば離れとったもんですから、自分だけ助かってしもうた。なんか申し訳なくて・・・でも、家族はどこでどうやって死んでしまったかわからんとですよ、今となっては探しようがなかですけんね。残念です。」
これはあるおばあさんの話です。
その時に長崎教務所の境内地に建っている「非核非戦の碑」のことを話すことがありました。
その方は、いまでも毎月そこで法要が行われていることを知ってとても驚かれていました。
それから、たびたびそういった話が出るたびにそのことを話すのですが、どれほどの方がその碑のことを知っているのかとおもい、このブログを書いてみようと思い立ちました。


長崎駅前に程近い筑後町、真宗大谷派長崎教務所の境内地に原子爆弾でなくなられた身元のわからない一万体とも二万体ともいわれるお骨が入っている『非核非戦の碑』があります。
そのよこには”共に生きよ”との碑文も刻まれています。
長崎教務所では毎月9日には原爆定例として、法要が勤まっています。この61年間勤められています。
8/9には原爆法要としては一年で一番おもい法要が勤まります。
毎月の法要に訪れるひとはほんの僅かですが、なかには必ず毎月お参りに来る方もいます。
かつて”焦土”と化した長崎の町の記憶は、人々の中で、遠い過去のことになりつつあります。
そんな記憶を忘却するかのように、近年では「二度と過ちは繰り返さない」と世界に誓った憲法を改訂し、また戦争の出来る国に退転しつつあるように思えてなりません。

この国がまた同じ過ちを繰り返すかもしれないこの時代に、「非核非戦」という言葉がどれほど、この現代という”闇”を照らしているか、そのことを私たちは今一度、他人事ではなく、自分の生活の中にあって、そのことを深く考えなおさなければいけないのではなでしょうか。





その碑の隣には次の縁起文が刻まれています。

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仏華講習会in萬行寺

長崎教区の仏華講習会がありました。花
この講習会は年に一回行われ、今年は萬行寺が依所でした。
読書10ヵ寺、約90名の門徒と住職や若院、役僧が集まり、仏華の基礎的なことなどを中心にした講義がありました。


先生が実際目の前で生けながら説明するという形式で、朝9時半から16時まで講義がありました。
賑やかに「ああでもない、こうでもない」といいつつ、いままで自分がやってきたやり方とは違う様子を見て疑問に思う人や、いくつも質問をする人もいました。
なかには自分の華をいけることに夢中になって、先生の華を見ていない人も一部いましたが、そのほかの皆さんは思ったよりも簡単にいける先生の様子と、出来上がった華をみて熱心に見て研究していました。
講義の後、実際に自分たちでいけてみて、それを先生に見てもらい、よくないところを手直ししてもらいました。中には一部始終メモをとっている人もいました。

賑やかな一日でした。

御流罪の地を尋ねて



3月5日〜7日の3日間。親鸞聖人が流罪になられた地にいってきました。

親鸞聖人上陸の地、居多ヶ浜からスタートし、いくつかの御旧跡を尋ねてきました。
その日の天候は荒れていましたが、どうしてもその浜を見たくて、飛ばされそうになりながらも、少しだけその空気に触れてきました。

聖人の求道生活は、この流罪によって、より実践的になったのではないかといわれています。
だから真宗大谷派では、ただの流罪ではなく『御流罪』だといいます。
私はその浜の空気に触れ、聖人の御苦労を想像していましたら、その浜から上がったところに記念堂があり、そこに金子大栄先生の”念仏発祥の地”の碑がありました。
そこを現在守っておられるおばあちゃんの話を聞き、確かに聖人の念仏が今に至るまで、この地にも響いているのだと、荒れた波と風の音に聞いてきました。
                             役僧 林田

原爆定例会、学習会。

きょうは「靖国問題を学ぶ住職・組門徒合同学習会」にいきました。場所は長崎教務所です。
講師は熊本教区、山田寺住職、湯浅成幸師。

-前半-

終始して、真宗門徒の信心の問題を中心に靖国問題をみるという話でした。
<青はテキスト引用>
わたしたちは真宗の門徒の家が宗教という因習的な姿になっているように理解していたのです。ところが靖国問題が出てきたことによって、真宗門徒だと思っていたものの化けの皮が剥がれて正体が見えた。真宗門徒だと思っていたけれど、実際は全部神道だったのです。念仏を称えているような顔だけど、意識は神道だったんだ。靖国問題によって門徒の実態が見えたのです。ところがそういう問題が教化の問題として具体的に消化されなかったのです。 そこではじめて本当に我々は真宗門徒なのか、ということが靖国問題などに問われてくる。

靖国問題は、政治的問題・思想/歴史観・宗教観と多様にあるが、大事なのは、真宗門徒にとって信心とは何なのかということを問題にしない限り話にならない。われわれは親鸞聖人のいわれた仏道から靖国を見ていかなければいけない。そういう意味で念仏が我々の中に血肉化していない。そういう反省と、真宗の本来化へのうごきから同朋運動が始まっていく。しかし実際は、靖国問題は一つの社会問題として出てきましたが、それが一か寺一か寺の寺の門徒の心に入らなかった。社会問題というだけで受け止められて、門徒の意識が実際には真宗という名の神道に過ぎなかったんだ、そういうところに気がつかなかったのです。
報恩講はそういった迷っている自身をあきらかにするもの、それが信心。信心を語れなかったことを語る場。
靖国問題は結局、信仰の問題として土俵に上がらなかった。だから靖国問題は宗門本来化への糸口にならなかったのではないでしょうか。
同和問題は、一言でいうと、真宗大谷派に親鸞聖人はおいでになるかどうかどうかという問いかけです。



-後半は主に”罪”について、王法と仏法とのちがいについてでした。

罪には表面化する罪(身業・口業)と表面化しない罪(意業)がある。
表面化しない罪(意業)は口に出さなければ、世間では罪に問われることはない。しかし親鸞聖人が阿弥陀如来の本願に逢って見えてきた罪悪観は、凡夫、人間に生まれたことの意味ががわからないという世間では問われようのない罪悪観だった。人々の苦しみや悩みが親鸞聖人にとって生活の真っ只中に浄土の門を開いていく入り口となっていった。
親鸞には紫の衣も金襴の袈裟もなかった。文学博士の称号も天にそびえる殿堂もなかった。親鸞にあったのは、貧困と流罪と念仏と愚禿だけであった。この問いかけにどこまで答えられるでしょうか。

◯真宗にとって”寺”とは念仏道場である。


-感想-
この日の帰りに、駅前の本屋で竹中智秀先生の本を見つけたました。帯には「阿弥陀如来の国か、天皇の国か」と書かれてありました。
これこそが今日問題になった「信心の問題」ではないかとおもいます。
阿弥陀如来の国に生まれたいと念仏しながら、実際は政治がつくりあげた現人神を崇めている。浄土に生まれることを願う念仏者が、阿弥陀如来の国ではなく、国家の「柱」として「礎」になり、犠牲(=いけにえ)になるそんな時代の足音が近づいているように思います。
戦争は戦争の顔をしてやってこない。そうおもいます。
しかし、かつて大谷派も舵取りを間違い、大切な念仏者を戦地に送ってしまった時代があります。
だからこそ、靖国問題は宗門にとって欠かすことにできないピンチをチャンスに変える私たち一人一人にとっての大事な信心回復の運動なのだと改めて感じました。
                              大攝

無事、帰山


京都へいってきました。

一年間続けてきた「推進員養成講座」の締めくくりは、真宗本廟。
ぼくはスタッフとして参加。
24日から27日までまでの3泊4日。

帰敬式・清掃奉仕などをし、本廟の本尊の前で推進員としての誓いをたてました。




それから東本願寺の中もいろいろと見せていただいた。
本願寺の歴史に初めて触れ、そのふかさに驚き、みんな思った以上に楽しそうだった。
来て良かったと思った。


最終日には聖人のご苦労をしのび、比叡山にも登り、門徒の人たちと行ったはじめての記念すべき本廟参詣でした。
                            大攝