九州教学研究所長崎分室公開講座


二日間の公開講座です。
講師は幡谷明師。
回向についての講義でした。

序講は回向の歴史的背景から始まって、法然上人の回向から親鸞聖人の回向の了解をお話しくださいました。
内容は多岐にわたり大部で、話が次々に展開していくのでついていけないところもありました。
回向ということは、浄土真宗という仏道のなかで、最も根幹をなす事ではないかと思います。

幡谷先生は、法然上人は浄土真宗を親鸞聖人に託され、上人の示された如来回向へ展開された。
その回向の系譜が教行信証の後序にもあらわれているし、天親・曇鸞の祖師から二字をもらった親鸞という名前がそれを物語っているとも話されました。

あいにく二日目はお葬式が出来たために途中で退座し、最後まで聞くことは出来ませんでした。


講義には、門徒さんも来られていました。

雅楽の稽古

今月の24・25日にアメリカのバークレー別院から門徒さんが12人ほど萬行寺にやってきます。
門徒と言っても、みんな中学生や高校生で、ほとんどが日系の何世かになる人たちのようです。
どれほど日本語が出来るのかもわかりませんが、交流のために雅楽を演奏してもらおうということで、教区の雅楽隊、自然相和会(/じねんそうわかい)に演奏をお願いしました。
今日はそのための稽古です。








長崎教区 秋安居

長崎教区の安居が終了しました。


毎年6月の雨の多い時期になると、長崎教区では3日間泊まり込んで、おおよそ教区内ほとんどの僧分が安居(あんご)に集います。安居(あんご)とは、釈尊の遺弟たちが農閑期になると、信者たちが農作業で忙しく働くことから、その時期に弟子たちが一つの場所に集まって集中的に釈尊の教えを学んだという故事から、現在も伝統されている仏事です。
 今回は例年になく、3日とも参修者が多く連日本堂内は満堂の状態で満講をむかえました。

これから長崎教区秋安居では、三年間池田勇諦師にご出講いただくことになっています。
今回の講題は『「証文類」に浄土真宗を学ぶ』でした。
1、なぜ教釈を読み、学するのか
2、「教行信証」はなぜ書かれなければならなかったのか
3、愚禿の名告り
4、願生と得生
という順番に講義がありました。
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 崎教区の安居は70年以上昔、西坂(現在の長崎駅前の26聖人殉教の地)に長崎教務所があった時代に『夏期講習会』として始まりました。
夏になると、教区内の住職や若院。あるいは法務員が柳行李を担いで、暁烏敏、金子大榮、曽我量深などの浩々洞(こうこうどう)の諸師方のお話をききにきていたそうです。
この伝統が受け継がれ、現在の筑後町に教務所が移転しても相変わらず浩々洞出身の先生方はおいでになられました。
曽我量深先生が昭和45年までおいでになられ、昭和46年に御遷化なさいました。
その頃、長崎教区で『秋安居/しゅあんご』という名前で呼ぶようになりました。
現在では、佐世保別院で毎年行われています。
 来は、安居というのは、本講の先生がおいでになってお話しするものですが、長崎の場合は、そういう先生方をお呼びせず、聴講したいと思う先生方においでいただいていますから、いわば純粋な安居ではありません。
本講の先生方を呼ぼうという声もありましたが、初心を忘れず現在でも「夏期講習会」のスタイルをとっています。




かも、曽我先生は安田先生にこういわれたたそうです。「安田君、あなたは、長崎に行ってみなさい。長崎の皆さんは、威儀正しく墨袈裟を掛けて正座をしているんだ。そこにあなたは行ってくださいといわれてきておるのだ。」そう安田先生からお聞きしました。
 非常に素朴な受け止め方をしている。我々が墨袈裟を掛けていることを曽我先生も、安田先生も非常に大切にしておられた。
       住職談



大衆供養のお勤めをします。この日は教区内の門徒も参加します。
一年のうちにこれだけの僧分が集まってお勤めするのは、この日だけです。



夕食も一同一緒にいただきます。
朝・昼・夕食ともに婦人会の方達が3日間つくってくださいました。本当にありがとうございました。




その後は講義が続きます。

長崎分室

今日は長崎分室の6月定例です。
昨日に引き続き、浄土論注の『女人及根欠 二乗種不生』の部分を学習しました。
いろいろな意見が交わされました。
さて、いよいよ8日から3日間。泊まりがけでの安居が始まります。
明日の午後からは長崎教区の事業「日曜学校巡回」です。

1組育成員学習会公開講座

タイトルを見ると漢字ばっかり。。。
見る今日は長崎教区第1組の育成員学習会の公開講座です。
いったい何を育成するのかと、疑問があることでしょう。これは宗門の中に『推進員』と呼ばれるよばれる門徒の人たちがいます。
これは積極的にお寺の行事へ参加し、門徒教化を僧分では出来ない細やかな仕事や、親鸞聖人の教え、そして念仏者を育てる相続の仕事を担っていただく門徒のことです。

その推進員を責任もって育成する委員会のことです。
今日はその委員会の公開講座です。

これまで、善導大師の『観経疎/かんぎょうしょ』を学んできました。
その

今回は曇鸞大師『浄土論注』の「女人及根欠 二乗種不生」をテーマに教学研究所の研究員・  師にご講義いただきました。

この文は非常に難しい部分で、浄土論注を読み進める中で一つの難所と言っても過言ではないところだとおもいます。
差別の問題や性の問題など、人間社会を営んでいく中で必ずおこってくる問題を直視してとらえた部分であるがゆえに慎重に理解していくことが求められるところです。


 

第一組 若婦人研修会in萬行寺



今日は長崎教区第1組の若婦人研修会です。
第1組の房守・若房守・門徒を中心に毎年会所を移して婦人部の研修会が行われています。
今年の研修会は萬行寺です。
1組は長崎、諫早、島原にまたがってお寺がありますので、一番遠くは島原から来られた人もいます。にもかかわらず80名ほどの参加がありました。



本堂は満堂です。

まずお勤めをした後、住職の法話がありました。
昼食を食べた後、午後からは各班に分かれての座談会をしました。
活発に意見がかわされていました。



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九州教学研究所 長崎分室定例会

長崎分室の定例会です。

長崎分室では、曇鸞大師の『浄土論註』を研究しています。

浄土論註とは、親鸞という名前が示しているように、天親(世親)の浄土論を受けて、曇鸞の浄土論註へと受け継がれた浄土教の根幹をなす重要な必読の書物といわれています。

今は、なにが書いてあるのかさっぱり解らないというぐらい大変難解な書物だな、と感じています。しかし、それも繰り返し読むうちに、その味わい深さが解ってくることだろうと思います。

今回は、荘厳雨功徳成就(しょうごんうくどくじょうじゅ)というところからです。

偶願洞と送別会

よくきくセリフですが、春は別れの季節でもあり、出会いの季節でもあります。

今日は偶願洞の学習会の後、西光寺の役僧さんの後藤さんの送別会でした。
遠くは川棚からもかけつけてくれました。
珍しく大入りです。
愛されてるな〜。後藤君!
長い間、ご苦労さまでした。

後藤さんは、姫路のお寺に入寺されるそうです。拍手
ツキナミな言葉ですが、互いに頑張っていきましょう。
Good Luck!

ちなみに次回でこれまで勉強してきた『御消息集』は一区切りを迎えます。
そこで、当面は来年の長崎教区の『ご遠忌おまちうけ』に向けて、同朋会運動について勉強していこうじゃないかということが、提案され、一応は承認されたようです。
企画会では、同朋会運動についてどのような形で勉強会を行っていこうかと思案していた最中でしたので、その提案はおまちうけ企画会のメンバーとしては、大変ありがたい言葉でした。

ということで、偶願洞も近々、リニューアルです。
教区内の皆さんぜひとも偶願洞に参加よろしくお願いいたします!



仏華講習会 in 西光寺

講師:大熊千景師

『ご遠忌』にあたっての仏華      役僧:三澤教悟

今回の仏華講習会は、先生が説明・解説をしながら華を立てる様子を見学するという形でした。
まず「真/しん」・「受/うけ」・「扣枝/ひかえ」の幹造り。そしてそこに松葉を一つひとつ取り付けていきました。
幹造りでは、「真」・「受」・「扣枝」の出どころや、相互関係を説明してくれました。
付葉では「真」・「受」・「扣枝」の順に幹に松の小枝を挿し込んでいかれました。ここでも付葉の大きさ・バランス、そしてどの方向から見ても自然らしい形になるように作り上げていかれました。
その後、「副/そえ」「流枝/ながし」と続き、嶺を表現する「正真/しょうしん」には若松を使用。正真の前の滝を表現するところには枇杷の大葉、「胴内/どううち」には真・副・体の3本の菊。岳を表現する「胴」には伊吹を使っていました。
水の流れを表す「草道/くさみち」には菊を使用し、正真から受内、胴内・扣枝上(ひかえうえ)草留めへと続けて用いることを説明していただきました。



時間をかけ、一つの「役枝/やくえだ」の配置の説明やバランス、そして扱いと作り方の善悪で仏華の出来、不出来に影響する「あしらい」の大切さなどを懇切丁寧にお教えいただきました。
最後に仏華を立てるにあたって、一つの気のゆるみも許されず、役枝・あしらいが一つも疎かにできない、非常に奥深いものであると実感させられた講習会でした。

かくれ念仏の地を訪ねて

私は18日・19日の二日間長崎教区第一組の総代研修で“かくれ念仏“の歴史を学ぶために鹿児島へ行きました。
300年という一人の人間の一生ではとても量れない程の長い時間弾圧を受けてきた薩摩藩の念仏者たち。
その残忍な拷問に耐えてまで守り続けたものは何だったのか、また、命を懸けて伝えてくださった念仏の淳(あつ)さを、少しでも身に感じられればと思い参加させていただきました。
実際、家の柱を削ってその中にご本尊を安置(?)していたり、大人が4.5人入ると狭苦しいような洞穴を山の中につくり、そこにご本尊を安置していました。そのご本尊は現在見たならば買い替えることを勧めたくなるようなほどボロボロでしたが、そこには長い長い歴史を感じずにはいられませんでした。それらは今を念仏のご縁にして生きる我々に、単に信念の強さや信念に生きることの大切さを教えるものではないと思えます。
300年という長い時間弾圧に耐えてきたのは、大切なものを後に伝えるためでも仲間を守るためでもなく、どんな目にあわされようとも捨てることのできない“信”に行ききったからではないかと私は感じました。
その信が真なればこそ後を生きる者も、その確かなものに触れようとするのでしょう。
一人ひとりの信念がどれほど強くて立派なものでも2代3代先までは続かないのではないでしょうか。300年という長い時間は個人的な信念が伝わり広がるような時間ではありません。
個人を超えた“信”がその一人ひとりを生かし続けてきた事実が歴史となったのではないでしょうか。

         萬行寺役僧:林田信也

組門徒会研修 in 鹿児島

今日から2日間の日程で一組の門徒会は鹿児島に研修にいきます。
われわれは住職もいないので、その間留守を守ります。

去年は下関に行きましたが、今年は鹿児島です。



鹿児島には「かくれ念仏」があります。

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Wikipediaより転載ー

隠れ念仏(かくれねんぶつ)は、権力から禁止された浄土真宗(一向宗)の信仰を、権力の目から逃れて信仰すること、或いはそれを行う者や集団を指す。
南九州の旧薩摩藩や旧人吉藩では、三百年にわたり浄土真宗が弾圧されたため、これらの信仰形態の名残が見られる。
また、神道と習合してカヤカベ教のような秘密宗教も派生したが、基本的には本願寺教団に属し、浄土真宗の主流の教えを守る者をいう。東北の隠し念仏は別物と考えられる。

弾圧の始まり
浄土真宗禁制に乗り出したのは人吉藩(相良氏)の方が早く、弘治元年(1555年)に遡る。この年、相良晴広は分国法「相良氏法度」に、一向宗(浄土真宗)の禁止を追加した。薩摩藩は慶長2年(1597年)である。加賀一向一揆や石山合戦の実情が伝えられ、一向宗が大名によって恐れられたのが原因と考えられる。
また、島津家による公式の禁止令は慶長2年の4年後にあたる慶長6年(1601年)に出されている。これは慶長4年(1599年)日向国において庄内の乱が勃発、この首謀者である伊集院忠真の父・忠棟が熱心な一向宗徒という説があり、乱後に改めて正式に一向宗が禁止されたのはこのことが大いに影響しているものという説がある。
以後両藩に於いては約300年にわたり禁制が続けられた。

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萬行寺からは役僧さんの林田君と門徒会員4名が参加しています。
どんなレポートをしてくれるでしょうか。
それではレポートを期待しましょう。

児童教化連盟会議

今日は夕方から会議でした。

日曜学校の巡回の話です。
長崎教区は大谷派の全国にある各教区の中でも二番目に小さい教区です。めずらしく一県一教区です。さらに地域を3地区に分けると、萬行寺は長崎教区第1組(“いちくみ”とは読まず、“だいいっそ”と読みます。)になります。長崎市内を中心に諫早と島原までを第1組、第2組は外海地区、第3組は佐世保から東彼杵にかけてとなっています。
この3つの地区の中で、第1組が一番大きくて範囲も広く、寺院数は22ヵ寺です。そのなかで日曜学校を行っているお寺が少ないということから、集中的に児童教化をしていこうということになりました。
もちろん地域事情やお寺の事情によって出来ないところや行わないところ、それから教科活動の重点が違う等の諸条件はありますが、志のあるところには、各寺院が力を合わせてバックアップしようとうことになりました。
そこで、連盟では第1組の土曜学校・日曜学校のない寺院を中心に、各月ごとにそれぞれのお寺を巡回しながら土・日曜学校を行っていこうということになりました。
そこで初回は4月11日。清水町のにある照圓寺(しょうえんじ)で行うことにしました。

お子さんがおられる方はぜひお子さんを連れておいで来くださっててもけっこうですよ。