長崎教区巡回子ども会 in海蔵寺

夏休みが始まり、子どもたちは待望の夏休みで解放感いっぱいです。

今日は、賑やかに日曜学校のこどもたちと野母崎までドライブ。
そうです今回巡回子ども会でおじゃまする長崎教区第1組 海蔵寺(ながさききょうくだいいっそ かいぞうじ)は野母崎の突端、海の見えるところにあります。
長崎教区の寺院一覧

今回でようやく8回目。予定している寺院を全部回ろうとすれば、二年ほどかかります。それでも毎回楽しみにくる子どももありますのでやっている回があるように思います。
少しずつではありますが、子どもの数も安定化してきました。今のところ極端に少ないということもありませんが、極端に多いということもありません。
地道に続けて行けばいいのではないでしょうか。面白いと思えば子どもたちは友達を連れていきたいと思うでしょうし、そうでなければ集まらないとも思います。
この事業は長崎教区の事業となっていますが、集まるおおよそのお寺の子どもたちが長崎市内の子どもたちなので、必然的に第一組の集まりのようになっています。
しかしそれも長崎市内の寺院には、幼稚園や保育園を運営している寺院が少ないこともあり、日曜学校や子供会などを行っていない寺院が多行ことも事実です。またはかつては行っていたけれども、辞めてしまったり、お休みにしたそのままになっているところもあるようです。そのようなことから長崎市内の寺院を中心に寺院を回って児童教化を行うことにしました。

ゆくゆくは他の地区のお寺にも伺って、子供会を開く予定もあります。また、学校が休みの期間に遠い寺院に足を伸ばしてみようかという話も出ています。





8月には時津の先野自然公園でキャンプがあります。それにあわせての歌の練習もしました。指導は和音先生です。





今日は海遊び。天気が良くて海の冷たさが気持ちいい。



大はしゃぎです。結局びしょぬれになってしまいました。



蓮如上人御命日/今月の遇願洞

毎月25日は蓮如上人の御命日で、和讃についての法話をおこなっています。役僧さんと若院で月交代で法話があがっています。和讃ときくと何やら難しいお話のように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
どうぞみなさんお気軽に御参詣ください。

今日の法話は、若院です。
和讃は
弥陀の大悲ふかければ
仏智不思議をあらわして
変成男子の願をたて
女人成仏ちかいたり

でした。




夕方6:00からは若手が中心の学習会、遇願洞(ぐがんどう)です。


お待ち受け大会の要であった愚願洞は、お待ち受け大会の実行委員会が発足し、大会が終わっても帰敬式のことを中心にずっと粘り強く真宗同朋会運動について学んでいます。

全く手のつけどころのない学習だと感じたこともありましたが、毎回いろんな人から意見が出てくるうちに少しずつではありますが、同朋会運動の問題点やなぜこの運動を展開することになったのかが自分たちが立っている状況から少しずつ見えてくるような気がしています。

集まってくるメンバーも固定的になって来ていますが、それでも集まってくる人それぞれが何か「このままでいいのか」という漠然とした不満や不安を抱えています。
一体それがなんなのかが解らないところがまたもどかしいのですが、それでも毎月教務所に集まって何か話すたびにそれぞれが現在の状態をどう捉えているのか解ってくるような気がします。

また、何が問題なのかが解らないということが「危機意識」であるにもかかわらず、そのことに関して意識が低いということも呆然とした不安の中に立たされ得ている原因ではないかと感じます。

真宗同朋会運動は宗門全体が時代の変化、それから宗門自体の失態や失政などから必然的に危機意識が高まって来たと言えるようですが、時代が変わって私たちの時代は危機意識が見えないという”漠然としている”という危機の中にいるようです。

長崎教区秋安居 今日で終了です。



長かったこの3日間も過ぎてしまえばあっという間です。

今回は聴講をなるべくしっかり聞こうとお酒も控えました。
それでも3日間座りっぱなしは体にこたえましたが、まじめに学習したと思います。

この安居は長崎教区の毎年の恒例行事になっています。
来年も池田先生にきたいただくことになっています。

長崎教区秋安居 中日

6:30 起床
    掃除
7:00 勤行
    法話
8:00 朝食
9:00 講義1

二日目の朝の講義は、


午後からは大衆供養。門徒さんもたくさん集まります。



総勢約60名の僧分による阿弥陀経の大合唱です。


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講義ノート(忘備録)

鵺、難思議往生道に立つ

必至滅土の願
難思議往生の願

真宗聖典p470
この阿弥陀如来の往相回向の選択本願をみたてまつるなり。これを難思議往生ともうす。これをこころえて他力には義なきを義とすとしるべし。


滅土に至ることを往生という
正定聚に住することを往生という
           →仏になれる身に定まるを「正定聚」というなり。『一念多念文意』

真宗聖典p235 
 「即得往生」というは、「即」は、すなわちという、ときをへず、日をもへだてぬなり。また即は、つくという。そのくらいにさだまりつくということばなり。「得」はうべきことを得たりという。真実信心をうれば、すなわち無碍光仏の御こころのうちに摂取して、すてたまわざるなり。


救済=すくい→往生
自証=さとり→成仏

成仏・・・・因位=道程
  ・・・・到達面

不体失往生ーー念仏往生の機(正定聚)
体失往生ーーー第19願の往生の機

『2006年 安居講録』p103
五趣八難の迷いの道を超えるということが、即得往生である。そして住不退転ということは、必ず(中略)現生に十種の益を獲ることであると解釈せられたといっていい(中略)「即得往生、住不退転」ということを「横五趣八難の道」「必獲現生十種の益」とあらわされたのであります。


現在の往生の歩みが「臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」真宗聖典p250となる。

仏教は「死後観」ではなく「死観」。私にとって「死」とはなにかと問うもの。「死観」がわかるから”生きる”ということが解る。
死んだらどうなるかをいわず。
死に様の善し悪しをいわず。
死に際の来迎をいわず。

(散)

長崎教区 秋安居開筵/あんごかいえん



今日から3日間佐世保別院に泊まり込んでの修行です。この修行は安居と呼ばれ、墨袈裟をかけて長崎教区内のほとんどの僧分が集まります。

講義は去年に引き続き池田勇諦師です。講題は「証文類に浄土真宗を学ぶ その2」となっていて、池田先生は3年間ご講師をお願いしています。今年は2年目になり、来年も引き続き来ていただくことになっています。




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<ウィキペディアより転載>
安居(あんご)は、それまで個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、一カ所に集まって集団で修行すること。及び、その期間の事を指す。
また、法臘は夏安居に参加するごとにひとつ増えるとされた。

<仏教界での用例>
安居とは元々、梵語の雨期を日本語に訳したものである。
本来の目的は雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)をやめて一カ所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐ事である。後に雨期のある夏に行う事から、夏安居(げあんご)、雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。
釈尊在世中より始められたとされ、その後、仏教の伝来と共に中国や日本に伝わり、夏だけでなく冬も行うようになり(冬安居)、安居の回数が僧侶の仏教界での経験を指すようになり、その後の昇進の基準になるなど、非常に重要視された。
現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居に入る結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域から一歩も外を出ずに修行に明け暮れる。

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 70年以上昔、西坂に長崎教務所があった時代です。夏になりますと、教区内の皆さんが集まって、暁烏先生、金子先生、曽我先生等、浩々洞(こうこうどう)の主力メンバーの方々においでいただいて、夏期講習会というのがあっていたようです。

長崎には、向学心のある先輩方が沢山おられ、寺も恵まれていた点もあったからでしょうか、浩々洞に学ばれた方がおられたようです。その様な方の力もあり、先ほどの先生方がおいでになっておられたようです。この伝統が受け継がれまして、今の筑後町の教務所に移りましてからも続けられ、柳行李を担いで、当時の方々は筑後町のあの石段を登って、その夏期講習会に来ておられました。その後、相変わらず浩々洞出身の先生方はおいでになって、私の記憶にありますのは、曽我先生が昭和45年までおいでになりまして、昭和46年に御遷化なさいました。その頃から、秋安居という名前で呼ぶようになりました。

 実は、安居というのは、本講の先生がおいでになってお話しするのが本当であるが、長崎の場合は、そういう先生方をお呼びせず、聴講したいと思う先生方においでいただいていたから、純粋な安居ではありません。本講の先生方を呼ぼうという声もありましたが、初心を忘れず、夏期講習会のスタイルをとっています。

長崎教区 子ども会巡回

長崎教区では、各月で長崎市内の真宗大谷派のお寺を巡回方式で子供会を開いています。どなたでも参加できます。どうぞお越し下さい。

今月の子ども会巡回は、長崎教区第1組・長崎市式見町にある浄満寺(じょうまんじ)で行いました。

このお寺は山門が新しくなりました。去年には住職さんも新しくなりました。

「住職一年生です。」のご挨拶。


お話は淨滿寺のご住職。『いのちのまつり―「ヌチヌグスージ」』という絵本を読み聞かせてくださいました。




「ぼうやにいのちをくれた人は誰ね〜?」
「それは・・・・お父さんとお母さん?」
「そうだねぇ。いのちをくれた人をご先祖さまって言うんだよ。」
「ねぇ、おばあさん。ぼくのご先祖さまって何人いるの?」
コウちゃんは指をおって数えてみることにしました。すると・・・・・。


みんな熱心に聞いていました。途中の飛び出す絵本のようにご先祖さんが増えていくところなんかは「うわ!すごい!」と素直な反応をしめしいていました。



お話のあとはちょっとしたゲームで遊んだあとは、本堂いっぱいの巨大双六をしました。前回もやってはみたものの「改良の余地あり」で再びリベンジしてみました。


今月の遇願洞

帰敬式実践運動伝達講習会にておこなわれた柘植闡英師の『帰敬式について―帰依三宝の行儀―』という講義録を輪読しました。


A>帰敬式を受式していただくために、門徒さんにはいろいろな話をする。しかしおおよその人は死んでからいただくものと受け手めている人がおおい。でもよくよく考えてみると、死後の名前でもいいんじゃないだろうかとふと思うこともある。浄土教は「死後往生」という概念もあるから、生きる苦しみを超えて浄土に生まれるのだから、そういう意味で言えば死後に法名をいただくということもあってもいいんじゃないだろうか。

B>「死後往生」「現生正定聚」ということについては、これまでずいぶん話してしたのできたけれど、そのこのところの扱いは非常に難しいと思う。

A>ん。そこまではあえてふれないとしても、帰敬式を薦めるとき、「法名は死んでからもらうのでは意味がない」とまではいわないけれど、それに近い言い方をしているように思う。そう聞いて生前にご縁のなかった人を送る遺族の気持ちはどうだろうかと思う。もちろん基本は生きているうちにいただくものだけれど、これまで自分は「生きる意味」とか「生きる」ということを闇雲に強調してきた。しかし、よく考えてみると「死後の往生」ということが頭の片隅にないままに話していたように思う。おおよその人が法名は死後の名前と思っている人が多いのだから、なおさらそのことはある意味で重要なポイントかもしれない。そうでなければある意味現世利益を説く典型的な現代の新興宗教と変わらないような気がするのだけれど、このことはどうだろうか。

C>あえて現世利益を強調する必要はないけれども、利益という意味では、もっと堂々と現世利益を語っていいんじゃないかと思う。現世利益和讃ということもちゃんと親鸞聖人はかいているのだから。そこで帰敬式を受式するご縁になって出発点になるならそれでいいと思う。もっと堂々と語っていいと思う。

A>もちろん曽我先生が言われているように、「信心のないものは浄土には往生できない」ということを忘れて死後往生を取り沙汰するならば、その時にいう現世利益は現生正定聚や真宗の教えとは違ったものになるだろうと思う。でも、それ以前に、もっと単純な問題として法名が死後の名前と思い込んで疑う余地のない人に、生きているうちに法名をいただきましょうということをどうやって伝えていったらいいんだろうか。

C>だから、そこのところは現世利益和讃に書いてあるようなことをいえばいいんじゃないだろうか。しかもそれをおそれずに言わなきゃね。

B>柘植闡英師のテキストには、教行信証の化身土の巻は親鸞聖人の教えを詳しく知らない人や迷信といったものに夢中になっている人たちが真宗の教えに興味を持ってもらうための聖人の親切だと書いているけれど、そう思う。だから、だからいきなり頭ごなしに「それは間違っている」「それはだめだ」などと言ってはいない。

E>もう一つは、「おそれずにいうという」ということなら、逆に新興宗教と呼ばれる人たちは堂々としてる。良いとか悪いとかは度返しにして、自分の信じることを伝えようとしている気持ちはぼくらよりも強いかもしれない。そういう意味では真宗の坊主なら真実の教えと親鸞聖人が言われているのだから、もっと自信を持って語るべきだと思う。


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E>遇願洞で真宗同朋会運動を学習しようということだけれど、自分たちは本当に同朋会運動を学ぶつもりがあるのかと思う。実際、おそろしい運動だとおもう。だって、真宗のお坊さんって言っていることとやっていることがバラバラじゃないだろうか。偉そうに言ってるけれど、自分も含めてよくこれだけのことが言えるなと思うことを平気で語ってたりする。そういう悪いところも良いところも全て表に曝け出して、みんなで考えようって言うのだから、とてもおそろしいよね。










同朋会運動50周年記念シンポジウム

今日は『同朋会運動50周年記念シンポジウム』です。
約50年前、宗門は戦後復興のなかで、今や体質化した封建体制から抜け出す試みがなされました。
この運動は今でも賛否両論ありますが、それまでの宗門の封建的体制や宗門の戦争責任問題など様々な問題を抱えながら、それらを真剣に考えなければ親鸞聖人の教えは廃れてしまうだろうという機具のもと始まりました。

来年、大谷派では宗祖親鸞聖人の750回忌を迎えます。その翌年がちょうど同朋会運動の50年にあたり、大谷派内の各教区などでも様々な取り組みがされることだろうと思います。

長崎教区でもこれまでの歩みと、総括がされる時ではないかということで、教区内のベテランがそろい、これまでの同朋会運動の流れをシンポジウム形式で語っていただきました。

児童教化連盟会議

今日は教務所にて、児童教化連盟(通称じれん)の会議です。

 毎度のことですが、長崎教区では『子供会巡回』を各月で行っています。この企画は、長崎市内にあるお寺の日曜学校を中心に各寺院を各月で巡回ししながら児童教化を図っていこうという企画です。
子ども御遠忌や報恩講のような派手な企画ではありません。派手なことをやって子供を集めることはできても、全は結局一過性で終わってしまうのは意味がないということで、地道に何年も続けていける児童教化はないものだろうかと考えて編み出されました。
まず続けるためには、無理なく集まれる条件を満たしていれば集まるのではないかということで、打ち上げ花火のような活動ではなく、淡々としていながらも続けていけるような活動は出来ないものかと考えた末に各寺院を順々に巡っていく巡回形式の子供会を立ち上げました。
皆さんもどうかご参加ください。

基本的に子供たちを中心にしていますが、狙いは子供を連れてくるお父さんやお母さんが率先して参加していただくことが一番望ましい形だと思います。それは親が子供に与えるのではなく、そもそも児童を教化するということは、親が子供に教えるのではなく、親が学ぶ場である教化が出来るかどうかにかかっていると感じます。
「教育」というのそもそもの意味は大人が子供に教えるという意味ではなく、親が子供に育てられることが本来の意味だからです。
そういう意味で、ぜひ皆さんのご参加をお待ちしております。

次の巡回は3月緑町にある法生寺です。
5月は式見の浄満寺です。

1組新年互礼会(ごれいかい)

真宗大谷派の長崎教区は組織が3つに分かれています。全部で寺院数が50カ寺ありますが、萬行寺は第1組(だいいっそ)に属しています。
1組(いっそ)に属している寺院は15カ寺あり、その範囲も教区内では一番広く、長崎市内から島原半島までとなっています。

長崎教区の場合、県で1教区となっていますが、全国でも一県一教区というのは稀。大谷派の中でも一県一教区というのは長崎教区だけです。
地域によっては一つの県に教区が3つもあるところもあったりします。長崎の門徒さんは各県に教務所があり、各県に教区があると思っておられる人が多いようです。長崎は50カ寺と小規模のために、全国でも2番目に小さい教区となっています。
寺院数が50なので、住職が50人いるわけですが、若院さんは一カ寺に一人必ずいるわけでもないので、その数はまたさらに少なくなります。
じつにその数は半分といったところでしょうか。
これだけの教区ですので、事業も大きな教区と比べたらフレキシブルに動けはしますが一人ひとりの負担が大きくなります。そのために会議の数も必然的に増えてきます。そのためにほとんど全員で行事を行わないと教区は回りません。
九州はおおよそ本願寺派(お西)の地盤といわれ、本願寺派の長崎教区は寺院数が大谷派の3倍あるそうです。大谷派の長崎教区のお隣の教区は久留米教区となっていますが、本願寺派のお隣の教区は佐賀教区となっていて、寺院数は長崎よりもずっと多く、伝統も深いと聞きます。

1月31日/1組新年互礼会

今日は夕方からホテルニュー長崎にて、長崎教区第1組、新年互礼会です。参加者は主に教区内の住職・坊守・若院・組門徒会・組婦人会の方々です。
先ずは組長あいさつから始まり、各連絡事項があり早々と飲み会に突入です。いわば新年会といったところでしょうか。

教行信証拝読の会


今年の『教行信証拝読の会』も今日で終わり、32年目の終了です。

親鸞聖人の主著である『教行信証』は大部な書物です。しかしその分、読み応えもあります。
聖人は、なんでこんなに難しい書物を書かれたのか、ふと疑問になることがあります。
しかし、どのような書物も誰かに読まれる。理解してほしいことがあるから書くものでしょう。
そう思うと、「理解できない。」「難しい」といっているこっちの態度の問題なのでは?
と思います。

まだまだこの会は続くとおもいます。みなさんもどうですか?

佐世保別院報恩講初日/子ども報恩講

昨日までの雨と寒さとは打て変わり、今日はいい天気。
さすがに11月ともなると、肌寒いですがそれでも例年になく暖かい気がします。
今日は長い間準備をしてきた子ども報恩講の当日です。


2009年_子ども報恩講

今年はインフルエンザの蔓延で人が沢山集まるところにはなるべくいかないということで参加を見合わせる人が多く、例年より少ない参集でした。
しかしそれでも400人ほどの親子が集まり、本堂は去年のように満堂になりました。大人だと400人は堂内に入りませんが、子どもだと入ってしまうところがまたすごいです。

<式次第>
同朋奉讃   弥陀成仏のこの方は
表白     
誓いの言葉  子どもの三帰依
御文     聖人一流
法話     3組 西心寺住職 近藤章師

予防のためにマスクをしている人を多く見かけます。

2009年_子ども報恩講


やっぱり子どもたちにとってはこっちの方が気になるか・・・・・。
ツリーハウスもどき

2009年_子ども報恩講
2009年_子ども報恩講
2009年_子ども報恩講
2009年_子ども報恩講

シャボン玉のブース。

2009年_子ども報恩講

こちらは壮年会の「折り紙」のコーナー。単純なことですが、毎年人気があります。

2009年_子ども報恩講

「ぁあ〜あ〜〜!!」まさにターザンになった気分?のロープウェイ。
楽しいなんて知らないか。

2009年_子ども報恩講

お昼はカレーをいただきました。婦人会が大活躍です。大きな鍋ですね。毎回おいしいカレーをありがとうございます。


2009年_子ども報恩講

人形劇が始まるよ!!本堂では3組の若手の有志による人形劇です。
今回の人形劇は『ちびくろさんぼ』。ホットケーキが見物!!



前説は近藤先生。

2009年_子ども報恩講

「ち、ち、ちびくろっさんぼ〜♫」←しばらくこの歌が耳から離れませんでした。
ずいぶん前から毎夜毎夜法務が終わって集まってきて人形作り、仕込みと稽古。毎年ご苦労様です。

2009年_子ども報恩講


      君君。残念ながらポップコーンは有料なんだなぁ。


2009年_子ども報恩講

本堂の後ろ、後堂(ごうどう)は、納骨堂に続く廊下になっていますが、その廊下には、長崎原爆資料館から借りてきた原爆の資料を展示しています。

2009年_子ども報恩講

2009年_子ども報恩講

      巨大紙相撲。はっけよい、のこった・のこった!

2009年_子ども報恩講

      毎年やってます。腕輪念珠のブース。自分で念珠を作ってみよう。

2009年_子ども報恩講

 こちらも毎年大人気のスーパーボールすくい。西光寺の門徒さんが毎年担当されています。

2009年_子ども報恩講

       飛行機。

2009年_子ども報恩講

ストローゴルフ。ストローでゴルフボールを吹いて遊びます。

2009年_子ども報恩講

<念仏相続>
子ども報恩講は、子どもたちに念仏の教えを相続する御仏事です。
実際には、こどもたちに『報恩講・報恩講』と言ってみても、その意味やを伝えることは無理でしょう。
しかし、子どもたちは、親や祖父母に連れられてその場に集い、友達や同世代の仲間と共に念仏をすることを通してなにか感じているのです。
この子ども報恩講の各ブースはかつてのお寺の賑わいを再現しようと始まったそうです。
かつてのお寺は法要があるごとに出店が軒を連ね、賑わっていた頃もあるそうです。子どもたちはそれを目当てに集まってきていました。
そして大人たちはそれをネタに「出店があるからお寺に行こう」といって、子どもたちの手を引いてお寺に参詣していました。
そのようなかつての賑わいもなくなった今では、年配の方の子どもの頃のはなしでかつての賑わいのはなしを聞くぐらいになりました。
これは本来、宿縁(仏縁)を宿善(真の念仏者)にするの大人の工夫でした。
しかし、度々思うのは、この度の子ども報恩講はただ賑々しい子どもの「イベント」になってはしないかと疑問を持つことがあるのです。
念仏させる手段であるはずのサイドメニューが、念仏や親鸞聖人という大事なことを忘れて、ただ楽しむことがメインになって、はたして法要になってるのだろうかとひそかに自己反省するのです。
 子どもたちの楽しい笑顔が見られることはとても大事なことで、また大人もそれがないと子どもをお寺に連れてくることはありません。
それにはある程度の工夫が必要です。しかしそこに大事なことは、『宗祖としての親鸞聖人に出遇う』という願いを、それを出来ようと出来まいと、どのようにして子どもたちに伝えていけるのかというまっすぐで真摯で純粋な態度のみが、私たちが思うより子ども建ちは素直に感じてくれるのではないかと感じています。
そのためにどうすべきかと考えています。