毎月28日は親鸞聖人のご命日です。

  • 2017.04.28 Friday
  • 15:09

今日は真宗婦人会の「長寿者お祝い会」も兼修。

毎年恒例の真宗婦人会の行事です。80歳になられた方のお祝い会。

まだそんな歳になった事もないので、その年の苦労はわかりません。

こんな若造に何を語れと言われるのやら・・・・・。

 

年々に

我が悲しみは深くして

いよいよ輝く

命なりけり

 

 

これは岡本太郎の母であった、岡本かの子の詩です。

なかなかいいなと思っておりまして、さすがは仏教に精通している方の歌だなと思います。

私どもは、人生は楽しんで生きる方がいいという価値観を持っております。

しかし、その一方では「楽しみしかない人生は味気がないですね」と言われたご門徒がありましたが、まさに人生が楽しみばかりで終わるような価値観しか持ち得ない人生は虚しいばかりということもわかる感覚を持っているものでしょう。

長く生きれば生きるほど、この詩のように思いのいかない事が増えるのではないかと思います。

例えば、長生きをしておられる方に「これからあなたはあと100年生きなさい」と神様から言われたとすれば、これは相当な苦行ですよね。だって長生きすれば、浦島太郎のように誰も昔の事を懐かしく語り合う相手もいなければ、ともすれば、自分の孫や子供に先立たれても、なお生きていかなければならない。これほど辛い者はないんじゃないかなと思います。そこにあるものは「苦」ですよね。死にたいと思っても死ねない。そういう「苦」でしょう。大概は死にたくないのに死んでいかなければいけないと苦しむものですが、ドラキュラの話のように死ぬのが怖いからいつまでも生き続ける。しかし、いつまで生きても生きた実感を得られないから死ぬに死にきれないで苦しむ・・・。これって、ものすごく恐ろしいことですね。

 

 まだまだ若造の年齢の私たち世代の目下の願いは、おおよそ健康だと思います。健康であれば人生を謳歌できると考えているのでしょう。朝早くから健康のためにジョギングをしたり、おおよそ「健康」と名のつくものならすぐに飛びつくと言ったような感じですね。

かくいう私も同じなのですが、やっぱり、まだまだ死にたくはないですよ。

健康であることは大事ですが、しかし人生の目的ではありません。

もちろんですが健康になるために人間に生まれたわけでもないし、健康であれば人生は幸せだと思うのならば、命の終わりには絶望しかないんじゃないかなと思います。だって命の終わりには必ず健康でなくなる日が来るのですから。

 

「苦」というのは、インドの言葉では「思いの通りにならない」という言葉なのだそうです。

ですから、思いの通りにならないということはすべて「苦」なのですね。若いうちは思いの通りに体も動くし、頭も働く。

しかし、歳をとるとそうはいかない・・・・でしょう?

だから、歳をとるということは、岡本かの子さんに言わせると、「悲しみが深くなるほど、いのちは輝く」ものだといっておられます。それは思いの至らないことが、人間を本当の人間に育てる道であるということを言っておられるのだと思います。

そして、思いの通りになるうちは、お寺はただの風景です。若い頃は大概そうではないでしょうか。

しかし、思いの行かぬ自分をいただくことができる仏縁をいただいた者ならば、お寺は人生の道場となるでしょう。

そこに、「いよいよ輝くいのちなりけり」といえる人生をいただくことができるのでしょう。

毎月25日は法然上人・蓮如上人ご命日です。

  • 2017.04.25 Tuesday
  • 08:56

今日、4月は納骨堂に加入ししている方の管理費を収めていただく日です。定例法要に参詣していただき、納めていただきます。

ちょっとした記念品ですが、伽羅の線香を少しだけお裾分け。

今日のご講師はお隣のお寺、三重町の正林寺のご住職です。

毎月25日は入れ替わりで老院と役僧さんの四人のローテーションでお話していただいていますが、4月だけはイレギュラーでご講師をお呼びしています。納骨堂加入者に限らずどなたでも参詣できますのでどうぞおいでください。

第1組 組門徒会・総代等研修会

  • 2017.04.19 Wednesday
  • 15:16

長崎の大谷派は現在50ヶ寺があります。そのうちの20ヶ寺が第一組(だいいっそ)と呼ばれるグループで、長崎市内から諫早と島原にわたって形成されています。その第一組の総代と組の門徒会の合同の研修会として熊本に研修に行きました。大型バス一台を貸し切っての研修です。この日の宿泊は阿蘇です。

 

熊本の地震によって被害を受けた本堂は相当痛んでいました。明日役員会を開いて本堂を取り壊す事になるんだそうです。

地震がなければまだまだ使える本堂なだけに残念です。

お寺の本堂は立てるのに相当な苦労がいります。何人もの住職さんが過労や心労のために命を落としたり短命に終わったりするほどの苦労があると聞いています。それだけに本堂が使えないという事態は深刻だと思います。それ以上に周りのご門徒さんの家庭にも被害があるわけですからさらに深刻です。またいつ来るかわからない地震に怯えながらの生活でもある上に、それぞれの生活の再建も絡んで複雑な人間模様。色々と悩みは複雑です。

 

熊本教務所の本堂は解体が進んでいました。天災の凄まじさを感じます。

 

萬行寺壮年白道会 花見

  • 2017.04.12 Wednesday
  • 08:50

hanami1崎野公園で壮年会の花見をしました。

今年は雨と桜の花が咲くのが遅かったために、2回の延期を余儀なくされましたが、ようやく万障がうまくいき今日の開催になりました。

おかげで天候にも恵まれ、気持ちのよい、良き花見だったと思います。

 

 

 

 

 

以前の掲示板に「散るさくら、残るさくらも 散るさくら」という良寛の句を張り出した事がありました。その事が話題となり、「今はこうしていますけれども、いつかは私も命を終えていかねければならない身であるということを思うと身につまされる思いです」と語った方がありました。そこに仏法との因縁が宿(むかし)からあったのだと知らされる。そこに「ご恩」ということが身にしみる感覚をいただく。そんな身である事を感ずる事のできるのはありがたいことだと感じました。


大変有意義な花見でした。

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釈尊降誕会

  • 2017.04.08 Saturday
  • 08:54

毎年8日はお釈迦様の誕生日です。

お寺では特別何かするわけではありませんが、わたしたち仏教徒にとっては大切な日です。

案外に花まつりって知ってる人多いんですね。

萬行寺では随分長い事やっていないんですが、(子どものころの花まつりの記憶なし。かれこれ四十年以上はやっていないはず・・・・。)

母マーヤが出産のためにカピラ城から生父はシュッドーダナ(浄飯王)、母はマーヤ(摩耶) 夫人無有樹産気づいて

 

 

()天上という木に右手をついときに右の脇から生まれ、七歩あるいて「天下唯我独尊」といったという有名な伝説があります。この右の脇から生まれたという表現は王族の生まれであったということを示しています。当時のインドには古くから伝わるヒンズー教を元にしたカーストという身分制度があり、それが根付いてきた時代でした。階級は、上からバラモン(聖職者)は頭、次のクシャトリア(王族などの権力者)は右の脇、シュードラ(平民)は腹、スードラ(奴隷)は足の裏から生まれると言われていたそうです。こういった差別ある世界に生まれたということです。釈尊はこのことから様々な言語録のなかに差別の問題に言及した言葉が数多く残っています。   

 

 

ところで、お釈迦さまの誕生日ご存知ですか? 四月八日に甘茶をかけて花まつりをしますね。これがそうです。花まつりがお釈迦さまの誕生日だったとは知らなかった、という人は多いかもしれませんね。

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