秋の永代経法要

初日   23日 日中・・・仏説無量寿経

2日目 24日 日中・・・仏説観無量寿経

3日目 25日 日中・・・仏説阿弥陀経

 

日中10:00〜12:00

逮夜19:30〜21:00


※毎月25日の法然上人・蓮如上人のご命日に行われている「おとなの寺子屋講座」は今法要のためお休みいたしました。来月は「報恩講」について皆さんと学んでいきたいと思います。

 

今回のご講師は服部忍氏(西海市西海町大多和 浄音寺住職)です。
釈尊誕生の伝説として有名な言葉『天上天下唯我独尊』を取り上げてお話しされきました。

この言葉は花まつりでもよく取りあげられる有名な言葉と説話です。

現代を生きる私達が忘れている「尊い」ということを端的に言い表しています。この言葉は様々な教典にいろんな形で表現されています。仏教にとって大事なテーマの一つです。

初日に読誦読された「仏説無量寿経」では我、この世において無常尊となるべしと表現されています。

言葉の使われ方が違う分、多少のニュアンスは違ってきますがどれも同じことを言わんとしています。

 

<法話メモ>

人間の一生を貫いているものがお経。子どもが生まれたらお寺へいって、お経いただき(初参式)をします。そして家族が命終えていくときにもそこにはお経がある。私たちの人生の節目ふしめには必ずお経がある。お経とはその悲喜交々の人生の中で真の依り処を与えてくれる。

『経』という字の成り立ちを見てもそのようになっています。

 

ものを取りに部屋に入って
何を取りに来たのか忘れて
戻ることがある
戻る途中で
ハタと思い出すことがあるが
その時はすばらしい
身体が先に
この世に出てしまったのである
その用事が何であったか
いつの日か
思い当たる時のある人は幸福である
思い出せぬまま
僕はすごすごあの世へ戻る

杉山平一という方の詩だそうです。人間だれもが、この世に意識して生まれてきた人はありません。いつの間にか気づいた時に、この世に投げ出されたように人間として生まれていたのです。

何の予備知識もないまま生まれ、果たしてここに来た用事はなんであるのか。そして何のために人間に生まれてきたのか。

それが分からないまま、一生を終えてしまうのがわたくしたちではないでしょうか。

忘れたことを思い出すように、気づいた人は、すばらしいことです。

しかし、私たちの多くはそれに気づかず、何かもやもやとした人生をおくっていくのです。

<ノート覚書>

仏陀の精神が血肉になる。

 

桃栗三年、柿八年。人は一生を尽くして何になる。

 

仏法にお育てをいただく。

独尊=その人に付加価値をつけない。

   基準を満たす必要がない。

永代供養と『永代経』 間違われやすい仏教語1

<『永代経』は『永代供養』ではありません>

 以前、お参り先で「永代経法要をお寺で行いますので、どうぞ皆さんお参りください」と案内状を一人ひとりに手渡したところ、「あ、萬行寺さんでも永代供養をやっているんですね」という返答をいただいたことがありました。

その方は「永代経法要」を「永代供養法要」といったように受け取めているようでした。

そこでわたしが「この案内状にもありますように、今回の法要は「永代経」といって、いわゆる永代供養のための法要ではないんですよ」といった趣旨のお話しますと、その方はよく分からないような顔をされました。

 また法要にお参りに来られた御門徒さんが「お寺へ永代経を納めたら先祖供養はしなくてもいいんでしょう?」と尋ねられたこともありましたし、あるいは「納骨堂がほしいのですが永代供養ありますか」などの問い合わせも時々あります。

そのような混同があることはわたしも承知しています。

永代供養についての問い合わせ内容は百人百様で、一つとして同じということはないほど様々です。

しかし根本的に永代供養と永代経は内容がまったく異なるものなのです

 

<仏様の教えを伝えていくための法要>

 仏教は「未来の人たちへの教え」と言われます。仏教の歴史に刻まれた祖師方は、未来の私たちが仏様の教えに出会って人生を成就してほしいと願っているのです。

つまり浄土真宗の独特の仏事である『永代経』とは、仏さまの教えが未来の先祖にまで末永く読み継がれていくために行う法要のことを言います。あるいは仏さまの教えを大切にいただくための法要と言ってもいいかもしれません。
 つまり、永代経をしたとしても死者の追善供養を寺院が代わりにしてくれるというわけではありません。
 浄土真宗では追善供養は行わないとよく言われることです。真宗における仏事の基本は、亡くなっていかれた方々やご先祖をご縁にして(その方をきっかけに)お経をいただく生者ための仏事です。そういったことから先に亡くなっていかれた方々をご縁とする機会が多いことから、混同されやすい真宗独特の仏教語です。

長崎教区第1組 別院報恩講団体参拝 in東本願寺佐世保別院

朝からマイクロバスに乗って佐世保別院に出発です。

別院は佐世保市の中心(島瀬町)にあり、アクセスもよく便利です。現在は周囲をビルに囲まれてしまって本堂が見えにくくなっていますが、明治に建立された当時は眺めが良かっただろうと思います。

この度の門徒会館の改修工事でマイクロバス程度ならば軽々と境内まで乗り入れることができるようになりました。これも嬉しいことです。

本堂は満員御礼。満堂の参詣者でうまっていました。お勤めも報恩講とあって緊張感が伝わってきます。

 

この日からご法話は青木玲氏(九州大谷短期大学准教授)です。

長崎教区 こども御遠忌in佐世保別院

 お寺の新年度は6月締めの7月はじまります。

いよいよ来年度から九州教区長崎組(きゅうしゅうきょうく ながさきそ)として新たなスタートをきることになります。そのことを受け、長崎教区のこれまでの歩みと九州教区長崎組としての再スタートを願い、集大成として「こども御遠忌」を行うことが現教区内にて決定し、11月3日に東本願寺佐世保別院を会場に長崎教区のこども御遠忌をお勤めしました。総勢で70名近くのご門徒方が参詣されました。

 「しんらんさまの御遠忌」親鸞さまってどんな人? と題し、コンセプトとして「子孫と参る御遠忌法要」としました。

「御遠忌」とは、50年に一回の勝縁といわれ、今回は宗祖親鸞聖人の750回目の御仏事をご縁とした集です。主に小学校のこどもを引率してくださる祖父母や親子でもお参りしていただくよう企画しました。

総勢で100名を超える参詣者で賑わいました。

 

秋の永代経法要をお勤めします。

秋の永代経法要をお勤めする時節となりました。

この度の法要は阿弥陀如来の教え、浄土の教えが説かれたお経『浄土三部経』が読まれます。
浄土三部経とは、

『仏説無量寿経/上下巻』

『仏説観無量寿経』

『仏説阿弥陀経』

以上の4巻のお経からなり、阿弥陀仏の本願が説かれた経典です。

このお経を浄土教の祖師たちより大切に読み継がれてきました。

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 ところで、浄土真宗では信者(南無阿弥陀仏とお念仏する人たち)を『檀家』とは呼ばず『門徒』と呼び習わされています。

 その「門徒」とは、お寺とそこに所属する信者が「布施をする人」と「布施を預かる人」といった寺檀関係(檀家)でつながるのではありません。

 どこまでも如来の教えを聞いていく仲間という意味があります。

 その念仏道場に集う門徒に釈尊の直説である浄土三部経が説かれるのです。そしてそのみ教えをいただいてはじめて「ああ、大切なことだ」とうなずくのでしょう。そこに真宗(真実の宗教)が興ってくるのでしょう。

 これが真宗寺院を支えてきた大きな原動力なのです。そういったことから教えを聞く者を門徒と昔から言われています。

 教えを聞くも、聞かぬも、念仏するもしないもすべて習慣です。せっかく人間に生まれたのだから、まことの人に成って欲しいと願っておられる如来のご慈悲を聴聞いたしましょう。

お寺でお待ちしております。

長崎寺スクールin正林寺(三重町)第5回

長崎には仏教青年会(略称:仏青/ぶっせい)があります。

教区としての仏青の歴史は古く、現在90代から80代の御門徒の中に”私は仏青上がりです”と自称する方も時々あるほどです。どうやら古くから「仏青」という生前で活動してきたようです。

そもそもの名前の由来はYMCA(キリスト教青年会 Young Men's Christian Association)に習って(対抗して?)「仏教青年会」と名告ったと聞いたことがあります。その後、戦後に入り原爆などの影響も大きかったともいわれていますが、当時の青年たちの間で仏教への関心が高まったと聞いています。

 それが敗戦の10年ごろより原子爆弾死没者の追徴法要を長崎教区の仏青が中心となって主催したことが火種となって、全国各地で仏教青年会が結成されるようになったと聞いています。

 

 そのような歴史の中で、「長崎寺スクール」では仏教に馴染みの薄くなった若者世代に向けた集まりです。その時代にあった教化のあり方を現在、模索中です。

まだまだ実験段階のようですが、

今回で5回目の「長崎寺スクール」は長崎市三重町にある正林寺を会場に行われました。

各回ともにテーマを設けて行なっていて、今回は「音楽と仏教と香」。雅楽や節談説法なども交えながら仏教と音楽の深い関係も紹介されました。今回はさらスペシャルゲストに「いっちゃん」こと市原鰐さんをお迎えして大いに盛り上がりました。

仏青スタッフの皆さんお疲れ様でした。

 

第5回寺スクール1インターネットで放送中の『お寺でじいん』を生で再現!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自然相和会の雅楽も披露されました。

初めて聴かれた方もあるとおもいます。「雅楽」と聞くと神社を思い浮かべる人もあるのではないかと思います。しかし、シルクロードを越えて日本に伝来した立派な仏教音楽です。

浄土の情景を表現する楽器として遥かシルクロードを越えて西行路ではヨーロッパ、極東は海を越えて日本にまで伝わった古典楽器です。
『笙(しょう)』は邦楽器では唯一和音を奏でる楽器です。その形が羽を休めている鳳凰に似ていることから、鳳笙とも呼ばれているそうです。まるでオルガンのようなやわらかい音を出し、雅楽の独特な雰囲気を醸し出すなくてはならない楽器。西行路に渡った笙はパイプオルガンの祖先とも言われています。
『龍笛(りゅうてき)』竹製で7つまたは6つの孔がある横笛。ヨーロッパに渡ったものはオーボエ等の木管楽器へと変化していったとも言われているそうです。取り扱いは簡単ですが、しっかり安定した音色を奏でられるようになるまでには少々時間がかかります。

『篳篥(ひちりき)』漆を塗った竹の縦笛で三管の中では一番小さい楽器。表側に7つ、裏側に2つの穴があり、主旋律を奏することが多く、小さいわりには音量は大きい。音域は1オクターブ程度。

 

第5回寺スクール3西光寺の指方伊織さんの節談説法も披露されました。

日本仏教の布教手段として発展した節付きの説法で浄土真宗固有の説法スタイルです。仏教に馴染みのない聴衆に伝わりやすくするために、話す文句(説教)に抑揚が付き(多くは七五調)人びとの情念に訴えかけるように工夫されたものです。現代の法話とは違い楽器なしの素語り形式で行われます。

このようにことばに抑揚をつけて行う説教は6世紀の仏教伝来以来、平安時代や鎌倉時代にも行われていたと言われています。浪曲や、講談や落語などの先祖ともいわれているそうです。

 昭和期には、説法師が真宗の寺々を旅をしながら浄土真宗の教えを説いて回ったと言われています。

大谷派では真宗同朋会運動が盛んに成るにしたがって、しだいに衰退していきましたが昨今注目され、見直されているようです。


第5回寺スクール2今回の参加者とスタッフの皆さんです。楽しいひと時でした。

たいへんおつかれさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋のお彼岸をおつとめします。

しみじみと
彼岸の人を偲ばする
大悲無倦の秋の夜の月

         金子大栄

 

今回のテーマは「亡き人に遇う 仏法に遇う」と題してお勤めいたします。

 私たちは彼岸の人を通して遇うべき教えにあわせていただきます。その中で誰もがやがて帰るべき世界のあることやその還るべき世界のある人生の豊かさを感じることでしょう。そしてまたその教えに出遇えたご縁とご恩の有り難さもあらためて味えればと思います。
いよいよ絶好の聞法の季節となりました。

どなたも有縁の方々を誘いあってぜひ彼岸会の法要に参詣ください。

 

なお、当案内状はご家族皆さんへのお知らせです。したがいましてご門徒の有無に関係なく、案内状の届いていない方々にも参詣をおすすめください。

 

ご講師:渋谷行成氏(熊本教区駐在教導 日豊教区珀明寺若院)

 

 

 

 

徳風29号 聞法道場

<講と両堂再建>

明治期、大谷派は「相続講」の結成を宗門挙げて取り組みました。この頃の日本は大きな時代の転換期にあり、これまで仏教を礎とした国策を撤廃した時代。
そのため世情は混乱を極め、仏教排斥運動も激化しました。
その最中「蛤御門の変」によって両堂を消失した宗門は徳川の後ろ盾を失っていました。さらに新政府に様々な無理難題を押し付けられた事により莫大な借財も抱えていたのです。この混迷を案じた我々の先達が「原点に帰り門徒の志によって聖人の教えを再興しよう」と発案したのが相続講です。幸いにこれが機縁となり全国の門徒の愛山護法の精神により両堂再建と莫大だった借財もほぼ返済。宗門は息をみごとに吹き返しました。こうして相続講は念仏相続を根本の願いとしながら宗門復興に絶大な力を発揮したのです。
時代は変わっても、あなたの家庭に親鸞聖人の教えが相続されているのはこの「講」のお陰なのです。
上の写真は左底講の『おふみさら御文浚い』の様子です。左底では毎年報恩講と御文浚いが行なわれます。御文浚いはお坊さんと一緒にお昼までかかって読めるところまで声に出して読みます。毎月25日の夜には聞法会を開き、お坊さんをお招きして聖人の教えに親しんでいます。

寺報 徳風 掲載記事 「毎日が報恩講」

古来より門徒は親鸞聖人の祥月命日を『報恩講』または『ごしょうき御正忌』と呼び習わし大切にお勤めしてきました。また浄土真宗は「報恩講教団」とも言われ、門徒は各家庭に至るまで皆で報恩講をお勤めするものであるとも言われています。
  その由来は、法然上人の遺言である
『没後二箇条事(もつごにかじょうのこと)』にあります。「私が亡くなった後は、追善仏事ではなく報恩仏事を行うように」という趣旨の言葉を遺され、親鸞聖人滅後の遺弟はその言葉をまもり伝えて聖人の命日を『報恩講』としました。そして今日でも全国のお寺で毎年勤められています。
この遺言にある「追善仏事」とは、旧来の日本仏教にみられる死者の冥福を祈る様な仏事のあり方です。これに対し、法然上人が示された「報恩仏事」とは、亡き人の死を通して、そこに集う者達一人ひとりが阿弥陀如来のお心に遇う事が仏事の本意であり、仏の心に適うのだと記されています。
このことによ由って浄土真宗の仏事は死者の冥福を祈るための仏事ではないと言われています。そして、毎日の仏事のすべてが親鸞聖人や亡き人を通して阿弥陀如来の教えに出遇うための報恩講であるとまで言われてきたのです。(住職記) 寺報徳風第29号より転載

真宗本廟 子ども奉仕団に参加しました。

『真宗本廟子ども奉仕団』に子どもたちと行ってきました。日本全国から総勢190名が集まりました。うち長崎からは27名。萬行寺からは3名が参加。同朋会館にて沢山の友達と一緒にお勤めや仏様のお話を聞いたりして楽しい一日を過ごしました。また、朝のお勤めの後、親鸞聖人の前で多くの人に見守られながら帰敬式を受け法名をいただきました。新たな仏弟子の誕生に感動しました。この経験は一生の思い出になることでしょう。