門徒報恩講

今晩は毎年恒例の寺の下組の報恩講です。萬行寺には各地域に「講」とよばれる門徒の寄り合い組織があります。その中の一つ、寺の下の講は、萬行寺に一番近い所に住んでいる人たちの講(集まり)のことです。萬行寺には各地域に門徒の寄り合い組織がありますが、お寺に一番近い「寺の下組」です。毎年この時期になると子どもから大人まで大勢集まり、萬行寺の庫裏のお内仏で門徒報恩講を勤めます。日頃忙しくてお寺に来れない人もこの日は集まってきます。
今回は去年よりは少なめのようでしたが、それでも50人はいると思います。萬行寺の門徒報恩講の中で一番のにぎわいを見せる寺の下組の報恩講です。

寺の下報恩講

寺の下報恩講

この報恩講は毎年萬行寺の庫裡で行われていますが、これからの少子高齢化や、現代人の生活環境が変わってきて昔のようなコミュニティが崩壊しつつある今、このような集まりが大事にされ続いてきたことは大切なことではあります。しかし、一方ではこのような形態での仏法相続がいつまで出来るのだろうかといった漠然とした不安もあります。いつまでも昔を懐かしんでばかりはいられない感じはありますが、それでも伝統されたことを守って行くのも、私たちにまかされた仕事でもあるのでしょうし、集ま人がいなくなってしまうようであればきっぱり諦めて次の問題を解決しなければお寺は時代に置いて行かれるのかもしれません。何はともあれこうして集まってくる人々のそれぞれがこの集まりを大切にして行けば続くことなのだと思います。

親鸞聖人御命日法要





毎月28日は親鸞聖人の月命日が勤まっています。

親鸞聖人の祥月命日は11月28日。真宗大谷派の帰依所である『真宗本廟/しんしゅうほんびょう』(いわゆる本山)では参詣人おおく、賑々しく法要が勤まっています。
各寺院においては、真宗門徒の勤めとして必ず勤まる定例として行われています。あなたの町の真宗寺院でも形態は様々ですが必ず勤まっているはすですよ。お気軽にお参りください。

蓮如上人御命日



今日の法話は萬行寺役僧の林田師。

今回も法話は庫裏(くり)のお内仏で行いました。、本来は礼拝堂(らいはいどう)である本堂は儀式を執り行う場所で法話等を行う場所ではなかったようです。便宜上、法要などは参詣者の数が多いこともあって本堂で行うのが通例となっていますが、本来は庫裏の役割はお斉(とき)※や勉強会、会議などを行う場所として発展してきたものでした。
教会などでも礼拝堂(れいはいどう)と修道場は別の建物になっていますので、おおよその宗教寺院はそのような形式になっているようです。

 毎月25日の蓮如上人御命日は『和讃」に触れながらお話をしています。
林田師は毎回『浄土和讃』についてお話をされています。
なるべく難しくないように、それでいて世間話になってしまわないようにするのは大変へんです。あある程度準備をして、話を組み立ててお話をしますが、そのつど参詣される方が違うので、その様子を見ながら話をすると前もって準備した通りには行きません。
明日はこんな話をしてやろうという教化者根性が頭をもたげてしまう時には聞く方と話す方がすれ違ってしまいます。両方が一体になって法は法として成り立つのです。如来の方は機法一体ともいわれ、または自利と利他が円満するともいわれ、衆生と如来は切っても切れない存在であるともいわれています。如来を離れたる衆生もなければ、衆生を離れて如来が如来たるはずもないのです。そういう道理を考えるとはなすよ方と聞く方は一体にならないと行けないのだなと感じます。


お斉(おとき)・・・・・仏事の時に出される食事。精進を基本とする。「斉」は”つつしむ”という意味で、節度ある規則正しい生活を心がけるための仏道修行の一つ。

毎月25日は定例法要(蓮如上人御命日)です。

彼岸は終わりましたが、今日も法要があります。
実質は彼岸ではありませんが、彼岸に行われる法要であることは間違いないでしょう。
ということで今日は蓮如上人御命日法要。
一般的に真宗の慣例として定例法要は前門首の御命日やその寺院の全住職の月命日に法要を勤めるとになっています。各寺院での取り組みの形態や地域性もあるので一辺倒にはいえませんが、どなたかの祥月命日や月命日に当たる日を仏法のご縁にして法座が勤まっています。
萬行寺においては『真宗再興の祖』の御命日に法座をひらいて広く真宗の教えに出会う機会をと願っております。

今日の法話は若院です。
これまで浄土和讃の中の『大経和讃』のお話をしてきました。今回の和讃は

弥陀の大悲深ければ
仏智の不思議をあらわして
変成男子の願をたて
女人成仏誓いたり


という和讃のお話でした。
この和讃には、いくつか誤解を招きやすい表現が含まれていますのでそこのところをどのようにお話をすればいいのか
難しいようでした。

両度のご命日 

毎月28日は宗祖親鸞聖人のご命日として、定例法要が勤まっています。

門徒でない人でも、何宗の人でも、何教のひとでも足が向いたらどうぞおまいりください。

蓮如上人は、毎月両度のご命日は何のための集まりかということについて、御文にこう記されています。

そもそも、毎月両度の寄合の由来はなにのためぞといふに、さらに他のことにあらず。
自身の往生極楽の信心獲得のためなるがゆゑなり。
しかれば往古より今にいたるまでも、毎月の寄合といふことは、いづくにもこれありといへども、さらに信心の沙汰とては、かつてもつてこれなし。
ことに近年は、いづくにも寄合のときは、ただ酒・飯・茶なんどばかりにてみなみな退散せり。これは仏法の本意にはしかるべからざる次第なり。


誤解を恐れずに訳すればこのようになるでしょうか。
毎月両度の集まりの所以は何のために行うのか、自らの浄土へ生まれるための信を得るためである。むかしから今にいたるまで毎月の寄り合いはあちらこちらにあるけれども、これまで信仰告白を語りあうような集まりはやはりない。ことに最近の寄り合いは、酒や茶や飯を食べるだけ食べて、かえって行くだけである。これは皆を仏前に座らせるための手だてであって仏事の本意ではない。

ちょっと、逸脱した部分がありますが、このような見かたがあってもいいだろうかと思います。
せっかく仏法をご縁として集まってきている仲間なのですから、ただ酒やお茶を飲んで世間話だけしてかえるようではいけないということでしょうか。また、これは一つの仏教に近づくための手だてであって、酒やお茶を飲んで世間話をするために開かれている集いではないということでしょう。ただ、世間話の中に仏法を聞けなければ行けないと思い立つ機もあることでしょうから、全くそれはだめだとはいえませんし、仏法談義が楽しくはずむことも大事ですから、そのために多少のお茶や酒は必要な時もあるでしょう。しかし、そのことでお茶を濁して、酒やお茶を飲むだけの集まりならば、それは仏法の本意からは逸脱してると言えるのではないでしょうか。

相続講という集まりについて

蓮如上人は、門徒の集まりはなんのための集まりかということについて御文で述べられています。その中の5帖目の十二通には超勝寺という寺の門徒に対して、集まりの在り方に対して厳しく戒められています。

そもそも、年来超勝寺の門徒において、仏法の次第もつてのほか相違せり。
そのいはれは、まづ座衆とてこれあり。いかにもその座上にあがりて、さかづきなんどまでもひとよりさきに飲み、座中のひとにもまたそのほかたれたれにも、いみじくおもはれんずるが、まことに仏法の肝要たるやうに心中にこころえおきたり。これさらに往生極楽のためにあらず。ただ世間の名聞に似たり。
しかるに当流において毎月の会合の由来はなにの用ぞなれば、在家無智の身をもつて、いたづらに暮しいたづらに明かして、一期はむなしく過ぎて、つひに三途に沈まん身が、一月に一度なりとも、せめて念仏修行の人数ばかり道場に集まりて、わが信心は、ひとの信心は、いかがあるらんといふ信心沙汰をすべき用の会合なるを、ちかごろはその信心といふことはかつて是非の沙汰におよばざるあひだ、言語道断あさましき次第なり。所詮自今以後はかたく会合の座中において信心の沙汰をすべきものなり。

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座上にあがってさかずきを勧めて、酒を飲んでお茶を濁すような集まりが、さも仏事であるように思っている人がいますが、はたしてそうでしょうか。

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蓮如上人は、仏法談義は「わが信心は、ひとの信心は、いかがあるらんといふ信心沙汰」をすべきであると語られています。
しかし、最近では、家庭からも宗教の話題が消えてしまいました。または会社に行っても一緒に働いている同僚が何宗の信者であるか、何教の信者であるかも知らないということが普通の時代です。
現代では、そういう状態ですから、宗教による差別はさらに深くなり見えなくしてしまいました。見えなくなっているというよりも、宗教のことを沙汰することがなくなり、そのための無知さで見抜く力を失っているように思います。そのために宗教差別は深くなってしまったのです。
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現代では、信心の沙汰をするどころか、御文には、私たちは「いたづらに暮しいたづらに明かして、一期はむなしく過ぎて、つひに三途に沈まん身」であるから、せめて月に一度でも集まって信心の沙汰をするべきであると語られています。
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教行信証拝読の会

塵も積もれば山となる。今回で32年と何カ月になるのでしょうか、この教行信証拝読の会。
蝸牛のような速度で前に進みます。
いわば急行列車ではなく、各駅停車の旅。そのほうが様々な風景や景色を楽しむことができますし、キツイ旅のほうがその感慨もひとしおでしょう。
急行列車はただ目的地に着くだけ。その間に何があったかはなかなか分かりにくいものです。

ローマは一日にして成らず。
百里の道も一歩から。
学習は螺旋階段のように、一見行ったり来たりのようですが、実は同じところは通らずにずっと上に伸びていく。このような学習が大事ではないかと思います。
あせらずゆっくりと、それでいてじっくりと根気強く。
これがなかなかできそうでできないことですね。


親鸞聖人の御命日

毎月28日は親鸞聖人の御命日法要が勤まっています。

御命日は毎月あります。お寺によっては27日の逮夜(前日の午後のこと)で勤まるところもあるようですが、全国の大谷派の寺院では必ず勤められる肝要の定例法座です。

萬行寺では毎月、住職が「正信偈」についてお話しています。どうぞ皆さん参詣ください。自分は門徒ではないという方でも結構です。どなたでもお参りください。

「正信偈」は正式には正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)といい、偈(げ)とは、うたのことです。
浄土真宗立教開宗の書『顕浄土真実教行証文類』の「行巻」の末尾に所収された偈文で真宗の要義大綱をまとめた全120句・60行の定型詩。
インドの釈迦如来に始まり・中国・日本を通して受け継がれた高僧達の教えを讃える親鸞聖人著作の偈頌(げじゅ)。
数ある真宗の聖教のうちでも、最もポピュラーなものです。

正信偈の前文に、次のように書かれています。

しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、正信念仏偈を作りて曰わく
『大聖の真言』とは、仏によって人間の本当の問題が取り上げられ、しかもそれが答えられているということです。
これは、真に自己を回復する用らきを持つことばが『真言』です。
そのことばを素直に受け取り、真の自己に目覚めていく道を顕らかにされた方々のことばが『大祖の解釈』。つまり七高僧の教えです。
その教えに、道を求められたのが親鸞聖人でした。
聖人の信仰告白は念仏して生きる本当の意味を我々に問うているのです。
その長い歴史の中で、疑惑の人には真実を、争いの人には和らぎを、憂いの人には慰めを、怠惰の人には厳しさを、というように、あらゆる形をとってまで人間の内奥をえぐり出すのです。
そうすることによって、愛欲や悲喜や苦楽多いの人生において、共に生きる”師”を持つことが、終には一人では乗り越えていけないような人生の障碍も超えていける道が、そこにあるということを我々に教えてくれるのです。


「正信偈・念仏・和讃」を六首ずつ繰り読みするお勤めの習慣は、本願寺第8代の蓮如上人によって、文明五年(1472)に三帖和讃に正信偈を加えて4帖として開版されました。
それまでは法然上人の時代から善導大師の「往生礼讃偈」の読誦を毎日の日課とし、日没・初夜・中夜・後夜・晨朝・日中の一日に計六回の勤行が日常の礼拝でした。
蓮如上人はそれを「正信偈・念仏・和讃」を朝夕の勤行にするよう改定して、それを多くの門信徒へ普及することを広められています。
今日でも真宗門徒の朝夕の必須の勤行として、ひろく親しまれています。
真宗大谷派では、草四区目下・念仏・和讃(三濁・六首引)のお勤めが基本となっています。

     ※ 偈(げ)とは、仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの。
      「偈陀(げだ)」「伽陀(かだ)」とも音写し、意訳して「偈頌(げじゅ)」という。

帰敬式修了者の集い

6月に入ってだんだん蒸暑くなってきました。
みなさんはいかがおすごしでしょうか。

さて、5月に行われた長崎教区の『お待ち受け大会』が終わって、とりあえずは一段落です。
5月1日と2日の二日にかけて『親子で帰敬式』と題して御遠忌お待ち受けを佐世保別院で行ったことは記憶に新しいことですが、5月の大会では帰敬式を受式しただけでそのまま解散になりました。
そのあと、法名の意味を知りたいという人がおられましたので、その方たちに対しても、またお寺からもなにかしらのアフターケアをしなければいけないと思い、お寺に集まる機会がないだろうかと考えていました。

そこで今回は『帰敬式受式者の集い』を行うことにしました。

5月の受式者は23名でしたので、それだけでは人数に多少不安がありました。
そこで3年前に萬行寺で帰敬式を行った時に集まった140名の受式者にも案内を出しました。

総勢約50名弱の人が集まりました。

今回はなるべく解りやすい話をしようと心がけ、内容は数珠の掛け方やお寺に参詣する時の心がけ。仏教徒となることの意味をお話しされました。
参加者は3歳の子供から80歳までと幅広く、それだけの人にすべてを理解してもらうこともおそらく無理でしょう。私どものほうにしても、皆さんのことを一部始終知っているわけでもありませんので、なおさら話は難しいとおもいます。
そこで今日は、毎週萬行寺で子どもたちが集まって行われている「日曜学校」でお話ししているつもりでお話いたしましょう。

日曜学校では、次のような3つの「ちかいのことば」をお勤めのあと、かならずみんなで唱和しています。

わたくしたちは
ほとけのこどもになります

わたくしたちは
ただしいおしえをききます

わたくしたちは
みんななかよくいたします


なんだかわかるようでわからない言葉ですね。

この3つの誓いのことばは、お釈迦様の時代から使われてきた言葉で、本当はもっと難しい言葉で書かれていますが、子供でも言えるように翻訳するとこのような言葉になります。
これは難しい言葉でいえば、『三帰依(さんきえ)』といいます。
これを書かれている本の中で有名なのは聖徳太子がつくったとされる『一七条の憲法』ではないでしょうか。その中の第二条にでてきます。第二条に出てくるということは日本の国民として重要な法律でもあることを意味します。あるいは基本中の基本といっていいでしょう。
聖徳太子はこの『帰依三宝』の生活をすることが、現代流の言い方でいうと日本国民の義務であるといっていいかもしれません。
そのようなことが飛鳥時代に決められ、永い間そのことが守られてきたんですね。それが日本人の心の原点になっているものです。

それから わたくしたちは
ほとけのこどもになります


ということですが、これもわかるようでいてなかなか難しいですね。わかりやすく言えば、真宗ではお釈迦様は父、阿弥陀様は母という表現をすることがあります。これはどちらも大切な方であるという表現です。父を因とし、母を縁としてわたしたちはこの世界に一人生まれてくるのです。あるいはお釈迦様は私たちが住む世界の先生、そして阿弥陀様はお浄土の仏様といっていいのじゃないかと思います。これは「釈迦弥陀二尊」といってとても大事な教えです。
ですから、私たちは南無阿弥陀仏と称える仏のこどもなのです。

次に、わたくしたちは
ただしいおしえをききます
ですが。

「ただしいおしえ」とは、仏教のことです。
世の中にはいろいろな誘惑が多いものです。これを買えば幸せになるとか、これをすると病気が治るとかいうこともあります。もしくは仏様の教えより一見魅力的にみえる教えもあります。自分の欲望にまみれた心を、欲望にまみれたまま満足してくれる教えのほうが私たちには一見魅力的にみえるのです。
しかし、私たちは仏教徒と名のったかぎりは、その道を一筋に歩んでいかなければなりません。一体ただしい教えとは何だろうかととうことでしょう。

ちょっと難しくなりました。さて、次はわたくしたちはみんななかよくいたします
ですが、これは言われていることは理解できますが、これが一番難しいのではないでしょうか。これは原文に依りますと、仲間を持つことだといわれています。私たちの生きている現代社会は、生きにくい時代ということをよく言われます。それは本当の友達がいないからではないでしょうか。本当の友達とは、見方を変えれば「親子」であるともいえます。その人の本当の気持ちや、その人の抱えている問題を自分のことのように考えてくれる人がいないということが、実は一番人間にとって悲しいことなのです。





このような調子でお話がありました。


福浄寺壮年会との交流

萬行寺の壮年会『白道会』は、去年から川棚にある福淨寺の壮年会『いしんかい』との交流をはじめました。去年は福淨寺さんからのお招きを受けたので、今年は萬行寺が福淨寺さんを招くことになりました。
福浄寺と萬行寺は、深い因縁があります。
萬行寺の1664年(寛文4)11月22日に萬行寺開基である 法名釈道夢法師:俗名御厨左馬之助は福浄寺開基の弟という記述がのこされています。さらに第三世住職の了閑(りょうかん)は福浄寺二世を相続し、引退後萬行寺の住職となっています。現在、了閑の遺骨は萬行寺の歴代住職の墓の中に埋葬されています。萬行寺の亀井家と福成寺の深草家とは同じ”平戸梶”という家紋であることからもわかるように、因縁の深いいきさつがあります。

了閑が萬行寺の三世に就任する頃まで萬行寺は現在地より200メートルほど離れた字小嶋というところに小さな草庵を建てて門徒教化を行っていました。その字小嶋にあった草庵を、現在地の亀水山(きすいざん)に移し現在の本堂・庫裡を新築したといわれています。(元々この場所は六屋敷(むつやしき)と呼ばれ、6件の武家か庄屋のような者の屋敷があったといわれています。)
今現在建っている本堂は1978(昭和53)に改築し、翌1979(昭和54)の4月に本堂落慶を行いました。それまで300年近く当時の本堂がそのまま使われていたとそうです。

まぁ、そのようなことは遠い昔の話であることは確かですが、しかしそれでだけでも福浄寺さんとはなにか特別な感じがするのは私だけではないと思います。


まずは何はともあれ正信偈でのお勤め。


白道会の会長岩崎さんの挨拶


まず最初は福浄寺の住職のお話です。


その後は萬行寺の住職のお話。

その後は二班に分かれての交流会。





どちらも盛り上がって盛んな意見交換が行われました。


そのあとは両門徒入り乱れての酒盛り。念仏談義に花が咲きました。「他人の芝生はよく見える」と言いますが、福浄寺の門徒さんは”さすがだな”という印象を持ちました。

御文会



今日は御文会(おふみかい)がありました。今年も去年に引き続き左底の講の会に参加しました。
御文会は、この時期になると各地域の講で毎年行われるもので、蓮如上人が書かれた御文ををみんなで読みます。この伝統は萬行寺のほとんどの講で行われて、地域によっては、時間で区切って終わりにするところもあります。
中には一日中がかりですべて読破する講もあります。



そのおかげでカタカナ本の古い文体の文章をすらすらと読めるようになります。
今では学校でも教えることのなくなった文章や、仏教の専門用語もたくさん出てきます。
しかし、それでもみんなで声を出して読むうちに、仏教独特の読み癖などや読み方もだんだんと解ってきます。
読めるようになれば、その味わいもなかなかなものです。
長く読み続けた人のなかには、現代語訳されたものよりも昔の文体の方がありがたいという人もいますし、その方が読みやすいと言われる人もいます。

中には明治時代から受け継がれている古い御文をもってくる人もいました。

蓮如上人御命日/定例法座

毎月25日は蓮如上人・法然上人の御命日です。
萬行寺では毎月定例法座が朝の10時から勤まっています。
25日は和讃をわかりやすく読み解きながらの法話をおこなっています。
なるべく皆さんの分かりやすいように話をいたしております。
どうぞお参りください。

和讃とは、お勤めで読まれる七五調の和歌です。
一般的にお寺や各家庭のお内仏でお坊さんが読まれる漢文の文章のことを全て”お経”と呼ぶことが多いようですが、実は細かく分類があります。
和讃は、和歌形式になっていて、それに節がついていますので、歌になっています。

お経の場合は全て「仏説」という言葉が表題にきます。これはお釈迦様の説法であることを意味し、必ず誰かの翻訳文であることが明記されています。
ですから外国の国の言葉なのです。そういう意味ではそれを聞いて何を言っているのかわからないのは無理もない話だと思います。
読み方はすべて節がなく、ずらずらと棒読みをします。

和讃の場合は著者が親鸞聖人、それに安土桃山時代になって本願寺の18代目の蓮如上人の時代にその時代の流行歌の調子に合わせて作り替えられ、「正信念仏偈」とともに「三帖和讃」が開版され、門徒の朝夕の勤行に用いられるようになりました。そうして現在に至っています。真宗大谷派では伝統的にその時代のものをそのまま伝承されています。

このおつとめは日本の伝統的な形式のものを踏襲していますが、当時の芸能の影響も受けているともいわれています。

宗教には必ず、その宗教施設で行われる儀式に神や仏をなど讃える歌があります。これは世界中のどの宗教にも共通したもので、この「和讃」ももれなくその形式を踏襲しています。
いわば、真宗の賛美歌ともいえるでしょう。わたしたちは新しいものに関心を持つことが多いですが、このような古いものに新鮮さを覚えることも大事だと思います。
古来から日本人はこのようなものを聞いて来たのだということも大事な学習の一つだろうと思います。

この和讃は正確には「三帖和讃【さんじょうわさん】」といわれ、親鸞聖人の著作で、『浄土和讃』・『高僧和讃』・『正像末和讃』の三編に分かれていて、それぞれが浄土教の歴史や、それを伝えた高僧の物語や浄土の様子を歌ったものがあります。
これは親鸞聖人の主著である『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』という難しい書物をもう少しわかりやすくまとめたものです。ひらがなを用いて読みやすくされたものです。


親鸞聖人は、晩年まで加筆、再訂したといわれています。真跡本は、完全なものは発見されておらず。三重県の高田派の専修寺にある「国宝本」に一部が真跡と認められるだけです。
書写本は数多く残っていて書写する際に加筆・再訂され、和讃数や順序などが写本により異なっています。

『浄土和讃(じょうどわさん)』
宝治2年(1248年)頃の著作と言われる。「三帖和讃」の一つ。118首の和讃からなる。

『高僧和讃(こうそうわさん)』
『浄土和讃』と同じく宝治2年(1248年)頃の著作と言われる。『浄土高僧和讃』とも言う。三帖和讃の一つ。親鸞聖人が選定した「七高僧」を讃える119首の和讃からなる。

『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』
正嘉元年(1257年)頃の著作と言われる。三帖和讃の一つ。全部で116首の和讃からなる。