西圓寺御遠忌法要

 今日は朝から長崎教区第3組西圓寺(波佐見)の住職継職法要と庫裏の落慶も兼修した御遠忌法要に参加させていただきました。朝は約から大勢の人。稚児やそれを見に来た大人たちもで大賑わい。御遠忌では多くのお寺が稚児を出しています。お勤めも緊張感があり、とてもいい御遠忌法要でした。新住職と前住職の交代の式では涙も見られ、新しい時代の門出としては最高の舞台でした。
それぞれがみな一生懸命でこの法要にかける思いが伝わりました。

永代経法要が終わりました。

講師は浮邊泰祐師 (鹿児島県頴娃町 真光寺住職)でした。

先生は19日の逮夜から20日の逮夜まで「智・情・意」ということを中心にお話しいただきました。

永代経3日目

 3日目のお経は『仏説阿弥陀経』。このお経は、真宗の正依の教典、浄土三部経の中で最も短くて一番親しみがあって、書かれた年代が最も古いお経です。短いお経ですから小経(しょうきょう)ともいわれ、年忌などの法事で読まれるお経で、多くのご門徒が一番ふれる機会が多いのがこの仏説阿弥陀経ではないでしょうか。

ウィキペディアによると、『阿弥陀経』(あみだきょう)は、大乗仏教の経典の一つ。原題は『スカーバティービューハ』(サンスクリット:Sukhāvatīvyūha)で、「極楽の荘厳」の意味である。サンスクリットでは同タイトルの『無量寿経』と区別して『小スカーバティービューハ』とも呼ぶ。略称は、『無量寿経』の『大経』に対して、『小経』と呼ばれる。『阿弥陀経』は、弟子の質問に答える形の経ではなく、釈尊自ら説かれた経であるため「無問自説経」ともよばれる。1世紀ころ、北インドで成立したと推定されている。サンスクリット原典、漢訳、チベット訳が、現存する。
日本では、一般に『仏説阿弥陀経』(鳩摩羅什訳)を指す。

永代経法要初日

 ▶日中はお経が読まれます。初日のお経は『仏説無量寿経』。または略して「大経」とか「大無量寿経」とも呼ばれています。このお経は上下巻にわかれていて、真宗で読まれる三部経の中では一番長いものです。▶上巻では、お釈迦さまが耆闍崛山(ぎじゃくっせん)という修行場で弟子たちに説法をしている様子が弟子の阿難によって語られるところからはじまります。その後、法蔵菩薩という菩薩が道を求めて世自在王仏のもとを訪ね、浄土世界の様々な様子をくまなく観て本願を興し、阿弥陀如来へ成仏していく物語が描かれています。▶下巻は、主に仏となった阿弥陀が衆生に説法をするシーンが多く出てきます。▶
日中の法話は住職。

夜の座は福岡県 の加来知之師。加来は萬行寺でお話しいただくのは初めてです。先生はお経にはどのようなことが書かれているのか、どのようなそれぞれの物語は何のために書かれているのかを一つ一つ丁寧に詳しくお話されました。

作上がり法要

作上がり法要は二日間です。

今年の作上がりは、参詣者が少なかったように感じました。

もう終わりましたが、大体このころになると、時津の港から太鼓や鐘の音が聞こえてきます。ペーロンの囃子です。
ペーロンとは、約14mの船に約30人が乗り込み、太鼓と鐘の調子に合わせて競漕する、いわゆるボートレースです。
最近は太鼓は載せないそうですが、鐘の賑やかな音は陸まできこえてきます。
調べてみると、歴史は古く1655年(明暦元年)唐船で長崎に来航した中国人の手で始められたとありました。
ペーロンは元来、端午の節句に行なわれるのがしきたりだったといわれています。しかし、今は夏の風物詩のひとつとして各地で広く行なわれるようになりました。また最近では中国と国際試合を行なうまでになっています。



昔は銅鑼や太鼓・笛などの鳴り物を乗せてのろしを上げ、現在のような速さを競い合うものではなく、船で湾内を漕いで作物の実りや海の大漁を神に感謝し、奉納祭りだったともいわれていますが、確かな事はわからないそうです。

いずれにしてもこの時期は、作物がひとしきりあがる「作上がり」の時期にあたるために何らかの形で神仏に祈りを捧げていたということはあったのではないかと想像できます。



昨今では、農業従事者や漁業の仕事に従事する人も減ってきていることから、このようなことは時代とともに様変わりしてきたのだろうと思います。いずれにしても、時代の淘汰とはそのようなものなのかもしれません。

いや、お寺もその例外ではないのです。

作上がり法要

「正信偈のいわれ」をお話しいただきました。
境内にはきれいな蓮の華が咲いています。














「作上がり」ということばから、昔の人たちの生活の豊かさを感じます。

 昔の人は農閑期になると、「農作業も一段落。静かに本を読むような時間も出来たから、そろそろお寺に行こうじゃないか。」といってお寺に仏法を聞きに集まっていたそうです。
それはお寺に行くぐらいしか他に楽しみがなかったからだという人もいます。それもそうかもしれません。現代のように車もなければ、どこか楽しいイベントでもやっていないかなとパソコンやテレビなどで情報を手軽に仕入れられる時代ですからいわれるのももっともかもしれません。しかし、そこには「農作業も一段落。静かに本を読むような時間も出来たから、そろそろお寺に行こうじゃないか。」という昔の人のたしなみにはもっと違う大切なことをいっているのではないかと思います。
ゆっくり静かに物事を考える・・・・そのような時間はとても大切だなと最近ことに思います。
 今はたとえ生活が貧しくとも、心が豊かでのびのびした生活はまれになってきているようにも感じます。「殺伐としている」という代名詞があたるような現代は、ただ慌ただしく一日中仕事に終われ、家へ帰ると疲れはてて寝てしまう。そのような毎日の中にあっても、人の心は常に本当の意味で解放されるような有り方を求めているのではないでしょうか。

永代経法要3日目 最終日

最終日のお経は『仏説阿弥陀経』
浄土の様子を書かれた書物です。

今月のなあに」より転載-------------------------------------
『仏説阿弥陀経』(ぶっせつあみだきょう)は、浄土教の根本経典の一つ。
無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経の三部の中では比較的短く4枚程の紙に収まるところから『四紙経』・『小経』とも呼ばれています。
真宗では一番ふれる機会の多いお経。

姚秦の三蔵法師鳩摩羅什(さんぞうほうしくまらじゅう/314〜402年、中央アジアの西域、クチャ(亀茲国)の人。)の翻訳。
無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経からなる浄土三部経の一。
漢訳には古来三訳あったとされているが、そのうち二訳が現存している。


内容は、釈迦が祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)で舎利弗(しゃりほつ)をはじめとする弟子に説法されたもので、まず阿弥陀如来の浄土の景色と阿弥陀如来の徳が説かれ、ついで、この浄土に生まれるために念仏を称えることがすすめられる。
最後に六方(東南西北下上)におられる仏がたが西方の阿弥陀如来の徳を称讃し、浄土に生まれるには唯ひたすら念仏するようにすすめ、その教えを信ずる者を摂め取って決して捨てないことを明らかにされています。

一切衆生のために、ただ念仏して弥陀にたすけられる道を説いた経典です。
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あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。3つの宝とは「仏そのもの・仏の教え・仏の教えを尊ぶ者ことである。それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。人はなはだしくわるい者は少ない。正しく導くことができれば正道にしたがうものである。ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によってそのまがった心をただせることができようか。


秋の永代今日の最後お話は住職。帰依三宝の意義です。
帰依三宝とは、十七の条憲法にもあるように我々日本人にとって、とても大事になものです。
それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。』とあるように、帰依三宝の生活は自身をみつめる事の出来る大切なものです。
わたしたちは日頃自分のことは見えてはいません。年を取ると頑固になるともききますが、なかなか日々の生活の中で自分に対して「間違っている」と正してくれる人や出来事というのは出会えないものではないでしょうか。ましてや正しいことを言われると逆に怒り出す人もいます。17条の憲法に書かれている「帰依三宝」とは聖徳太子が国民が最も大切にしなければいけないといわれていることで、これに依らなければ、大切な自分の相を見つめることのできる鏡のようなはたらきをを持たないならば、どのような立派な国家的指導者であっても道を踏み外すことがあるのではないかと教えてくれます。




釈尊が弥勒菩薩に仰せになった。
「たとえば転輪聖王が王の宮殿とは別に七つの宝でできた宮殿を持っているとしよう。そこにはさまざまな装飾が施されており、立派な座が設けられ、美しい幕が張られ、いろいろな旗などがかけられている。その国の王子たちが罪を犯して父の王から罰せられると、その宮殿の中に入れられて黄金の鎖でつながれるのであるが、食べものや飲みもの、衣服や寝具、香り高い花や音楽など、すべて父の王と同じように何一つ不自由することがない。さてその場合、王子たちはそこにいたいと願うだろうか」
 弥勒菩薩がお答えする。
「いいえ、そのようなことはないでしょう。いろいろな手だてを考え、力のある人を頼ってそこから逃れ出たいと思うでしょう」



そこで釈尊が弥勒菩薩に仰せになる。
「胎生のものもまたその通りである。仏の智慧を疑ったためにその宮殿の中に生れたのであって、何のとがめもなく、少しもいやな思いをしないのであるが、ただ五百年の間、仏にも教えにも菩薩や声聞たちにも会うことができず、仏がたを供養してさまざまな功徳を積むこともできない。このことがまさに苦なのであり、他の楽しみはすべてあるけれども、その宮殿にいたいとは思わないのである。
 しかしこれらのものが、その苦は仏の智慧を疑った罪によると知り、深く自分のあやまちを悔い、その宮殿を出たいと願うなら、すぐさま思い通り無量寿仏のおそばへ行き、うやうやしく供養することができる。また、ひろく数限りない仏がたのもとへ行ってさまざまな功徳を積むこともできる。
 弥勒よ、よく知るがよい。仏の智慧を疑うものはこれほどに大きな利益を失うのである。そうであるから、無量寿仏のこの上ない智慧を疑いなく信じるがよい」


永代経法要2日目

二日目のお経は『仏説観無量寿経』。
■ 2009年1月 ■
「浄土三部経って、なあに?(3)」


仏説観無量寿経

『仏説観無量寿経』(かんむりょうじゅきょう)は、浄土教の根本経典の一つ。
別名『無量寿経観経/むりょうじゅきょうかんぎょう』ともいい、『観経/かんぎょう』と略称されています。

翻訳はいくつかあるとされていますが、サンスクリット原典は発見されておらず、宋の元嘉中、西域出身の僧、畺良耶舎(きょうりょうやしゃ/ 382年 - 443年)の翻訳しか現在は見つかっていません。

 第一部 ―王舎城の悲劇―

 自分の出生の秘密を、悪友ダイバダッタによって告げられたマガダ国の王子アジャセは、自分の境遇を歎きその悲しみを両親に向けます。そしてついにアジャセは父王を地下牢に幽閉して殺害し、そして母も殺そうとする事件が起こります。
そのとき釈尊は道場で多くの弟子たちに法華経を説いていましたが、その事件の知らせを聞き、急いで王宮へ二人の弟子を連れて行きます。
 その渦中にいる王妃イダイケは、釈尊に「なぜ自分だけが辛いことに会わなければならないのか、何の罪があってこんな悪い子を産んだのか」などと苦悩する心を打ち明けるのです。
そして釈尊はイダイケに「凡夫よ」と呼びかけ、声に出して念仏するよう勧めます。この物語では女性の救いと罪を犯したものがどのようにして釈尊の教えによって救われていったのかが説かれます。まさに現代にも通じる問題がこの物語によって描かれています。

 第二部 念仏の方法を説く

極楽世界の様子や阿弥陀仏、観音菩薩・勢至菩薩の二菩薩を観察し想うための13の方法が順々に説かれていきます。そして、浄土世界に往生する者を九つに分けます。
そして最後に釈尊は、その場にいた弟子の阿難にむかって「無量寿仏の名を、常に心にとどめ続けよ。」と説きます。するとその法を聞いたイダイケやそのまわりのものも皆喜んだと説かれて終わります。



前半は、人間の現実世界の苦悩を描き、後半では、どのようにすれば娑婆を離れ、真実世界(浄土)に往き生まれる者となれるのかが説かれます。
親鸞聖人は浄土三部経を『三身一体の経典』といわれました。観無量寿経は、『念仏は”行”である』ということを知らせるための経典であると善導大師が言われていることに由来しています。

なお、『王舎城の悲劇』は涅槃経にはアジャセの救いが説かれ、法華経にはダイバダッタの救いが説かれています。
親鸞聖人は、その主著、『教行信証』に涅槃経のアジャセの救いの部分を多く引用し、そのことも大事にされています。

               



講師は長崎教区第3組波佐見の西圓寺若院、武宮真紹師。
今回初めておいでいただいたのですが、各お寺の若院さんのお話を聞くことはあまりなかったので、みなさん新鮮で楽しんでいたようです。
仏法を聞く楽しみがあることはとてもいいと思います。これがお寺に来る楽しみになればいいですね。
仏・法・僧の三宝に帰依することの意義。そして仏法を聞いて生活するのではなく、生活の中に仏法を聞くことの大切さを感じました。

永代経法要初日

初日のお経は『仏説無量寿経』。

今月のなあに」より転載-------------------------------------
■ 2008年12月 ■
「浄土三部経って、なあに?(2)」
仏説無量寿経
浄土教の根本聖典の一つで、『観無量寿経』、『阿弥陀経』とともに「浄土三部経」と呼ばれる。

呼称は『大無量寿経/だいむりょうじゅきょう』、上下二巻からなることから『双巻経/そうかんぎょう』ともいわれています。
または略して『大経/だいきょう』とも呼びます。
 原題はサンスクリットで『Sukhaavatii-vyuuha/スカーバティービューハ』といい、それを翻訳すると「極楽の風景」という意味になります。
 現在ではサンスクリットの原典、チベット語訳、および五種の漢訳が現存しています。

支婁梼讖(しるかせん)
呉の支謙(しけん)
魏の 康僧鎧(こうそうがい)
唐の菩提流支(ぼだいるし)
宋の 法賢(ほっけん)

の翻訳があります。
内容
上巻は、王舎城(おうしゃじょう)の耆闍崛山(ぎしゃくっせん)というところで、弟子や菩薩たちに釈尊が説法しているところから始まります。
法蔵という一人の修行者(菩薩)が仏に成る物語が説かれます。
その法蔵は、無数にある仏国土(浄土)の中から安養の浄土を選びとります。そして本願(四十八願)が説かれます。
次に後半は弟子が釈尊に対して質問し、それに答える場面がいくつか出て来ます。私たちが思っている疑問を弟子たちはストレートに釈尊に聞いています。

下巻には、衆生がなぜ真実を求めるのかが説かれ、浄土への往生を願うよう勧められます。そして、一切の法が滅しても、この経だけは後の世にまで留めおいて人々を救いつづけると説いて終ります。
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講師は長崎教区第2組、三重の正林寺若院の松林大さん。今回の永代経法要は3人の講師ともに「帰依三宝」というテーマでお話がありました。「帰依三宝」といってまず最初に思い浮かぶのは聖徳太子ですが、十七条の憲法には次のようにあります。
二に曰く
篤く三宝を敬え。三宝は仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。すなわち四生(よつのうまれ)の終わり帰(よりどころ)、万の国の極めの宗(むね)なり。いずれの世、いずれの人か、この法(みのり)を貴びずあらん。人、はなはだ悪しきものは鮮(すくな)し。よく救うればこれに従う。それ三宝に帰(よ)りまつらずは、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。  十七条の憲法 真宗聖典p963

<現代語訳>
第二条 まごころから三宝を敬え。三宝とは、佛と、その真理の教えと、それに従う人々(僧)である。それはすべての生きとし生けるものの最後のよりどころであり、あらゆる国の究極の規範である。どんな時代、どんな人がこの真理を貴ばずにいられるだろう。人間には極悪のものはいない。よく教えれば(真理に)従うものである。もし三宝をよりどころにするのでなければ、他に何によって我執にとらわれたよこしまな曲がった心や行いを正すことができようか。

なぜ私たちはこの帰依三宝に依らなければならないのかを佛・法・僧の3つの意味を一つずつ解説を交えながら丁寧にお話しくださいました。




あすから永代経法要です。

明日の準備も終えてゆっくりしています。
そもそも永代経法要とはどういう法要なのでしょうか。
真宗の寺院にはたくさんの法要がありますが、由来は様々です。この永代経法要は真宗独自のもので、この法要では浄土三部経が読まれます。
真宗教団は「報恩講教団である」と度々いわれ、親鸞聖人の教えを聞信する門徒の集まりから発展した教団です。しかし、一方では親鸞聖人がまるでお釈迦さまを飛び越え、まるで教祖のように扱われているという批判があることもたまに聞きます。
どの法要も報恩講同様に親鸞聖人を中心とした念仏の教えを伝えることを願って行われていることは間違いがないのですが、お釈迦さまという方がどのように考え、どのように私たちに法を説いたのかをわかりやすい言葉でいなかの人々にやさしく語られたのが親鸞聖人なのです。そしてそのお釈迦さまの言葉を直に聞けるのはこの永代経法要です。


『今月のなあに』より転載--------------------------------------------------------------------
■ 2009年8月 ■
「永代経法要って、なあに?」

 ◯真宗独特の法要
萬行寺では、春期と秋期の二期に行われます。法要では浄土三部経が読誦され、真宗の年間の法要の中では報恩講に次ぐ重要な法座です。彼岸会は東北や北陸の真宗寺院では勤めないところもあるそうですが、永代経法要は全国的どのお寺でも勤められているそうです。

     ◯浄土三部経が読まれる
法要には真宗の正依の教典である『浄土三部経』=仏説 無量寿経(上・下)/仏説 観無量寿経/仏説 阿弥陀経の三つのお経が拝読されます。

 ◯人生を見つめる道場
お寺は道場です。『道場』とは道を求め努力精進する場です。その道場には教典があります。教典はお釈迦さまのお言葉を集めた本です。お釈迦さまの教えに真の人間になる道を学ぶのです。そうすることによって、人生におこる様々な苦悩をまるごと自らの人生と引き受け、立ち上がることが出来る者となるのです。

 ◯未来の衆生に法を説く
 お釈迦さまは、自らのいのちの終わるその時まで弟子たちに法を説き続け、その生涯を燃やし尽くされました。ですから、お経にはお釈迦さまの生前のメッセージが弟子たちの手によって記されています。その中には、「どうか阿弥陀仏の説く念仏の教えを聞いて生きるものになってほしい。真実に出遇ってほしい。この経を未来の人々に伝えてほしい」とお釈迦さまは語られているのです。

 ◯仏法を未来へ伝える法要
 そのご恩徳により、念仏の教えに生きた無量無数の先祖の志を受け継いで、私たちは教典を読誦し、真実の教え、念仏の教えに出遇うのです。
 私たちが先祖から託された大切な教典。これから生まれてくる子孫も幸福であってほしい。そう願った人々の遺志を受け継ぎ相続する。これが『永代にわたって経を読む』法要。つまり永代経法要です。

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秋季彼岸会/御満座

今日で2010年度(平成22年度)秋季彼岸法要はこれで御満座となります。
明日は定例法座、蓮如上人ご命日ですので法要としては明日までです。
今日の御満座は住職の一時退院が急遽決まり、法話を行うこととなりました。

お話は仏教の基礎の基礎。『老病死』。これは人間の永遠のテーマではないでしょうか。
人間が”死”という概念を持ったときから死ははじまったといわれます。死という概念が生まれなければ死は死ではなかったはずです。老いることも病に伏せることも死することによって解決をするのですが、それが受け入れないから苦しむのです。
今回はここから仏教が始まったといわれる『四門出遊(しもんしゅつゆう)』のお話です。
これがやはり仏教の原点ではないでしょうか。
今回、入院にあたって感じたことや、考えたことを交えお話下さしました。

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愚かな凡夫は自分が死ぬものであって、また死を免れないのに、他人が死んだのを見ると、考え込んで、悩み、恥じ、嫌悪している。自分のことを看過して。じつはわれもまた死ぬものであって、死を免れないのに、他人が死んだのを見ては、考え込んで、悩み、恥じ、嫌悪するであろう、このことは自分にはふさわしくないであろう、と思って。私がこのように考察したとき、生存時における生存の意気はまったく消え失せてしまった。                   お釈迦さまの言葉
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四門出遊の物語

お釈迦さまが太子でいらっしゃったころは、物思いに沈む性質でした。父の浄飯王(じょうぼんおう)は心配されて、何とかして陽気にしなければならないと、ある日カピラ城を出て野外へ遊びに出されました。
 太子は馬車に乗って東門から野外に出られましたが、路傍に髪も白く、身体は枯木のようにやせ衰え、杖にすがって背中をまげ喘(あえ)ぎながら歩いている、見る影もない哀れな人をご覧になり、御者に「あの人は何者か」と問われると「老人です」と答えました。「私もあのようになるのであろうか」と聞かれると御者は、「生あるものは貴(とうと)いものも、賎(いや)しいものも、この苦しみを免(まぬが)れることは出来ません」と答えました。
 太子は、「生れるということは何とした禍(わざわ)いであろうか」と、ものうい、つらい気持ちになり、ふさぎ込んで遊楽の楽しみもなくなり、直ちに御者に言いつけて馬車を王宮に帰されました。
 別の日には、南門から城を出られましたが、路傍に骨もあらわにやせこけた男の人が、黄色い皮膚に大粒の玉のような汗を流して、息もせわしく、苦しみ悶(もだ)えて打ち倒れているようすをご覧になり、太子は、その人が病人であることを聞かれ、「私もあのように病気になることがあるであろうか」と問われたところ、「人の身体が調和を失なう時には、どんな人もこの苦しみを免れることは出来ません」と答えましたが、太子は憂うつな気持ちで、馬車を直ちに王宮に帰らされました。
 また、別の日に、太子が西門から城を出られた時には、道に葬(とむら)いの輿(こし)をかついで、嘆き悲しみながら送って行く一行に逢われ、「ああ、私もあのようになるのであろうか」と問われ、「生ある者は必ず死なねばなりません」という答を聞かれて、人生の苦悩と世の無常の痛感され、太子はこの日も馬車を帰らされました。
 次の日、北門から城を出られた時には、褐色の衣をつけ、髪を剃り、鉢を手にして威儀厳(いぎおごそ)かに歩いて行く人がありました。御者に「この異相の者はどんな人であるのか」と問われ、「出家の人」と知って、太子は馬車を下りてお礼をされ、「出家にはどのような利益があるのか」とお尋ねになりました。「私は世の老病死の無常を見て、これを解脱しようと思い、恩愛を捨てて道を修めています。正しい教えによって、慈悲をもって衆生を救うのが出家の利益です」と答えました。太子は、狂喜し、たちまち生気をとりもどし、「人間世界にこれに勝るものはないであろう。私も家を棄てて道を修めねばならぬ」と仰せられて、出家の人に礼をして、この日は、馬車に乗って林園に入り、いろいろの遊びに一日を過ごされました。
 これが出家の動機を示す有名な「四門出遊」の物語ですが、29歳の年に出家して修行の旅に出られ、6年の苦行生活の後、35歳の12月8日に正覚を開かれました。これを成道(じょうどう)されたと言います。

ブッダは「無常」を発見したと言われています。
世の中に起こる全ての物事は皆常に変化していて、「常」として留まっていることは無い。

いくら微動だにせず、息を殺していようとも心臓は動き、血液は体の内部を循環し、生命を維持しているのです。「おぎゃー」と生まれてから、たった一時も休むことなく変化し続けているのです。

生物に限ったことではありません。どのような頑強な構造物も、自然界にある山や海だって、いや宇宙の中のどこを探しても「無常」でないものは存在しないというのです。

それでは、この宇宙をもしも何らかの生命体が創造していたとしたらどうでしょうか。その生命体ですら「無常」の支配から逃れることはできないのです。

神や仏ならどうでしょうか。ブッダの「無常」は何の例外もないのです。永遠不滅ということはもはや机上の空論なのです。

「無常」という概念そのものが消えて無くならない限り、「無常」を越えてあり続けることは不可能です。

そして、その「無常」を人に当てはめてみた時に、「生老病死」(しょうろうびょうし)という言葉が出てきます。「生老病死」はいわゆる四苦八苦(しくはっく)という時の、「四苦」のことを言います。

上記の「四門出遊」は、その四苦を初めてブッダが目の当たりにして、出家の動機になった話として有名です。

さて、これほどまで全ての物事が逃れられないと言う「無常」、つまり「生老病死」に対して、

1.なぜ生まれたのだろう
2.なぜ老いるのだろう
3.なぜ病気になるのだろう
4.なぜ死ぬのだろう

という疑問をもつことはある意味当然なことです。ただあまりに疑問の域を越えて、悩み続けるとなると本人にとっては大問題です。

1〜3ついては、まだ救いがあります。なにしろ経験者が大勢いますから、それぞれの言葉に耳を傾けるのがよいでしょう。

ところが4の「死」に関しては生存している経験者がゼロということで、皆目検討がつかないことなのです。

他人の死を見る時、あるいは残された家族のことを考えたとき、悲しみや同情や哀れみといった感情が起こります。その時に思って下さい。

「なぜ人は死ぬのだろうか」
その答えは、皆同じなのです。

秋季彼岸会4日目/中日



法要の真ん中の日を中日(ちゅうにち)と呼びます。彼岸は一般では春分と秋分を中日とした前後各3日を合わせた7日間のことをいいますから、ちょうど今日が中日に当たります。萬行寺の彼岸会は5日間ですので明日で終わりになります。気候的にもいいことと中日は秋分の日で休日ということもあり、一番参詣が多い日です。

坂田先生の法話も昨日でおしまい。今回の彼岸は住職が急遽入院したということもあり、少々大変なこともありましたが、おかげでずいぶんと鍛えられたように思います。
さいわい住職の入院も思ったよりはかからず明日の御満座には戻って法話をするそうなのでと人書く一安心。みなさんにご心配をいただきました。

今日の日中は若院の法話。初日に引き続き称名念仏するということのお話です。


逮夜は萬行寺役僧の此松くんが初めて本堂で御法話します。