彼岸会 二日目

今日の日中で此松先生のお話は終わりです。
先生はこれから約4時間ほどかけて帰って自坊の彼岸法要の準備をされるそうです。
おつかれさまでした。此松先生のお話は、終止笑いがたえない楽しいご法話でした。ご法話が終わった後も、先生は人気の役僧さんだったようで、お座敷からも賑やかな声が聞こえていました。




本堂の入り口付近に「東北・関東義援金箱」を設置いたしました。私どももこの度の未曾有の災害に少しでもお役に立てないかと考えています。日本の北半分は我が宗門、真宗大谷派の寺院が多い地域です。おもえば阪神淡路・中越・能登などおこった過去の地震。そして今回の地震・津波も、これまで宗門を支えてきたいわば「真宗王国」といわれた屋台骨のような地域の門徒や寺院がたくさんの被害を受けています。
その事を考えると、日本の経済も心配なのももちろんですが、宗門の事も気になります。様々な事で大変な局面が生ずるのではないかと感じています。


逮夜は住職の御法話です。

春季彼岸会/初日

今日から春の彼岸法要がはじまります。
毎年書いているようですが、昔から「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、確かにこの時期は暖かくなってきます。

学校では「昼と夜の時間が同じになる時期を”彼岸”という」と教えるという話を聞きました。それが本当なら、先生方も宗教的な見方に偏らないようにしなければいけない教育の現場ではそのような言い方しか出来ないのだろうなと思うと、大変だなと感じます。しかし・・・・・「彼岸」という意味を「浄土」のことである。とは先生方も教えにくいのでしょうか。

 葬儀にいくとたまに儀式の間に弔辞が読まれることがありますが、仏式の葬儀なのに「天国に行って私たちをみまもっていてください」とか「安らかにお眠りください」といった言葉が無疑問的にいわれることがあります。
しかしいままでに「お浄土に還られました。」といった言葉をつかって挨拶などをされた方はほとんどないように思います。
そのようなことを法事で話すと、聞いている人は「そういわれればそれはおかしいですね」といった反応が返ってきます。全く”浄土”という言葉は死後となってしまったのではなかと感じます。
親鸞聖人は
”真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず。”
といわれています。ここに限って見てみると、人間は”死んだらすぐ浄土に生まれる”という言い方はしていません。だからといって人は死んだら浄土に生まれると行ってもいません。一先ず、ここでは”現生の往生”か”死後の往生か”という見解はさておいたとしても、かつての習俗的な受け止めの”浄土”ということさえも現代のにおいては消滅し、それに代わって”天国・あの世”という曖昧な死後観が定着しつつあるような気がします。
ましてや自分の家族の葬儀は仏式でしたという記憶のある人でも平気で”天国”という言葉を使っていることに違和感を感じないところも違和感を感じずにいられません。
もちろん、天国というのは仏教では6道という迷いの一つですから、キリスト教でいう「天国」とは意味合いが違います。そこのところはしっかりと押さえなければいけません。そこのところもごちゃ混ぜになっているように思います。このことの背景には、現代人の一つの”病巣”ともいえる死生観の欠如が見てとれるのではないでしょうか。

彼岸という季節が日本人にはちゃんと用意され、自分の人生やいのちについて考える機会が用意されているのが、この一週間ではないでしょうか。私たちは「生きる準備ばかりしている」とか、「我々はただ死んでいないだけ」と表現された先生方がいらっしゃいましたが、ほんとうにその通りだと感じ、反省させられます。

逮夜からは、大分の宇佐からおいでくださった此松先生のご法話です。此松先生は前坊守の甥でもあります。また20年ほど前に萬行寺の役僧をされていました。懐かしい顔を見に来たと多くのご門徒さんが参詣されました。


彼岸会/最終日  

最終日は住職の法話です。

彼岸会/4日目  

今日のお話は若院です。
今回は、十八願成就文についてのお話です。

1月の報恩講で話が途中で終わった形になったので、その続きのつもりです。
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彼岸会/3日目

法話:林田信也

日中は、観無量寿経に書かれた物語『王舎城の悲劇』を中心に、逮夜は、善導大師の『二河白道のたとえ』のお話でした。

親鸞聖人は観無量寿経に父親を殺した子を持つ母親が釈尊の教えによって救わていく様子を描いています。



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彼岸会/2日目

法話は、萬行寺役僧の三澤 教悟師



 親鸞聖人著作の『正増末和讃/しょうぞうまつわさん』の最後にある『愚禿悲嘆述懐和讃/ぐとくひたんじゅっかいわさん』を中心に話されました。(真宗聖典p508)

和讃は親鸞聖人が最晩年に、後に立教改宗の書といわれる事となる『教行信証』を書いたあとに、書かれたもので、和讃という言葉がしめすように和歌の形式で書かれたものです。
お経は中国語を原文のまま読むので、我々日本人にとっては解りにくいものです。しかも現代人は漢文を読めなくなっていますから、読んでもまた解らない。しかも専門用語が随所ににあって解らない事もしばしばです。それ故に様々な誤解や間違った解釈論などが多く現れるのも仕方ない事でしょう。
初めて聞く人には誦文(じゅもん)のように聞こえることでしょう。それもそうです。
ですから、教行信証はおおよそ漢文で書かれていますが、和讃はそれよりも親しみやすく、おぼえやすいように和歌の形式がとられています。
当時では漢文で書かれたものは公式文書ということで、親鸞聖人は自分の修学の集大成として、教行信証として世に出すための書でした。
それにたいして、和讃は漢文より仮名文字づかいが用いられているぶん読みやすくなっています(それでも難しいのですが・・・・)

この和讃は、親鸞聖人がご自分の事を悲嘆したもので、晩年様々な事件に心を痛めながらかかれたものです。
この和讃は和讃集の最後部分に書かれているもので、ご自分の事をあまり語られなかった親鸞聖人がその時の仏教の状況や自分の修学のことなどに触れて書かれているものです。
教行信証の最後の部分でも、親鸞聖人はご自分の修学の軌跡を書かれていますが、和讃の場合にも同様の事がおおよそ書かれています。
しかし、内容は仏教の形をした外道の様子や仏を謗っているものの様子を語っているのようですが、それは紛れもなく自分の相(すがた)であると自己反省の文として書かれています。

彼岸会始まりました。/初日




法話は日中・逮夜ともに住職です。

お話は、歎異抄 9章

『久遠の郷里は捨てがたく、未だ生まれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと、よくよく煩悩のこうじょうにこそそうらえ』という言葉をキーワードにはなされました。

おみがき




今日は彼岸会に向けてお磨きをしました。
今回は長崎市内と浜田郷の小島田の門徒さんにきていただきました。

このお磨きは2ヶ月に一回の法要の時には必ず行われています。
お寺にご縁をつなぐ事や、お内仏の給仕が大事である事が伝わればいいと思います。
毎回お磨きをする仏具の中には、戦火をくぐって来たものや、各門徒から寄付されたものがあります。どれもその門徒の銘が刻まれています。中にはその銘を見て、亡くなった自分の家の祖母や祖父がお寺に寄付をしているという事を初めて知った人もいます。
それこそ、亡くなった祖父や祖母の念仏への思いが伝わってくるものなのかもしれません。




彼岸の準備

今日はお磨きでした。今回の担当地区は浜田です。







磨く前と磨いた後を比較してみました。
お磨き 使用前 使用後こんなに違うんです。写真でわかるかな?

磨くと奇麗になりますよ
一ヶ月程度でこれぐらいは汚れますよ。これは磨いた部分と磨かなかった部分。

























午後からは、同朋新聞の取材のため、福田の西光寺におじゃましました。

西光寺カレンダー

か




こちらも彼岸会の準備で華方が仏華をいけていました。
西光寺華方


今日の取材は、同朋新聞。
西原くん到着
彼は京都から23日かかって長崎まで歩いて帰って来ました。
今日はその終着点、西光寺に着く日です。
最終日は諫早からスタート。
この日は一緒にお父さんと二人であるきました。



まずは阿弥陀如来に報告。

その後、住職に到着の挨拶。
あしはマメだらけで、なんども歩くのを辞めようと思ったそうです。
自分との闘いだったようです。
住職曰く、「たくましくなった。彼に大事なことを教わった。」といっていました。

話を聞くと、色々な人に逢ったり、キツかったりしたようですが、いい経験をしたようです。

秋季 彼岸会御案内

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   浄土真宗の信心とは、「苦しみをなくしてくだ           
さい」と祈る依頼心ではありません。          
  この苦悩するわれを、如来はすでに信じていて             
  くださっていたと知る。
  その感動がすなわち「信心」です。

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    暑さの厳しかった季節も過ぎ、聞法の秋を迎かえました。
    特に今回は帰敬式法要も計画して、左記の通り勤めます。
    どうぞご参詣くださいますようご案内いたします。

      記

   ◆期 日 九月二十日(木曜日)日中から
          二十三日(日曜日)逮夜まで
 
          二十四日(月曜日)帰敬式法要
          
   ◆時 間 日中 午前十時から
        逮夜 午後七時半から

 ◆法 話 二十日と二十一日 清原昌也師(崎戸・信行寺若院)
       二十二日と二十三日 萬行寺住職

     平成十九年九月
                 真宗大谷派 萬 行 寺
                             御門徒各位

彼岸 -中日-

今日は中日。
昼は大入り、夜はまばらな参詣でした。
夜は昼働いている人が来られるようにと思い、7時半にしていますがなかなか若い人が集まらないのが現状です。

<今日の法話>
正信偈、「善導独明仏正意」の善導大師の六字釈。
『南無というは「帰命」なり』という南無阿弥陀仏の云われを丁寧に話してくださいました。


御参詣には、肩衣と大谷声明集(上)をご持参ください。
syomyoBOOk

彼岸会(初日)

昨日は、梵鐘落慶法要でした。
この日は前坊守の一周忌でもあり、たくさんの人が新しい梵鐘の音色を聞きに集まってきていました。
まず鐘楼堂の前でお勤めをしたあと、梵鐘を鳴らしました。
初めてきく梵鐘の音色を静かにじっと聴きこんで、誰も声を出す人はいませんでした。

そのあとは本堂で感話と住職の法話です。
感話では、お二人の方が話されました。前の梵鐘を運んできた当時、通る家々みんな出てきて見ていた様子や、前坊守との思い出などを話していただきました。真宗門徒として生まれたこと、萬行寺にご縁をいただいた喜びを語ったとても感動的な感話でした。
住職の話は梵鐘の銘についてでした。

今日は彼岸会初日。
昼は住職、夜からは漢忠夫師です。
今回は南無阿弥陀仏の云われ善導の六字釈を中心としたお話です。
「帰命」という字の語源と成り立ちや偏や造りのにいたるまで丁寧に解説を交えながら話してくださり、人間とはどういうものなのかということまで話してくださいました。

あしたも続けて南無阿弥陀仏の云われ善導の六字釈を中心としたお話です。

どうぞどなたも御参詣ください。