非核非戦シンポジウム

東本願寺長崎教務所にて、「非核非戦シンポジウム」が開かれました。
講師に川棚の福浄寺住職である深草昭壽師をお迎えし、パネラーに寺本温氏(第二組 崎戸真蓮寺住職)・武宮智水(第三組 正蓮寺住職)をお迎えしパネルディスカッションも行いました。長崎教区では長崎の原子爆弾投下から間もなく70周年を迎えます。そこに向けて教区では原爆70周年記念の「非核非戦法要」の計画があがっています。
深草先生は非核非戦という言葉の意義と、0回大会の雰囲気を語ってくださいました。パネルディスカッションではそれぞれのパネラーが出会った非核非戦を語っていただきました。とても有意義なシンポジウムでした。

遇願洞

今日は愚願洞。
若手を中心とした学習会、ただいま「本願文」を勉強しています。
仏説無量寿経の中で要中の要、四十八願をもう一度学んでみたいということで、始まったばかりです。
毎回発表者を決めて研究発表していただきます。
なかなか和気あいあいとして楽しい学習会です。

非核非戦法要 共に生きよ

8月9日は長崎で会いましょう。

<68年目の非核非戦法要厳修!>

 この法要は、たった一発の原子爆弾によっていのち奪われた人々の声なき声を聞きつつ、人間の心の闇を破ろうとする如来の大慈悲をいただく法要です。
長崎教区は原爆をご縁に長い間この法要を大切に勤めてきました。戦後の長崎教区は非核非戦とともにあったと言っても過言ではなかったといわれています。
私たち人間の心の在り方を“戦”と“核”という言葉で表現し、その心に「非」と問いつづける如来の深心を「非核非戦」としていただいてきました。
そこからたった一発の原爆によって焼かれ亡くなっていった方々が、人間という「いのちの相」は私たちに何を語りかけているのか。そのご縁を通して私たちは南無阿弥陀仏の教えをどのようにいただいていけばいいのか考えてきました。

 一般的には「非核非戦」と聞けば、戦争反対!核兵器反対!というイメージで受け取られそうなこの言葉。単にそこにとどまる言葉ではありません。
平和を求めて平和のために殺しあう。たがいに涙を流し、傷ついてもまた平和を求めて争いあう。これもまた人間ゆえの悲しみでもあります。
「戦争反対」と叫べば、その言葉によって新たな争いを生み出していくのも私たちの宿業です。「人間は互いに平和を叫びながら、銃を向けあい互いに傷つけあう存在」とある先生が言っておられました。

戦争を興すのは人間の「心」です。自身の欲望追求のために「核」を造ったのも人間の心です。自身の欲望のためにそんなものを造り出してしまう人間の心の闇(核)に「非(あらず)」といい、自身の欲望のために争いあう心に「非」と如来が叫んでいる。その大慈悲を指している言葉です。


 非核非戦の碑の中には原爆で亡くなった何万体ともいわれる引き取り手のない人たちのお骨が入っています。一発の原子爆弾によって焼かれた人々。その声なき声に耳を傾けると、「共に生きよ」との声が聞こえてくるのです。

 釈尊はこのようなことを言われています。
(要約)争いあい憎しみあう世界の中にあっても、われわれは争いあうことなく憎しみあうことなく安穏に生きよう。


非核非戦の碑 清掃奉仕

今日は毎年8月9日に長崎教務所にある長崎教会で行われている「非核非戦法要」の準備で境内の清掃作業です。


「非核非戦の碑」は、長崎教区の歩の中で最も大事にしてきた財産でもあり、教化活動でもあり、法要でもあります。<以下は長崎教区HPより引用>■1945年8月9日11時2分、長崎上空に飛来したB29「ボックスカー」より投下された一発の原子爆弾によって、長崎は一瞬にして「死の街」へと変貌しました。その時の死者は、約15万人とも言われています。■累々と横たわる亡骸は、その多くが荼毘に付されたものの、その後長らく野ざらしになったものもあり、また荼毘には付されたものも、お骨の状態で放置されていたものも多くあったと聞き及んでいます。そして、多くの亡骸を荼毘に付し、放置されていた場所のひとつが、現在の松山陸上競技場だったそうです。
■原爆投下の翌年、進駐軍が松山陸上競技場に飛行場を建設することとなりました。このままではお骨が重機に踏み潰されてしまう、と危惧された人々が立ち上がり、進駐軍に飛行場の着工をしばらく待たせ、その間にお骨を収集しました。その後も、お骨が見つかるたびに納められ続け、今では1万体とも、 2万体とも言われるお骨が、ここ長崎教会の「非核非戦の碑」に、収められています。■しかし、この収骨所は、決して原爆で亡くなった方々の「慰霊」のために建てられたのではありません。ヒトを殺さねばならなかった、戦争をせねばならなかった、そして原爆を造り落とさねばならなかった、すべての人間の「無明」が、私の「愚かさ」が明らかとなる「場」として、この収骨所はあるのです。■国籍も、出身地も、名前も、年齢も、性別も、まったく分からない人々が私たちに尋ねて下さるのは、「共に生きよ」ということです。それ故、他者にはたらきかける「反」をも内に抱き、自らのうちに問いかける「非」ということばをもって、碑文としました。是非一度、お立ち寄り下さい。



そのあとは毎年恒例のバーベキュー。匂いに誘われて仕事上がりの若者達が夜な夜な集まってきます。
賑やかな夜です。

学習会 遇願洞

若手を中心にした学習会「遇願洞」。
もう何年になるのでしょうか。

3年前の宗祖親鸞聖人750回御遠忌お待ち受け大会にて、同朋会運動の学習会を進めるとこいう事を協議決定し、御遠忌後から同朋会運動について学習を行い、長崎における同朋会運動の展開と歴史を先輩方に学ぶということを主眼において進められた冊子がみごと完成しました。
今回から新たな学習内容「本願文」について学ぶことになりました。トップバッターの発表者は第一組、浄満寺の若院さんです。
最初はまず「第一願」。

設我得仏 国中人天 地獄餓鬼畜生者 不取正覚


長崎教区秋安居(ながさききょうく しゅあんご)三日目

信偈に学ぶ
本願念仏の歴史 ー法蔵菩薩願心の成就ー
    藤場俊基師

 最終日の今日は寺族物故者の追徴法要が行われました。
今年は三名の方が亡くなられました。ああそういえば、あの人も亡くなられたんだったなと
それぞれ寺院の興隆に力を尽くされた方々です。

さて、長い間「往生」と「成仏」という問題をどのように捉えていけばいいのかという大論争がありました。これを曽我量深先生は「往生は心にあり、成仏は身にあり」という端的な言葉で明確に示されておられます。

長崎教区秋安居(ながさききょうく しゅあんご)二日目

今日も長い一日です。ずっと座りっぱなしというのもけっこうキツいものです。
先生もずっと講義をされるのですから本当に大変だなと思います。
思えば曽我量深先生が長崎に安居に来られたのは最晩年の頃だと聞いています。80歳すぎての講義は体力・気力ともに大変なことだったのだろうと思います。
曽我先生に「長崎に行きなさい。長崎の人は墨袈裟をかけて座っておられるのでぜひ行った方がいい」といわれて安田理深先生が長崎にお見えになられたのだそうです。これまで、そうそうたる先生方が安居の講師を勤めていらっしゃいます。

二日目は大衆供養が行われ、教区内のご門徒さんが参詣されての法要です。
「仏説阿弥陀経」が総勢50名近くの僧分により読誦されます。この一年で賑やかなお勤めです。




長崎教区秋安居開筵(ながさききょうく しゅあんごかいえん)

年恒例の秋安居。
 大体のお寺は6月は比較的葬儀や行事ごとの少ない月で、比較的出やすい月です。といっても忙しいお寺はたくさんありますが。
今日から3日間、佐世保別院に一同が会して泊まり込みで学習会と教区総会が開かれます。
お医者さんだったら◯◯学会というように、どの業界でも一同に集まって学習や見識を深める研修会などがあるだろうと思います。お坊さんの業界ではこの安居がそれに当たるのではないかと思います。
安居は釈尊在世の時代からの伝統的なものなのだそうです。
本来、宗門が定めた本講の講師をお招きして勤められるものが大谷派の正式な安居ですが、長崎教区は独特の成り立ちによって始まったもので、宗門の規定する本講の安居とは違ったやり方でお毎年行ってきました。講師の腑地場先生がいわれるには、規模も参加者の多さも今はこんな安居はないのだそうです。かつては前列に座っているのは熱心な若手か教学に関心の高い方々が座っています。長崎の場合、前列に座っているのは教区の重鎮や老僧方が座っておいでになる。大体今は老僧や教区のベテラン方は参加されないか、あるいは端っこの方に座っておられる。老僧方はほとんど参加なさらない。と言われていました。

ずは初日。


「正信偈」についての講義が
藤場先生は今年で二年目。一期が3年の約束ですから、来年までおいでになります。




長崎教区子ども会

 今月から6月まで毎月、第一組の照圓寺(清水町)にて長崎教区の子ども会を開きます。萬行寺からは中学生から1歳児までの9人で参加です。今月の8日が花まつりということもあり、今回は華御堂(はなみどう)に納められたお釈迦さまの誕生のすがたをかたどった誕生仏に甘茶をかけてお釈迦さまの誕生をお祝いしました。


長崎教区 書道講習会

長崎教区では、これまで毎年仏華講習会が行われていました。その講習会がひとしきり終わり、今年から新たに書道講習会が始まりました。対象者は主に住職・若院・寺族・法務員です。
僧分はなにかと筆字を書く機会が多く、それだけに書の心得も大事です。
かくいう私も書はあまりやっていないので苦手なものの一つですが、いざという時に普段書いているかそうでないかがよくわかると思います。
決して上手な書でなくとも、味わいのある字を書く人もいれば、きちっと手本の通りに各一もいます。
書には草書・行書・楷書・篆書・篆書など、バラエティーにとんだ書き方があるそうで、はじめるとなかなか奥深いものがありそうです。
今日は楷書からはじめて草書などの独特の筆使いを習いました。

一組 新年互礼会

長崎教区第一組の新年会は組内のお寺の報恩講がすべて終わってから行われる習わしになっています。従って一番おそい報恩講は時津の萬行寺と南有家の専念寺が同じ日程で最後になりますので、毎年法務の少ない31日の前の日の30日に行っています。
おおよそのご住職や若院さんや一組の各寺院選出の役職者などが一同に出席しての大宴会です。

 昨年は御正当御遠忌の年で、多くのご門徒さんを東本願寺におつれしました。これからは各寺院がこぞって御遠忌をお勤めすることになります。
 今回の互礼会でもいくつかの寺院で御遠忌法要厳修の報告、住職の就任と退任の挨拶などもあり、御遠忌を機に住職が交代するなどの報告がありました。こうして少しづつ時代が変わって行くのだとつくづく感じました。

子ども報恩講

今回の「子ども報恩講」は9回目になります。今回からスタッフを刷新し、新体制でスタートしています。何度か会議をもち、佐世保別院での報恩講は、長崎教区の大切な報恩講であるという原点をもう一度しっかり考え直しつつ、子ども報恩講があくまで別院の報恩講の一日を借りて行っている法要であるということをもう一度確認しようということから始まりました。

とはいっても、これまでのやり方を変えるということは今の段階では無理なので、例年の通りに行います。


本来ならば、「子どもの報恩講」、「大人の報恩講」と分けるところにも弊害が起こってくることはあります。普段の別院報恩講には子どもは参詣できないのかといえば、そうではありません。しかし、子ども/大人と分けてしまえば普段の悲に孫を連れてお寺に参詣をしようという人も減ってくるのも当然です。本来ならば、そのような区分けをせずに誰でも参詣できるようにしておくことが望ましいのですが、どうしても教区の教化体制からいってもどこか上手くいかないところがあるのです。



長崎教区の活動のシステムは「かざぐるま」とよばれ、一つの部署に風があたれば、それに付属している婦人会や壮年会や仏青などの全体の組織が連鎖的に活動を始めるシステムになっているのですが、現在はどの部署においても各部まかせになってしまい、上手く連動できないでいる状態です。

これから、スタッフが刷新され、色んなことに新風を送り込んでいると思います。