新型コロナウイルスの感染症拡大の騒ぎもようやく落ち着きを取り戻してきました。感染拡大の間、様々な対応を余儀なくされ思うような報恩講が勤められませんでした。しかし、その反面考え直すべき事柄についてワンポーズとれたのは大きな収穫だったように思います。考えてみれば、コロナウイルスの感染拡大によって、私たちの有り様を顧みて見直すタイミングとしては最適だったなと振り返って思います。
この機会に本来「すべきこと」と「すべきではないこと」を見定めた再出発をしたい。とは思っていましたが、そこは伝統社会(お寺)の難しいところ。
もしこれが一般企業であれば「こうやればいいんじゃない?」とスムーズに事が運ぶと思いますが、それが簡単にいかないのが伝統というものです。しかし逆からみれば、だからこそ良いとも言えることが多いのも事実です。その点は忘れてはならない事だと思います。
ということで、前振りが長くなりました。
今回の御例会において、それほど多くはありませんし大きな見直しではありませんが、現状(少子高齢化など)から出来ることを
の幾つか改良しました。
1、年間の「おみがき」(仏具みがき奉仕)の回数の改訂
2、法要日程と内容の見直し
3、報恩講でお手伝いいただく方のお斎の見直し
報恩講は親鸞聖人の祥月命日を機縁として念仏の教えに出遇う御仏事ですが、私たちにとって親鸞聖人という存在はどのようなものであるのか、または親鸞聖人の生涯が、現代を生きる我々にとってどのような意味を持つか。その問いを訪ねる真宗門徒にとって最も重要な御仏事です。これから、門徒と一緒に報恩講をお勤めいたしますが、この仏事が「一人(いちにん)の報恩講である」とともに、報恩ということを深くいただくご縁となればいいのではないかと思います。
※1 講(こう)・・・・・相続講と呼ばれるお寺の組織。
宗門とお寺を支える聞法を中心とした寄合。全国の大谷派寺院で明治の頃始まった仕組み。
※2 講頭(こうがしら)・・・講を取り仕切るリーダーで、お寺と地域御門徒の連携をはかるパイプ役。
]]>
1月22日から28日までの一週間、「報恩講」がつとまります。
どなたもお参りください。
昔は何もなかったが、何かがあった。
今は何でもあるが、何かが足りない。
報恩講の時節になりました。本年も皆さまと聞法に励みたいと思います。昔から真宗門徒は「親の法事より報恩講、親の法事も報恩講」・「報恩講に参るのが真宗門徒」と言われるほど、報恩講を大切にする気風がありました。
原爆以前の長崎では、報恩講の時期になると商店も軒並み休業するほどお寺は賑わった、と言われています。その後の復興により、生活が安定するとその光景は一変したと聞いています。しかし、どんなに便利になり生活が豊かになろうとも、それらが人生の空虚さの解決にはなりません。親鸞聖人の教えは、そのような私たちに「だからこそ、道を訪ねていこう」と背中を押してくださるのでしょう。どうか次世代の念仏者も誘って、お寺の法要にお参詣くだいますよう、ご案内申し上げます。
今回、研修をはじめて行ったとのことですが、
午後は前進座の『花こぶし』を観劇されました。
]]>ずいぶんと寒くなってまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。さて、この度の法要は浄土真宗の拠り所となっている経典『浄土三部経』が読誦されます。
永代経法要は、数多ある釈尊の説法の中でも「浄土」について説かれた経典を拠り所とし、導かれて生きられた先達を訪ねつつ、私たちより続く未来の仏法者への道をつくる法要でもあります。
この度、厳修される永代経とは、まさに「お釈迦さまの報恩講」ともいえる真宗肝要の法要の一つです。どうぞ、そのお経に「念仏して生きる」人生の深い意義を共に訪ねてまいりましょう。有縁の方々を誘いあって参詣下さいますよう、ご案内いたします。
「ぼーとして生きてるんじゃないよ」とチコちゃんに怒られそうです。
5歳のチコちゃん曰く、
「大人になると時間の流れが早く感じるのはなぜだろう?」
その答えは
「キラキラしていない。生活の中に感動がない」からなのだそうです。
・・・・・・確かに・・・・・
毎日同じ事の繰り返しで、日常に感動がない。子どもを見ているとまさにそのことがわかります。
ということで、
暑さ寒さも彼岸まで。あっという間にお彼岸のご案内です。
人の世の悲しみ深く知る頃は
いよくみのり法の尊かりけり 金子 大栄『くずかご』より
ある方が私にこう仰いました。
「これまで家族の為に他人を蹴落としてでも、なり振り構わず働いてきました。しかし定年を迎えた今、これまでの自分を振り返ってみると、私の人生これでよかったのかと思います。そう考えると、「寺に参れ、聞法せよ」と言っていた親の気持ちが今になって分かるような気がします。」
まさに『時機純熟』、仏法のご縁が熟したのでしょう。人の世の悲しみを知った今こそ、尊き教えに出遇う無二のご縁ではないでしょうか。
実りおおき聞法の季節です。みなさま有縁の方を誘って、どうぞお参詣ください。
法要の参詣は宗旨・ご先祖の有無に関係なく、どなたが何回お参りされてもけっこうです。特に次世代の方々にお勧めください。
]]>
スタッフあわせて総勢80名ほどの人が集まりました。賑々しく行われました。
萬行寺からは4名の子が参加。お勤めの導師を務めました。できればもう少し日曜学校の子たちを誘って参加したかったと後で思いました。参加した子は大変楽しかったと言って帰ってきました。
これだけ大人数の児童大会は久しぶりです。長崎教区は現在3つの地区に分かれています。その3つの地区が夏になるとそれぞれの場所で児童大会を盛大に開きます。これが一つの伝統になっています。市内を中心としてた我々第1ブロックも夏になると子どもたちが集まって賑々しく勤めてきました。昨今はコロナウイルスの感染拡大によって自粛をしていましたが、ようやく開催することができました。
ここ長崎教会(長崎教務支所)は旧長崎教区の教務所として長年にわたって教区の活動拠点として長い間、中心を担ってきました。しかし2020年7月1日から教区が改変されたことにより、長崎は九州教区長崎組と変わりました。その後当面の間は長崎教務所は『長崎教務支所』と改称して残されることになりました。
敷地内には「非核非戦の碑」があります。その中には1945年8月9日11時2分、長崎上空に飛来したB29「ボックスカー」より投下された一発の原子爆弾によって亡くなられた国籍も、出身地も、名前も、年齢も、性別も、まったく分からない1万体、または2万体といわる数のお骨が収められています。
長崎の原子爆弾による死者は、約15万人とも言われ、その人数と惨状からいかに原爆の被害が甚大であったかが分かります。
累々と横たわる亡骸の多くは荼毘に付されたそうですが、長らく野ざらしになったものもあったり、あるいは荼毘には付されましたが、お骨の状態で放置されていたものも多くあったのだそうです。そして、原爆投下の翌年から長崎の御門徒がたがお骨を収集され、長崎教会に集められました。その後もその噂を聞きつけた人などからお骨が届けられここに納められたのだそうです。
今回の児童大会は、長崎教区が大切にしてきた非核非戦ということを子どもたちに少しでも知ってもらえたらと思って企画しました。碑の中に収まった遺骨や遺品などを実際に見てもらい、原爆によって亡くなった人が本当にいたんだと実感してもらえるようなことがあれば良いと思いました。
お昼は流しそうめん。前日から準備したかいがあり、計算通りうまく行ったそうです。会全体としてはうまく行ったようですが、まだまだ問題があったように感じます。9月に入ってから反省会がありますので、その時までに反省点をまとめていこうかと思っています。
スタッフの皆様、大変お疲れ様でした。
]]>まずは勤行。その後ご住職の仏さまのお話がありました。
その後は近くにある「つがねおとしの滝」に行って水遊びを楽しみました。気候もよく、子どもたちが遊べるほどの滝でとても気持ちが良かったと大好評でした。
滝で水遊びをした後はお寺にかえって、お昼の美味しいカレーをいただきました。たくさん遊んだ後のカレーはとても「美味しかった」とまた大好評。午後はちょっとだけ友だちと仲良くなるためにゲームをしました。これも萬行寺と真光寺の子どもたちが混ざり合って楽しんでいました。普段学校では友だちと遊ぶのが苦手な子もいました。ここの日曜学校に来流ようになって、自分の居場所が見つかったのでしょうか、この日も積極的に質問などをして楽しんでいる様子を見てホッとすることもありました。
以前の予定では来年の夏は萬行寺で行う予定です。しかし雪浦が好評だったので来年はひょっとしたら雪浦にまたお邪魔するかもしれません。日曜学校は毎年子どもの入れ替わりがありますので、同じ子が来るとも限りませんが、また行きたいと楽しみにしてくれるのはありがたいですね。中学生になってもきてください。雪浦の子たちも以前の萬行寺のお泊まり会に来てくれていた子もいました。以前のお泊まり会を覚えていてくれて嬉しかったです。子どもたちの「また行きたい」という声はなんと言っても続ける原動力になります。
===============
お寺の子ども会は継続し続けることがその活動の命です。その原動力となるのは、子どもたちの手をあわせる姿でしょう。その中で子どもたちを楽しませることは忘れてはなりませんが、それだけになってしまったら、お寺の子ども会にはならないでしょう。そこに仏の教に基づいた人間教育が大変なことだと感じます。しかし、これが一番難しいと感じます。
]]><ご案内>
蝉声天に満てる候、いかがお過ごしでしょうか。 かつて人々は野山の草木や路傍の虫にも手を合わせて生きていました。それはすべてのいのちと共にあるという豊かな生き方であるように思います。ですから当然の如く農繁期が終わると、生きるために仕方なく殺してきた虫たちのいのちを拝むため、お寺で「法要」を勤めてきたのです。
一方、私たちの生活は文明の発達によって格段に便利になりました。しかし、かつてのような時代とは決定的に何かが違うと感じます。
夏の一時、有縁の方々を誘ってお寺の法要に参詣下さいますようご案申し上げます。
]]>
この歎異抄は、仏教書の中でも多く読まれている本だと聞いています。今日では様々な視点から多くの本が出版されているいわば名著です。
宗教の問題を考えるという意味において、歎異抄は現代社会を生きる私たちに大切な視座を与えてくれることでしょう。そこに流れている宗教的普遍性は時代を超えもなお私たちに充分にうったかけるものがあります。
「他力の信心」・「有縁の知識」etc・・・・聞きなれない言葉は多くありますが、親鸞聖人の珠玉の言葉に触れるたびに新しい発見があります。
先月(5月の6回目)は第5章を取り上げました。この章は、前の第4章から続いて問題が続いて展開している点もあり、続けましたが次回の第7回目は第9章を中心に学んでいきたいと考えております。
]]>
その教えは国境や言葉、時代など境遇の違いを越えて、人々が共に敬ってきた教えは今日を生きる私たちにどのような道を示しているのでしょうか。
この度の法要は浄土真宗の要である『浄土三部経』(仏説無量寿経・仏説観無量寿経・仏説阿弥陀経)が読まれます。
皆様なにかとお忙しい時節とは存じますが、どうか万障繰り合わせの上、お孫さんやご家族・友人など、有縁の方々を誘いあって参詣くださいますよう、ご案内いたします。
]]>
それから10時ごろまでそれぞれ自由に遊びます。それからおやつを食べてお昼前には帰ります。これが毎週のメニューです。コロナ前の一時期は70人ぐらいの子どもでごった返した花まつりでしたが、この頃は少人数でゆっくりとやっています。子どもたちも慣れたものでいつものようにして遊んでかえります。
この日は釈尊の誕生の話をモチーフに「生まれるこ」とはどういうことなのかということをお話しいたしました。花まつりといえば「七歩行道・天上天下唯我独尊」という言葉で知られています。人間の苦の中に身を投げる菩薩としての釈尊の姿は、人間の苦悩を除かんとする如来の本願を示現した物語としてよく語られます。これは人間の浄土を求める欲生心をこのような物語で語ったものだと了解できます。あなたも私も世界中、過去の人も未来の人も誰もがやり直しの聞かない、代わってあげる事のできないたった一度きりの「独尊のいのち」を生きている。そのいのちが悠久の歴史の中で今、私となって生きている。ことが尊いのです。
]]>
寺報『徳風』36号も追って掲載いたします。
報恩講は宗祖親鸞聖人の祥月命日を機縁とした真宗門徒の肝要の法要で、古くから「報恩講に参らないなら真宗門徒ではない」。あるいは「親の法事より報恩講・親の法事が報恩講」とまで言われるほど大切にお勤めされてきた法要です。
その濫觴(らんしょう)は法然上人の遺言に由ります。古来より日本の伝統的な仏事は、生者から死者へ追善を行う追善の仏事でした。
法然上人は自分の滅後には亡き人の追善を行うための仏事ではなく、亡き人を縁としその御恩に報じ念仏をことを主とする仏事を行なってほしいと遺言されました。
法然上人が勧められた報恩の仏事という考えは、これまでの日本人には全くみられなかった新しい仏事の潮流でした。
これに因って日本の仏事に新たな流れが誕生したのです。この伝統が親鸞聖人の滅後にも引き継がれ、本願寺第3世の覚如上人の時代にあたって親鸞聖人の33回忌を機縁とし、これまで行なわれてきた報恩の仏事を本格的に『報恩講』とあらため、我々の真宗門徒の根本仏事として毎年全国の真宗寺院で永らく勤められるようになりました。
現代では、親鸞聖人といっても遠く離れた昔の人ではあります。しかし、私達が身近な人を縁として営む真宗の仏事は、どれも報恩講なのです。つまり、私たちに先立って亡くなっていかれた方々は親鸞聖人と同じように私と念仏の縁を結んでくださる方々としてその御恩を報じ、その方々とのご縁を通して阿弥陀如来の教えに遇うために仏事が展開するのです。
そう言った意味で報恩講は、私たち真宗門徒にとって仏事の根本なのです。
どうぞ皆様うえんの方々を誘い合わせて報恩講に参詣ください。
この度の法要は昨今の感染状況を鑑みて、通例通りの一週間の厳修ですが、日中のみといたします。夜の座はありませんのでご注意ください。(住職)
]]>萬行寺では2ヶ月に一回法要を行なっております。
11月は永代経法要が勤まります。
【ご案内】
色は匂へど散りぬるを 我世たれぞ常ならん(涅槃経)
右のことばは釈尊の遺言として有名な一文です。「この世のすべては常に移ろいゆくものである。だからこそ怠ることなく道を求め続けて歩め。」と語られ、釈尊はその生涯を終えてゆかれました。この言葉に励まされて道を歩んだ先達が語り継いできた言葉がお経です。浄土真宗ではその教え(お経)を直接聞かせていただく法要を『永代経』として報恩講とならぶ重要な法要として勤めてきました。
どうぞ、みなさま有縁の方々を誘いあって参詣ください。
このいわゆる『講あがり』では毎年、各地区の講頭が「宗門納付金」と「萬行寺護持費」を集めて納入される日で、それに合わせて報恩講が勤まります。
今回は萬行寺の「同朋会結成50周年記念法要」ということもあり、九州教務所長においで頂き表彰式が行われました。
]]>
コロナウイルスの感染拡大で京都に行くタイミングを逃してきましたが、この度、ようやく得度考査から2年後の式となりました。子どもたちには学校をお休みして初めての京都。
大きな御影堂も京都の人の多さも何もかもが初めて事。どうやらくたくたになって帰ってきましたが人生に一度きりの大切な式。いい思い出になったのではないかと思います。
これからはどうなるかわかりませんが、どうぞよろしくお願いします。
私が10歳で真宗本廟にて得度をした時のことを思い起こしています。記録によると昭和57年の8月5日とありますから、ちょうど40年前のことです。
]]>記念すべき『第1回 仏青アカデミー』は萬行寺を会所に開かれました。
長く続くことを願います。
]]>『おとなの寺子屋講座』は9月から新たなテーマで学んでまいります。
今回から親鸞聖人の珠玉の言葉が詰まった名著ともいわれるお聖教である『歎異抄』をテキストに「宗教とは何か」ということを考えていきたいと思います。
第1回目は9月25日(日曜日)に行います。どうぞ多くの方の参加をお待ちしております。
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや
この一文で有名な『歎異抄』。哲学者の西田幾多郎をはじめ、司馬遼太郎・吉本隆明・遠藤周作・梅原猛など多くの文豪や文化人・哲学者に限らず海外の宗教者の心を魅了した、いわば世界中で読まれている名著とも言えるお聖教です。
そこには時代を超えて息づく親鸞聖人の珠玉のことばが綴られ、読む人の心を惹きつけます。
講師 渋谷行成 師(九州教区 駐在教導 珀明寺住職)
彼岸より 佛法聞けよと 如来の呼び聲
夏の暑さもようやく和らぎ、秋の虫の声も聞こえるようになりました。いよいよ聞法の季節がやってまいります。
お彼岸はは聖徳太子の時代より日本独自の伝統仏事として勤められるようになったと伝えられています。
仏教を敬った聖徳太子は聖地であるインドから遥か遠く離れた極東の地、日本を「日出る国」と表現されました。
その敬い心から彼岸の時期には太陽が真西に沈む一週間を西方の阿弥陀仏国(彼岸・浄土)を観ずる彼岸会(ひがんえ)として勤められるようになったのが由来といわれています。
この度も以下の日程とご講師で法要をお迎えいたします。コロナウイルスの感染がひろがっております。お参りの際には感染予防をお願いします。お寺でも予防を心がけつ
つおこないたいと思っております。どうぞ、ご家族を誘ってお参詣ください。
すでに決まっていることだからと、すぐに信じることはやめなさい。
多くの人が言っているからといって、信じることはやめなさい。
聖典に書かれているからといって、信じるのはやめなさい。
師や権力者が言ったからといって、信じるのはやめなさい。
長い間受け継がれてきたことだからといって、信じるのはやめなさい。
自分で分析し納得した上で、それらがすべての人に苦を生じさせない行為であると知ったならば、受け入れて尊敬しなさい。
仏陀のことば『カーラーマ経』より
どうぞ、有縁の方々を誘ってお寺の法要に参詣下さいますようご案内いたします。
講師:中川 唯真氏(九州教区駐在教導 長崎教務支所)
・・・・・・10日 日中(10:00〜12:00)
11日 〃 ( 〃 )
住職 亀井攝
・・・・・・10日 逮夜(19:30〜21:00)
]]>
今日もいつものメンバーです。
「この頃の日曜学校は楽しい」と言ってくれてありがたいです。
お話は釈尊の出家の動機ともいわれている『四門出遊』の物語。
ちょっと長かったけれど、じっと聞いてくれていましたよ。
子供の頃に耳に入れておくべき話ですね。
こんなちょっとしたことが子供の頃の思い出として残ればいいなぁ・・・・。
わたくしたちは仏の子どもになります
わたくしたちは正しい教えを聞きます。
わたくしたちはみんななかよくいたします。(子どもの三帰依)
おやつの時間。
仏さまにお供えした各自が持ってきてくれたお菓子をみんなで一緒にいただきます。
「みひかりのもと」
]]>
その中の25日の定例法座を『おとなの寺子屋講座』と銘打って2年ほど行ってきました。
当初予定の講座が終了し、仕切り直して再出発の予定でしたがコロナウイルス感染拡大の影響もあって2年ほどやむなくお休みしておりました。
この度再始動が決定し、5月から4回の予定で正信偈について学んでおります。
4月は「偈前の文」と「帰敬偈」についてお話ししました。今月からいよいよ「法蔵菩薩因位寺 在世自在王仏所」からはじまる弥陀章に入ります。
どこまでできるか、どんな風になるかわかりませんが、一緒に学んでいきたいと思います。
どうぞご参加ください。
]]>
正信偈・ちかいのことば・御文・法話です。
楽しいと毎週来てくれます。
今日の
ご法話は正信偈に出てくる曇鸞大師のお話。
「三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」
でした。皆よく聞いてくれました。
]]>
長崎組の秋安居(しゅあんご)が開筵(かいえん)いたしました。コロナウイルス感染症が拡大した影響で2年間お休みしておりましたが今年は少々プログラムを変更して行われました。テーマ『立教開宗に学ぶ』。講題「立教開宗に学ぶ『教行信証』後序を通して」と題し、加来雄之氏にお越しになり三日間にわたってご講義いただきます。
安居とは、元々梵語の「雨期」を日本語に訳したもので、古くはお釈迦様の時代から伝統されてきた修行の形態だそうです。
インドでは毎年雨期にあたる4月から7月の約100日間、草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動する時期に入るため、遊行(外での修行)や布施行や托鉢をすると無用な殺生をするのを防ぐ目的もあり、その時期だけそういった修行をやめて一定期間一カ所に集まって僧侶が集団で修行する期間のことを安居というのだそうです。
日本にも仏教の伝来とともに中国から伝わってきました。現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い安居に入る結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域から一歩も外へは出ずに修行に明け暮れるのだそうです。
3日間、長崎県下からたくさんの住職や法務員・坊守さんが一堂に会します。初日は約50名近く集まりました。長崎組には全部で50ヵ寺の寺院がありますが、その中には法務員さんがおられるお寺も少なくはありません。その法務員さんもこの日は法務は休んでの安吾ですから賑やかなものです。
旧長崎教区の安居は70年以上昔、当時は西坂(現在の長崎駅前の26聖人殉教の地)にあった東本願寺長崎説教場(旧長崎教務所)があった時代に『夏期講習会』として始まりました。夏になると、教区内の住職(当時は住職のみだったそうです)が柳行李を担いで暁烏敏・金子大榮・曽我量深など浩々洞(こうこうどう)の諸師方のお話を聴聞に集まっていたそうです。
この伝統が受け継がれ、西坂から筑後町に教務所が移転しても相変わらず浩々洞出身の先生方はおいでになられました。曽我量深先生は昭和45年までおいでになられ、翌年の昭和46年に御遷化なさいました。その頃、長崎教区で『秋安居/しゅあんご』と呼ばれるようになりました。
現在では、長崎教区から九州教区長崎組となり会所も佐世保別院で行われるようになりましたが、長崎の伝統として大切にされています。
本来ならば、本講の先生がおいでになってご講義されるものなのですが、長崎の場合は本講の先生方をお呼びせず、自分達の組で聴講したいと思う先生方にお願いしておいでいただいておりますから、いわば純粋な安居ではありません。一時期は本講の先生方を呼ぼうという声もあったそうですが、初心を忘れず現在でも「夏期講習会」のスタイルをとっています。
かつて長崎にご講師としておいでになっていた曽我量深先生が弟子であった安田理深先生にこういわれたそうです。「安田君、あなたもいつか長崎に行きなさい。長崎の皆さんは、威儀正しく墨袈裟を掛けて正座をしているんだ。」とおっしゃったことを思い出しながら「曽我先生に長崎に行きなさいといわれのできておるのだ。」とおっしゃったそうです。
非常に素朴な受け止め方をしておられます。我々が墨袈裟を掛けていることを曽我先生も、安田先生も非常に大切にしておられましたことを思うと身が引き締まる思いがします。
]]>
約2年ほどお休みしておりました『おとなの寺子屋講座』を5月から再開いたしました。
私たち真宗門徒が日頃から親しんでいる『正信偈』。このうたには一体どんなことが書かれているのでしょうか。
今回から正信偈をみなさんと一緒に学んでいきたいと思います。
とは言っても、正信偈は全部で120句60行もあり、これを始まりから最後までお話しするとなると相当な回数になりますので、ひとまず4回こっきりといたします。できるところまでお話させていただこうかと思っております。
継続はやっぱり力なり
毎月25日は法然上人・蓮如上人。28日は親鸞聖人の2つの御命日定例法座を朝10:00から欠かさず勤めてきました。
しかし、親鸞聖人の御遠忌をお勤めした頃から、もっと御門徒のニーズにあった形の法座があっていいし、一年を通してどの法座も法話を聞くだけオーソドックスなスタイルの法座ばかり。
そこでオーソドックスなスタイルの法座ではなく、参加された御門徒が受身にならない法座がいいなと思い、お寺の推進員と一年かかって協議した末、「お寺としてすべきこと」・「すべきではないこと」。そして意外に見落とされがちなのはお寺の立地。つまり地域柄も大事な要素なのです。その地域柄に合わない事を行っても、長続きしません。
お寺に居る者として大事だと感じるのはお寺側からの「これをしたい・あれをしたい」という要求ばかりにならないこと。
むしろ、その地域の人が何を求めているか。ここには何が必要か・何が足らないのかを深く観察し、その上でお寺と門徒が一緒に取り組めることをが大事なのです。
それができるだけ長いスパンで継続可能なことを行おうと協議され、この企画が実現しました。
派手な企画ではありませんが、2年ほど続けてみてシフトチェンジの時期が来たと思い、見直しを図ろうと考えていた矢先にコロナウイルス感染拡大。これが逆にいい機会となり、各々が気持ちをリセットして取り組めるような気がします。
とりあえず、無理せず。前半(依経段)のできるところまでお話しします。ぼちぼちやっておりますのでどうぞご参加ください。
どこから来ても、どこから聞いてもOK!
参加費は不要です
5月25日㊌ 正信偈1
6月25日㊏ 正信偈2
7月25日㊊ 正信偈3
8月25日㊍ 正信偈4
朝10:00から12:00まで
]]>
御門徒各位
萬行寺住職 亀井 攝
謹啓 新緑の候 御門徒の皆様におかれましては益々ご清祥のことと拝察いたします。
この度、萬行寺庫裡裏の崖(竹藪)工事に着手する運びとなりました。工期は5月の中旬から8月下旬ごろの予定です。
この道路脇の崖はかつて岬の突端として長きに渡り大村湾を眺めてきました。現在は埋め立てられその面影はありませんが戦争の時代には地域の方々が身を隠す防空壕がいくつか掘られていたこともあったそうです。
今日では往来の多い道端ということもあり、激しい風雨によって崩落する危険が高まったことから、補強を兼ねた拡張工事を行う運びとなりました。なお工事費用は御門徒の皆さまからお預かりしております『萬行寺護寺基金』より支出を予定しております。どうぞ皆様のご理解とご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 合掌
]]>ご門徒のみなさまへ
さき前に生まれん者は のち後を導き、後に生まれん者は前をとぶら訪え。
どうしゃく道綽禅師のことば
ずいぶんと暖かくなってまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。さて、この度の法要は浄土の教えについて説かれた『浄土三部経』 がどくじゅ読誦されます。
お経にはまこと真の教えに出遇った人たちから、未来のご先祖へのメッセージが込められています。いったいお経にはどんなメッセージが書かれているのでしょうか。この度の法要は「お経のこころ」を訪ねる私たち真宗門徒にとって大事な法要です。どうぞ万障繰り合わせて参詣下さいますようご案内いたします。
講 師 : 松岡 憲了 師 (波佐見町 安楽寺住職)
]]>
最近ではテレビゲームやパソコンなどが子供たちの遊び相手にもなってくれるようですが、お寺の日曜学校では遊んでくれる道具はありません。自分で遊び方を工夫ながら楽しみを見つけられる道具をと考えています。今まで手製のブランコはありましたが、これから鉄棒もあればいいかなとも思っております。しかし、使わなくなった場合や故障した場合のメンテナンスを考えると二の足を踏むところですね。
一輪車はまだ誰も乗れないようですが来るたびにチャレンジしています。そのうちに上手に乗れるようなることでしょう。
毎年4月28日は真宗婦人会の「長寿者祝い式」が兼修されます。今回は5名が参加されました。
]]>
『信國淳選集』第六巻「第一部浄土」柏樹社
私たちは「生まれたものは死に往くもの」とは誰もが知っています。しかし、身近な人の死を前にすると、自分が知っている死は知識でしかなかったと知らされてくるところに死というもの本当の役割があります。
どうやら人間は経験するということでしか、本当の意味で知ることはできない生き物のようなのです。
私はこの歳になって初めて老眼ということを経験しました。それまでは見えるということが当たり前のことだったせいで、見えないことがこんなに不自由だとは今まで理解できていなかったことを老眼に知らされました。
それと同じように、大切な人の死を目の当たりにしたとき、その人との別れの涙に本当の人間になる喜びをいただくのでしょう。
]]>新しく一年生なられるお子さんのお祝い式を萬行寺真宗婦人会主催で行いました。
うれしいことに今年も9名の一年生とそのご家族がお祝いに参加してくださり、大変賑やかな式になりました。
この会は今年で42年目です。新一年生の父母さんの中にも「かつてお祝いしてもらった」という方もありました。歴史を感じますね。
その他には日曜学校のお兄さんやお姉さんも進級式も含めて集まってもらいました。
お寺と聞くと「お祝い」というイメージはあまりないように思われる方が昨今多いのではないかと思いますが、ここに集まってくださった面々は会の趣旨をよく理解してくださっていて、まことにありがたい限りです。
日曜学校の子供たちの大きな声の正信偈のお勤めが本堂に響きわたってとてもいい雰囲気で皆さんをお迎えすることができました。
これからも賑やかなお祝い会になってもらえればいいなと感じます。そのためには日頃からお寺とのつながりや声かけを地道に続けていくところからではないかと思います。
本日はお子さまの新入学おめでとうございます。
]]>ようやく暖かくなってまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。春のお彼岸をおつとめする季節となりました。
彼岸とは、私たちの世界を「此岸」というのに対し、「彼岸」は迷いを超えた世界(覚りの世界)のことです。その世界は『西方浄土』といわれ、日本では太陽が真西に沈むこの時期が阿弥陀仏の西方浄土を観想するのに適しているということから「彼岸会」が各地で盛んに営まれるようになりました。
なお、18日の初日中には当山第17世坊守(法名 圓純院釋尼智誓 俗名:亀井孝子)の17回忌法要も併せてお勤めいたします。
新型コロナの蔓延が気に掛かる頃ではありますが、感染予防を心がけつつおこないたいと思います。どうぞ有縁の方々を誘い合ってお参詣くださいますよう、ご案内いたします。
【携行品】
● 大谷聲明集(おおたにしょうみょうしゅう)
● 念珠と肩衣 ● マスク ※本や肩衣はお寺で 購入できます。
]]>
詳しくは案内をご覧の上おいでくださいますようご案内申し上げます。
尚、法要期間中は体調が心配な御門徒におかれましては自宅のお内仏において各自報恩講をご家族揃ってお勤めくださいますよう、よろしくお願いいたします。
住職
]]>
昔は何もなかったが、何かがあった。
今は何でもあるが、何かが足りない。
報恩講の時節になりました。本年も皆さまと聞法に励みたいと思います。
昔から真宗門徒は「親の法事より報恩講、親の法事が報恩講」・「報恩講には必ず参れ」と言われるほど、報恩講を大切にする気風がありました。
原爆以前の長崎では、報恩講の時期になると商店も軒並み休業するほどお寺は賑わった、と言われています。その後の復興により、生活が安定するとその光景は一変したと聞いています。しかし、どんなに物に囲まれ生活が豊かになろうとも、それらが人生の空虚さの解決ではありません。親鸞聖人の教えは、そのような私たちに「だからこそ、道を訪ねていこう」と背中を押してくださるのでしょう。
新型コロナウイルス感染の心配な時節ではありますが、どうぞ有縁の方々を誘いあって報恩講にお参詣ください。 (住 職)
なぜ釈尊が覚りを開かれたのか。
その覚りには一体どんな意味があるのか・・・・。
なぜ人間は諍いあうのか。
われわれ仏教徒は釈尊成道の意義をよくよく知り深くたずねることが大切なのです。
それが過去の悲しい事実を受け止め、それを乗り越えていく機縁となるのではないかと感じます。
]]>
<ご門徒のみなさまへ>
秋深くなってまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。さて、秋の法要を左記の日程でお勤めする運びとなりました。
この度の法要『永代経法要』は浄土真宗の拠りどころとする経典「浄土三部経」が読誦される大切な法要です。
お経には、目まぐるしく変わっていく人世にあっても、その中に流れている根本精神は今も色褪せることなく聞く人の心を深く揺さぶり続けられます。それはなぜでしょうか。
そこには我々人間の至奥の要求に応えようとする仏の願いが込められていると言えないでないでしょうか。
今日の世界は深刻な危機を迎えているように思えます。
もし、このようなこの混迷した時代に仏陀釈尊がおられたとするならば、どのように教えを説き示されるのでしょうか。
感染症対策も整え、有縁の方々を誘いあって法要にお参詣ください。皆様の参詣をお待ちしております。
====== 記 ==============
11月
24日(日中 10:00~12:00)仏説無量寿経
法話:住職
(逮夜 19:30~21:00)正信偈
法話:末永 仁氏(岩川町 善教寺住職)
25日(日中 10:00~12:00)仏説観無量寿経
法話:末永 仁氏
(逮夜 19:30~21:00)正信偈
法話:末永 仁氏
26日(日中 10:00~12:00)仏説阿弥陀経
法話:末永 仁氏
]]>何やらオンボロで取手も取れてしまっている引き出しですが、これは「薬箱」です。
現在は紐や電球などを分別して入れるのに重宝しています。まだ現役で活躍しています。
なんでこんなものがあるのかといえば、昔はお寺で薬や醤油などを作っていたよう(商売をしていたのではありません)で、屋根裏には薬研や薬を調合するための道具がいくつか眠っていたりします。
お寺には色々な役割があったのだそうです。
ちょうど役場や学校、薬局などがなかった時代は帳簿は過去帳に、勉強は寺子屋などで、薬草などを作るのも一つの仕事だったようです。
私の父が子供の頃、たまに「薬ありますか?」と尋ねてくる人があったと聞きました。時代ですねぇ。
その尋ねて来た人に「今はもう作っていないんですよ」と答えていたと聞いたことがあります。
この棚はおそらく江戸時代、もしくは明治になってから頃のものかもしれません。古いもので、いつか綺麗に修理してもっと活用していきたいなと思っています。
]]>『秋季
彼岸への道ひらかれて
老いて病む
身にも聞こえる
右の句は
その声は山川草木に止まらず、この身にまで満ちている。そんな魂の歓喜が聞こえてくる
ような句です。
この句を詠んで感ずるのは、
コロナの
蔓延
が気に掛かる頃ではありますが、感染予防を心がけつつおこないたいと思います。どうぞ、誘い合わせて参詣ください。
]]>
]]>
時々、こう感じることがあります。一つの言葉を聞いて具体的に伝わる言葉はいくつもあります。その逆に、ある言葉を聞いてその意味をすぐに受け取りれないものも少なくはありません。その代表といえるのが「永代供養」という言葉ではないかと思います。
2、永代供養って?
皆さんならば「永代」という聞くと何をまず思い浮かべますか? 連想されるものの代表として「供養」ではないかと思います。
実はこの「永代供養」という言葉が実にバラエティーに富んだ内容の言葉なのです。
お寺には「こちらで永代供養をお願いしたいのですが」・「納骨堂(墓)を探しているのですが、そちらのお寺には永代供養はやっていますか」、「息子たちが遠隔地に出て行って帰ってこないので永代供養をお願いしたい」等、いろんな方から様々な永代供養の連絡や相談があります。
その尋ねて来られる方のお話を聞いてみてわかることなのですが、永代供養といっても「墓じまい」から「年忌法事」。または「墓探し」まで様々な事柄が「永代供養」という言葉で表現されているのです。そのどれも一つとして同じ内容のものがないといってもいいほどのバリエーションです。
あまりに内容が掴めませんので、大概は「永代供養とおっしゃっているのはどういう意味で言っているのでしょうか?」とこちらから聞き返すほどです。つまり永代供養と一口でいっても規定や定義が人それぞれでバラバラなのです。見方を換えて言うならば、なんとも便利なニュアンス語であるとも感じます。
これらを聞いてみて改めて思うのが、世間ではこれと言った定義があるわけではないのだなということです。
ですから、永代供養という言語は「無いようにみえてある。あるようにみえて無い。」のです。
3、永代経とは?
また法要にお参りに来られた御門徒さんが「お寺へ永代経を納めたら先祖供養はしなくてもいいんでしょう?」と尋ねられたこともありました。この方は「永代経」と「永代供養」を混同されているようです。
では、永代経とはどのようなものなのかを尋ねてみたいと思います。
真宗では『浄土三部経』=仏説 無量寿経(上・下)仏説 観無量寿経/仏説 阿弥陀経の三つのお経が正依の教典であるとされています。この教典(お経)というのは、釈尊の言葉を集めた「現語録」と言ってもいいでしょう。その釈尊の教えに真の人間になる道を学び尋ねる場がお寺(道場)なのです。
<お経の内容>
釈尊は、生涯にわたって道を歩み続けることを説かれました。ですから、お経にはその釈尊の生前のメッセージが弟子たちの手によって記されているのです。その中には、「どうか阿弥陀仏の説く念仏の教えを聞いて生きるものになってほしい。真実に出遇ってほしい。この経を未来の人々に伝えてほしい」と釈尊は語られています。
<仏法を未来へ伝える>
その釈尊が説かれた念仏の教えに生きた無量無数の先祖の志を受け継いで、私たちは教典に書かれた真実の教え、念仏の教えに出遇うのことが願われています。
4、まとめ
厳しい言い方になると思いますが、お寺は皆様に代わって永代に先祖の世話をするためにあるのではありません。むしろ皆さんが身近なご先祖とのご縁を通して仏法に出遇うことを勧めるためにあるのです。
「真宗では先祖の供養をしない」とは言いません。そこでもう一度丁寧に考えていただきたいことがあります。
「永代にわたって先祖を供養する」ということを受け止めて深く考えてみますと、先祖が大切に護ってこられた仏法を子孫である我々が相続させていただくのが現代を生きる我々の使命ではないかと思うのです。
「先祖が大事」というよりも「先祖が何を大事にしてきたのか」ということが大切なのではないでしょうか。
]]>当山であれば各地区の
しかし、悩みどころは現代は核家族。お寺からの案内状が配布した世帯の主たる人に届いても、肝心の別所帯のご家族までは行き渡りません。この日にお寺で「法要が行われている」。そのことだけでも知っていただきたいけれど、このことが一番難しい。
まだ行ってはいませんが、手立ての一つとして個人宛の案内状が有効ではないかと思います。
お寺から法要の案内状が届いたら、お寺で法要がつとまっている事を(できれば広く)知ってもらいたいと考えています。
]]>
さて、夏の法要『作上がり法要』を今月の13日と14日の二日間にわたってお勤めする準備が整いましたのでご案内いたします。
蝿一つ打っては
南無阿弥陀佛かな 小林一茶
かつて人々は「草叢の虫にもいのちあり」と山川草木に敬意を込めながら、すべての生き物と共存してきたといわれます。季節が巡って農繁期が過ぎた頃、自分たちが生きるためにやむを得ず殺してきたいのちを拝むため、お寺に集まり「作上がり法要」が勤められるようになりました。
一方、現代に生きる私たちは、このような豊かなこころを忘れてしまったように感じます。
どうぞ、有縁の方々を誘ってお寺の法要に参詣下さいますようご案内いたします。
]]>
ここにやってくる子の半分ぐらいが代々日曜学校で育った、お寺にご縁があった家庭の子です。
今日のお話は先週に引き続いて、正信偈序分。
法蔵菩薩が世自在王仏に出あい阿弥陀仏になる前のお話。無諍念王(むじょうねんおう)のお話です。
時々こうして写真を撮りますが、小学校入学前より毎週通ってくる子もいますが、大きくなったなと感じます。
去年の台風で大破した子どもたちが遊ぶ小屋もようやく完成が見えてきました。汗ぐっしょりになって遊んでいます。
]]>
お参りに来る子どもたちにあげると喜んで使ってくれるので嬉しいです。
そこで今回、新たに2色が仲間入りしました。
]]>
『春の永代経法要』をお勤めいたします。
2021年5月13日(木)〜15日(土)10:00〜12:00まで(三日間ともに日中のみの厳修)
この「永代経法要」は真宗で伝統的に大切にされてきた『浄土三部経』が読誦される浄土真宗特有の法要です。
昨今では「永代」と聞くと、「永代供養」という言葉をすぐ連想するようで、「永代供養法要」と読み間違う方に出くわすことがありますが、この「永代経」と「永代供養」は内容も意義も名称もその作用も全く異なる法要です。
『永代経法要』は永代にわたって仏法を相続するための法要という意義があります。その要となるのが「お経」であります。つまり仏陀釈尊のみ教を次世代の人々に相続するための法要といっていいかと思います。そういった意味ではお若い方の参詣が望まれます。
「仏教には興味があるんだけれど、お寺にはさすがに行きにくい」という躊躇する若い方々の肩を押すのは案内状を手に取られたあなたです。
コロナウイルス感染拡大が心配される中の厳修ですが、お寺としても出来るだけ感染防止対策をとって皆さまをお迎えいたしますので、ご家族を誘い合ってお参詣くださいますよう案内申し上げます。
]]>
今日は親鸞聖人の御命日と兼修で真宗婦人会主催の80歳になられた方々のお祝い会を毎年行っております。
去年はコロナウイルスの感染が広がっていましたので止むなく中止と致しました。そこで去年80歳をお迎えした方も今回ご案内したところ、11名の参加がありました。
]]>
今年も新しく一年生なられるお子さんのお祝い式を萬行寺真宗婦人会主催で行いました。
うれしいことに11名の一年生とそのご家族がお祝いに参加してくださり、大変賑やかな式になりました。
この会は今年で41年目にあたるようで、新一年生の父母さんの中にも「かつてお祝いしてもらった」という方もありました。歴史を感じますね。
その他には日曜学校のお兄さんやお姉さんも進級式ということで、集まってもらいました。
お寺と聞くと「お祝い」というイメージはあまりないように思われる方が昨今多いのではないかと思いますが、ここに集まってくださった面々は会の趣旨をよく理解してくださっていて、まことにありがたい限りです。
これからも賑やかなお祝い会になってもらえればいいなと感じます。
そのためには日頃からお寺とのつながりや声かけを地道に続けていくところからではないかと思います。
本日はお子さまの新入学おめでとうございます。
]]>
季節の移ろいは早いものです。考えると人間はいつでも季節の移ろいによって心の状態が変化します。自分で変えられるものではなく、変えさせられる。あるいは季節の変化に順応するために心が変わるのでもありましょう。
そんなことを考えてみますと、日本の「四季」は「全ての事象は移ろいゆくものである」という仏教の根本の教えを教えてくださるものでもあります。日本の四季は美しいからこそ、その自然に諸行無常の世界観を感じる文化が育まれたのも納得いくような気がいたします。
「お彼岸」の始まりは聖徳太子の時代にまで遡る日本独特の伝統的習慣なのだそうです。
今日ではカレンダーを眺めて春分の日・秋分の日の文字を見ることはありますが、「彼岸入り」の文字を見ることは無くなりました。それらの事象も奇しくも諸行無常の道理を教えてくださるものなのでしょうか。
伝統的にこの時期は太陽が真西に沈むことから西方浄土(阿弥陀仏国)を観ずる一週間として考えられてきました。浄土往生を勧める諸々のお経には西方浄土を観察する方法や行法が説かれてもいます。それらを通して人生のあり方を訪ねていく時期としては大事な時節でもあるということでしょう。
長い冬が明け、何かと良い季節柄でもあります。仏法聴聞に最適の季節。『春彼岸会』に参詣ください。
<ごあんない>
暑さ寒さも彼岸まで、ようやく暖かくなってまいりました。
皆様いかがお過ごしでしょうか。春はなにかと忙しい時節。こんな時こそちょっとだけ働く手を休めて心の栄養補給をしませんか?
お寺の法要参詣は老若男女・宗派・宗教関係なくどなたでもできます。
この度はコロナウイルス感染拡大が心配されており、まだ予断を許さない状況です。お寺も可な限りの対策をとって皆様をお迎えしたいと考えております。どうぞおいでくださいますようご案内申し上げます。
]]>
2021年の報恩講の法要日程は昨日で終わりです。しかし、報恩講は日程終了後に「お浚い」というお勤めをする伝統があります。古くから真宗門徒のあいだでは「お浚いまでが報恩講である。」と言われてきました。
本来の形は法要の全日程が終わり次第、平常の荘厳に戻されます。そして、その日のうちにお浚いのお勤めを行うのが慣習なのだそうですが、萬行寺では翌朝の晨朝にお勤めしています。
通常、お勤めの次第は和讃を六首を1組として勤めますが、報恩講の結願だけは「如来大悲の恩徳は」までの三首で終わることになっています。そのあとから昨日読まなかった三首を含めた和讃が始まります。この「仏智疑惑和讃」を含めて報恩講というのでしょう。ここに報恩講らしい仕掛けがあります。
この和讃の順番はお勤めをする度に「すごくよくできているな」と感心させられます。
一週間のお勤めですから、終わったあとの爽快感と達成感は格別です。しかし、この和讃は如来の智慧を疑う罪の重いことを知らせる和讃です。その一首目に『不了仏智のしるし』という言葉が出て”如来よりたまわりたる信心”を自分の手柄にするような我々の得手に法を聞く心を言い当てています。
仏智の不思議を疑う者は「疑城胎宮・辺地懈慢」にとどまり、三宝を敬うことなく罪福をいのって仏恩報ずる心がないと言いきられています。結局は自分の欲望を満足させることにしか興味がないあり方を教戒しています。
まるで「これで報恩講が終わったと思うな。それは大きな勘違いだぞ」と言われているようです。「自分はちゃんと修行したんだ。という充実感は、つまり驕慢心(自らを誇るこころ)だぞ」という戒めのようです。
これをもって本当の意味で報恩講が終了になり、これから来年の報恩講へ向けての準備がまたはじまります。
]]>
最終日は「嘆徳文」と「御俗姓御文」が拝読されます。
儀式だけで一時間を超えます。
報恩講では初日と結願は特に真宗の伝統儀式の中では最も重要な儀式が勤められます。
一年の中でも一番心を入れてお勤めすべき儀式という意味ではないかと思います。それだけに親鸞聖人の存在が我々真宗門徒にとって大事なものであり、根幹をなす事柄であるということを儀式作法から教えられます。それだけに難しく手数も多く、普段からの心得が出てしまいます。
その反面、参詣者からすると「何をしているのかわからない」・「長すぎる」などの意見も聞かれます。
現代では長々としたものや分かりにくいものを嫌い、簡単で分かりやすく・手軽なものが好まれる傾向にあるのではなかとも感じます。分かりにくいものはとっつきにくいし、時間がかかります。堅苦しいければ人は近付きにくいし、誰でもができることではないのでどうしても難しくなります。
そういった意味では、ある部分は現代社会の付託に応えることも大事で、見直しも必要ではないかとも感じてはいます。しかし、果たして何もかも現代流に直すのが必ずしもいいとは言えないこともあるようにも感じながら毎年勤めています。
伝統は伝統の良さと大切なところもあり、変えることは簡単なことなのかもしれません。
しかも何事においても現代の我々が昔の人より物を知っているとは必ずしもいえません。ですから、かえって伝統に学び本来のあるべき姿勢を学ぶことも大切ではないかと感じています。
いずれにしても、「このままで良いのか、いけないのか」ふらふらとさまざまとその塩梅の難しさを考えながら毎年勤めています。
怠け者のわたしだけにますます身が引き締まります。
<嘆徳文>
本願寺三代
その内容は、聖人の見識や学識は内外にわたって広く、若き時、道を求めて悩まれた末
聖人の宗義を簡潔にまとめられた文。
<御俗姓御文>
の著で、親鸞聖人の御生涯と、報恩講七昼夜における心得を説いた御文。上人本願寺八代蓮如
最終日は法要終了後に片付け作業があります。講のみなさんと一緒にかたずけます。
今回は御華束の荘厳が出来ませんでしたので、はやくおわるかとおもいます。
]]>萬行寺報恩講は長いこと岡本英夫先生(島根県浜田市 徳泉寺住職)にご法話をお願いしきましたが、さすがに今回のコロナウイルス感染拡大の防止ということで今回のご法話は断念いたしました。
そこで、今回の法要は日程こそ一週間というところは崩さず、25日を除く全てが日中のみとしました。そのお陰もあってか集中してつとめることが出来たように思います。
本来ならば今日の夜は大逮夜(おおたいや)といわれ、雅楽も入って報恩講の中でも一番賑々しいお勤めがありますが、今回は楽入りのお勤めも断念しました。したがって今日も日中のみの厳修です。
本日のご法話は昨日に引き続き、お隣のお寺、長崎市三重町正林寺ご住職 松林大師です。
如来は一切衆生の業を引き受けてくださるのです。親鸞聖人はその如来の本願を「不可称・不可思議・不可説」と表現され、既に如来は我々の業を引き受けてくださっているのだから「念仏は無義をもって義とす」とも曰われるのです。私たちは常に自分の都合を念じるような計らいの心を持ち、常に自分に義を立てようとします。しかし親鸞聖人は、自分に義を立てるのではなく、如来におまかせすることが南無阿弥陀仏の義ですよと仰っておられます。
これが終わると、いよいよ明日は最終日。結願(けちがん)です。
]]>
晨朝(じんじょう)の御文は 三帖目十一通の「毎年不闕(ふけつ)」です。
報恩講の御文は、基本的に報恩講の時にしか読みません。ですから一年に一回しか読まないため読み間違いがあるかもしれません。
この御文は「文明8年正月27日」となっていますので、西暦になおすと1476年、旧暦の1月27日となりますでしょうか。
そもそも今月28日は、開山聖人御正忌として、毎年不闕に、かの知恩報徳の御仏事においては、あらゆる国郡、そのほかいかなる卑劣のともがらまでも、その御恩をしらざるものは、まことに木石にことならんものか。
これについて、愚老この四五か年のあいだは、なにとなく北陸の山海のかたほとりに居住すといえども、はからざるに、いまに存命せしめ、この当国にこえ、はじめて今年聖人御正忌の報恩講にあいたてまつる条、まことにもって不可思議の宿縁、よろこびてもなおよろこぶべきものか。しかれば自国・他国より来集の諸人において、まず開山聖人のさだめおかれし御掟のむねを、よく存知すべし。その御ことばにいわく、「たとい牛盗人とはよばるとも、仏法者後世者とみゆるようにふるまうべからず。またほかには仁義礼智信をまもりて王法をもってさきとし、内心にはふかく本願他力の信心を本とすべき」よしを、ねんごろにおおせさだめおかれしところに、近代このごろのひとの、仏法しりがおの体たらくをみおよぶに、外相には仏法を信ずるよしをひとにみえて、内心にはさらにもって当流安心の一途を決定せしめたる分なくして、あまっさえ相伝もせざる聖教を、わが身の字ぢからをもって、これをよみて、しらぬえせ法門をいいて、自他の門徒中を経回して、虚言をかまえ、結句本寺よりの成敗と号して、人をたぶろかし、物をとりて当流の一義をけがす条、真実真実、あさましき次第にあらずや。これによりて、今月、二十八日の御正忌、七日の報恩講中において、わろき心中のとおりを改悔懴悔して、おのおの正義におもむかずは、たといこの七日の報恩講中において、足手をはこび、ひとまねばかりに報恩謝徳のためと号すとも、さらにもってなにの所詮もあるべからざるものなり。されば、弥陀願力の信心を獲得せしめたらん人のうえにおいてこそ、仏恩報尽とも、また師徳報謝なんど
それ、当流の他力信心のひととおりをすすめんとおもわんには、まず宿善無宿善の機を沙汰すべし。されば、いかにむかしより当門徒にその名をかけたるひとなりとも、無宿善の機は信心をとりがたし。まことに宿善開発の機は、おのずから信を決定すべし。されば無宿善の機のまえにおいては、正雑二行の沙汰をするときは、かえりて誹謗のもといとなるべきなり。この宿善無宿善の道理を分別せずして、手びろに世間のひとをもはばからず勧化をいたすこと、もってのほかの当流のおきてにあいそむけり。されば『大経』に云わく「若人無善本 不得聞此経」ともいい、「若聞此経 信楽受持 難中之難 無過斯難」ともいえり。また善導は「過去已曾修習此法 今得重聞 即生歓喜」(定善義)とも釈せり。いずれの経釈によるとも、すでに宿善にかぎれりとみえたり。しかれば、宿善の機をまもりて、当流の法をばあたうべしときこえたり。このおもむきをくわしく存知して、ひとをば勧化すべし。ことに、まず王法をもって本とし、仁義をさきとして、世間通途の義に順じて、当流安心をば内心にふかくたくわえて、外相に法流のすがたを他宗他家にみえぬようにふるまうべし。このこころをもって、当流真実の正義を、よく存知せしめたるひととはなづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
本日の日中から明日の日中までお隣のお寺、三重町正林寺さまから松林大ご住職の法話です。久しぶりのお話。楽しみです。
ちょうど1週間の折り返しです。
法要は初・中・結とお参りするのが基本的なマナーだと昔から言われています。これは「初日・中日・結願だけ参る」というのではなく、少なくとも初・中・結の三回は必ずお参りするということなのだそうです。
法要には重んじられる日が初・中・結の三日で、今日の午前中を中日中(ちゅうにっちゅう)と言いい、とくに重んじられ、お勤めも格式の高い重厚なものです。
本来、法要というのは1週間、あるいは5日間にわたってお勤めされ、1日に晨朝・日中・逮夜の3回お勤めがあります。
逮夜とは、午後のことで萬行寺では夜の7:30より始まりますが、一般的には日中後に御斎をいただいてから概ね1:00か1:30ごろ続けてお勤めするのが従来のオーソドックスなスタイルのようです。
次に法要日程についてですが、その一例をあげれば報恩講ならば本山は一週間、別院では5日間となっていて一般寺院では3日間お勤めするというのが従来の形のようです。
もちろん一般寺院が1週間勤めてはいけないということではないだろうと思います。
これは私の勝手な憶測ですが、一つの基準として本山へ参詣するのが基本であるという観点から、そう言われているのではないかと思います。
萬行寺でもかつては春秋の両彼岸が一週間、永代経が5日間ありました。昭和43年にお勤めした宗祖親鸞聖人800回御遠忌法要は一週間勤めたという記録が残っているところを考えると、色んな意味で「すごい時代だなぁ」と思います。
当時より長崎の真宗寺院の多くが(本願寺派もふくめ)報恩講を一週間つとめていたというのを聞いていますので、当時の人たちの感覚からすると法要は一週間お勤めするものだというのが常識的だったのではないかと思われます。
ここで大事なことは、時代によって勤め方が変わるのも当たり前のこと。長くお勤めすることが大事なのではなく、ただダラダラとお勤めして緊張感なく徒労におわるような法要であるならば、むしろ集中して短い期間の方が大いに意義があるのかもしれません。
おつとめのあとは御伝鈔。
25日以外は日中のみのご案内ですが、今日だけは御伝鈔の拝読のため、逮夜勤めも行います。
今回は一つの試みとして日中に上巻を拝読し、逮夜は下巻を拝読します。
法話:中川唯真師(九州教区長崎組駐在教導)
去年より長崎は「九州教区長崎組」と改称され、現在あらたな組(そ)の編成がおこなわれています。
九州は全国に先立って教区編成の名乗りをあげました。しかし、全国に大教区は多くありますが、どの教区もそれぞれの地域における独自性を持っているため、確かな手本となるものも多くはなく、新編成は何もかも手探り状態です。
その中で活躍している中川駐在さんは若手の方でもあります。
中川師は萬行寺では初めてのご法話。今回はコロナウイルスの感染が拡大が心配されていることを鑑み、早めに御法話を終わっていただくようにお願いをしました。しかし、お話を短くまとめるというのもかえって難しいもの。そんな中で色々と印象深いことを語っていただきました。
中川駐在さんの出身地である滋賀県は蓮如上人の教化が非常によく行き渡ったご法義地でもあります。そんな滋賀県の話から蓮如上人のお話を聞かせていただきました。
この度のコロナウイルスの感染が広がっている中でいま立ち止まって考えるべきは教化のあり方ではないかと思います。
かつて蓮如上人はその教化力を生かして疫癘の蔓延した時代を生き抜いた方でもありました。
蓮如上人はまず御門徒の各家庭で朝夕に正信偈をお勤めすることをすすめられました。そのために正信偈を改版してたくさんの人に配り、今様といわれる当時の歌を正信偈の節にして新たなお勤めの形式と作法をととえられたことも有名です。
それから手書きの名号をたくさん配り、いつでも手軽にお勤めできるよう御門徒教化に尽力した人物としても有名です。それらの名号は現在でも驚くほどの数が現存しており、「自分ほど名号を書いたものは他にいないだろうと」いうことをおっしゃったことから想像してもびっくりするほどです。そのようにして疫癘の蔓延を逆手にとって門徒教化に勤しまれました。
そこで、現代の我々もその例に従って何ができるかということを考えると、わたしはこの度の報恩講で「お持ち帰り報恩講」というのはどうだろうかと思っています。今回自宅に帰って家族と「報恩講に行ってきた。こんなことが言われてたよ。」といって家族に御念仏をすすめるなんていうのもありかもしれません。
]]>
お朝事は文類正信偈をお勤めします。
蓮如上人の聞き書きには、
「聖教は、よみちがえもあり、こころえもゆかぬところもあり。『御文』は、よみちがえもあるまじき」と、おおせられそうろう。
と言われるように、御文をいただくということは大事である。それと同時にお聖教のように難しいものではなく、親しみやすく平易な文体や文章である分、普段から読み慣わしていることが肝要である。だから「読み違えはあるまじき」ということではないかと思います。それにしても、報恩講の御文は全体を通して長いものもあります。それだけに蓮如上人もおもいを込めて書かれ、なおかつ拝聴させていただくとと、肝要の法要であるだけに真宗門徒として大切なことを心得やなどが随所に書かれているのだなとあらためて感じます。今更ですが・・・・。
先、総 礼
次、文類正信偈 草四句目下
次、念 仏 濁三
次、和 讃(浄土 五)
初重「安樂佛土の依正は」
「安樂國土の壯嚴は」
二重「己今當の往生は」
「阿彌陀佛の御名をきゝ」
三重「たとひ大千世界に」
「神力無極の阿彌陀は」
次、廻 向 世尊我一心
次、御 文 「六箇条」 四帖目七通
次、総 礼
1月 23日(日中)10:00〜12:00
まだまだ序の口ですが、準備初日から数えると9日目ということもあり、そろそろ中だるみがはじまる頃かと思います。
ここのところを一つ気を引き締めてかからなければいけないところですね。
本日の法話は役僧の三澤師がいたします。この『役僧』という呼称はあまり使われなくなり、一般的には今日では『法務員』という呼称が使われるようになりましたが、萬行寺では伝統に乗っ取って「役僧」という呼称でよばせてもらっています。
如来・聖人から「浄土真宗をお願いします」と願われている担い手であるという意義で「役僧さん」と呼ばせてもらっています。やはり「役割を担う」ということは大変重い意味があるのだと感じるからです。
さて、萬行寺では各法要でも役僧さん方にも出来るだけ法要が勤まるときには機会を見つけてご法話をしていただくようにお願いしています。日頃から各家庭にお参りの際にもお勤めと法話を中心に法務をお願いしております。
色んなお坊さんの法話を聞くことができるのも一つの面白さではないかと思っています。例えば同じ題の話であってもお坊さんによって切り口やアプロートは違うものですから、聞く方も楽しみがあるのではないだろうかという一つの思いがあります。
先、総 礼
次、文類正信偈 行四句目下(赤節譜)
次、念仏讃 濁五三
次、和 讃(浄土 六)
初重「自餘余の九方の佛国も」
「十方の無量菩薩衆」
二重「七寶講堂道場樹」
「妙土廣大超數限」
三重「自利利他圓滿して」
「神力本願及滿足」
五遍反
次、廻 向 願以此功徳
次、改悔文
次、総 礼
次、真宗宗歌
次、法 話 三澤教悟(萬行寺法務員)
次、恩徳讃
次、総 礼