「廃仏毀釈」についてのメモ その2

  • 2009.03.08 Sunday
  • 00:59
明治時代の神仏分離

神仏分離令は仏教排斥を意図したものではなかったが、これをきっかけに全国各地で廃仏毀釈運動がおこり、各地の寺院や仏具の破壊が行なわれた。檀家制度のもとで、寺院に搾取されていたと感じる民衆がこれに加わった。

政府は神道国教化の下準備として神仏分離政策を行なったが、明治5年(1872年)の神祇省廃止・教部省設置で頓挫し、神仏共同布教体制となった。

廃仏毀釈運動は、明治以降、第二次世界大戦の敗戦まで、一部の過激な神道家とこれに追随した一部民衆が行ったものの、一部地域を除き、民衆には普及しなかった。
現代でも神社と寺院の違いが判らない者も多いという。
中には神仏習合の風習を受け継いだり復興させたりするところもあるが、神道、仏教のそれぞれの内部では、お互いに忌避するむきもある

《神祇官(じんぎかん)を再興と神仏判然の沙汰…… 》


●明治元年(1868)3月13日、「神主を兼帯していた僧侶に対して還俗する旨の通達」が出された。全国の神社神職は神祇官の管理化に置かれたのである。神社が国民の戸籍を扱う国家機関のひとつとなったのである。


明治政府は、祭政一致を実現するためにも、諸社と諸祭奠の調査を行うことになった。
明治元年(1868)12月20日、「延喜式神名帳所載諸国大小神社」の取り調べを府藩県に命じ、「式外ニテモ大社之分旦即今府藩県側近等ニテ崇敬之神社」についても同様に申し出ることを命じた。


明治2年6月10日の「神職神葬祭」、「神職継目」など主要神社精査に関する通達、その後、15項目に渡る調査票につながるのである。慶応4年3月以降出された「神仏分離」の諸布告である。

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