平和学習会/答えのない話をしよう。

今回は少人数。広げるよりも深くがモットーの会ですから、これで十分です。
住職・房守がインド巡礼にいっているためにさらに少なく6人です。
今日のメニューはおでんと刺身をつまみながら「憲法9条」についてまじめに話し合いました。それぞれ憲法に対して認識が違うこともあり、なかなか共通認識を持ち得ないところです。しかし、共通認識というのも、怪しいものでそれぞれでいいのかもしれません。もちろんこの会で何か運動を起こそうということでもなければ、なにか政治活動のような活動をやろうというつもりは全くありません。安田理深先生は「赤表紙と新聞との間に身をすえることだ」とおっしゃったそうですが、自分のすべき仕事から離れて何か別のことを言おうとするのではダメでしょう。



人間は考えるということが大事です。その考えるということがあってこそ人として生きられるのです。そして考えるからこそ、失敗を乗り越える知恵や科学を生み出したのでしょう。これが人間のすごいところです。
しかし、その反面はその向上心が欲と絡むと、大変なことになってしまうのです。世界人類の幸せのために考えられた科学は、あるとき人間全てを滅ぼすことのできるものに生まれ変わることだってあるのです。人間の英知は自分たちをも自らの手で滅ぼすことの出来る道具をつくってしまったのです。
さらに逆を言えば。それほどのことだって人には出来るのです。

例えば、そういった答えのないことを考え続けることもまた人間らしいのだとおもいます。

ですから、考えるという行為そのものがとても大事だということです。

この会は「平和学習会」という名目になってはいますが、実はあまり平和という言葉に馴染めず、どちらかというと疑問を思っています。
平和平和と云うけれど、わたしたちは何が平和なのか私たちには解らないものなのです。考えれば考えるほど「”平和”と言っていきものは実は本当の意味で平和ではなかった」ということだけがわかります。そこで「じゃあ平和って一体なんだ?」という疑問がでて来るのだと思います。そこが非常に大事なポイントではないかと思います。

これは以前から話が上がっていたことですが、鹿児島の知覧町にある『知覧特攻記念館』に行こうという計画がありました。
4月に一泊の予定で行くことにしました。日程はまだ調整中ですが、近々決定させねばと思っています。
そこで、来月はその予備学習として特攻隊のことや第二次世界大戦のことを学習してみようということにしました。
2009/2

学習会の手帳

    1、新しい風

 アメリカで初めて、“かつては近所のレストランで注文さえさせてもらえなかったはずの父をもつ男”がアメリカ44代目の大統領に就任した。黒人指導者マーティン・ルーサー・キング牧師が「私には夢がある」と演説してから四五年。奴隷解放から約一五〇年が経ってのことだ。だが、アメリカから差別はなくなるだろうか。

    2、差別は国の中にだけあるのではない。

  例えばアメリカで差別がなくなったとしても、また他国と戦争をするならば、それは差別をなくしたのではなく、ただの「排除」にすぎない。それでは問題は変わらない。
 大統領就任演説でオバマはいう。「私たちの貴重な財産、崇高な理想とは、あらゆる者は平等で、全ての人が自由で、誰もが最大限の幸福を追求する機会を与えられる権利をもっているのだという、あの神から与えられた約束のことです。」
   (それにしても、“神”という言葉は別として、『自由』や『平和』は本当に人間にとって「権利」なのだろうか。いささか疑問だ。「権利だ」というのなら、平和の為に戦争をすることも権利といえるだろう。ちょっと理屈っぽいけれど・・・・)

かつて世界の列強国が、あの世界大恐慌を乗り切ったのは、『英雄』と呼ばれるカリスマたちの出現だった。彼らのおおよそが戦争終結・敗戦とともに「独裁者」とよばれ、多くが処刑台に登った。彼らが闊歩した時代は、『一人殺せば犯罪者。だが百人殺せば英雄』という時代。または「勝者は正義、負者は悪」の勧善懲悪の国家の公然な犯罪構図がみえる。はたしてオバマさんはどのような『英雄』になれるのだろうか。自由や平等が本当に人間を幸せにするものなのだろうか。これまではそうではなかったが、若い国アメリカだからこそ、それが出来るということなのだろうか。しかし、ぼくが知るかぎりでは、アメリカは若いゆえに挫折をまだ知らない。これはぼくらも考えなければ行けない問題だ。

   2、『ネルソンさんあなたは人を殺しましたか?』のはなし

 元海兵隊兵士・アレンネルソンさんの話をしたいと思う。この人はベトナムで人を殺した体験談を語っている人だ。軍隊の生々しい実態を語っているそうだ。(要約)アメリカの軍隊に入隊する若者の多くが、スラムにすむ黒人。かれらは職がなく、貧しさのためにいつもイライラして喧嘩ばかりしている。この苦しい生活から抜け出すための選択肢はただ一つしかない。それは海兵隊に入隊すること。軍は立派な制服を見せつけ洗脳する。「お前のような者でもこの国の役に立って人々に尊敬されるようになる。それに職にも就つけて、食事も十分にありつける。」その誘惑にさそわれ入隊したそうだ。だから人殺しになる背景にはおおよそ貧しさがある。日本での事件報道の多くが物質的な貧しさからくる心の貧しさによるのもそうだろう。<以下は引用>
 海兵隊が最初に新兵におしえること、それは「命令に従うこと」です。「疑問を持つことなく命令に従うこと」です。洗脳された兵士は、いったん戦場に行けば、与えられた命令はどんなことでも遂行するように仕込まれます。考えることなしに、質問することなしに、疑問を持つことなしに実行します。海兵隊にはこういう言葉があります。「考えるのはおまえの仕事ではない。おまえの仕事は、実行し、死ぬことだ」。命令に従うことを教え込んだ後は、「殺し方」を教えます。多くの時間を「殺し方」を習うのに費やし、海兵隊に入って十八歳になるまでに、二十五種類もの人の「殺し方」を覚えました。有益で、役に立つ技術です。それこそが兵士が持たねばならない技術だからです。兵士というのは、平和を維持する人(ピースキーパー)でもなければ、ソーシャルワーカーでもありません。兵士はピースキーパーとして訓練されていません。兵士は「殺す」ことを訓練しているのです。それが彼らの仕事です。「殺す」ことです。
  4、歴史から学ぶ

 このように、軍隊は「殺す」ことを目的とするものである。以前に学んだ戦争の歴史を見てみても、はじめはいかに死傷者を少なく敵を屈服させるかだったが、だんだんエスカレートしていき、いかにして敵国の侵入してくる兵隊をたくさん殺すかが戦争の目的になっていった。現在ではいかに楽に沢山殺せるかが問題になっている。つまりそれはその民族ないし国家国民の『壊滅』を意味している。その事実は、大量破壊兵器と呼ばれる核兵器を中心とする諸々の兵器だ。
手段がいつでも目的になるのが人の世の常だ。

   5、日本の状況

日本では大企業が次々と億・兆クラスの赤字決算。あいかわらず失業者の群れが続く。あるネットカフェ難民の若者がこんなことをいっていたらしい。「いっそ戦争が起こればいいのに。戦争が起こればこんな惨めな生活をしなくてすむのに」と。まさにネルソンさんが海兵隊に入った状況にどこか似ている。


   6、前回に引き続き

 今回も『日本国憲法』について話してみたい。なぜ憲法九条を学ぶのか。それは日本が戦争のできる国になってきているからだ。

 自衛権の範囲内で宇宙の軍事利用に道を開く宇宙基本法が21日午前の参院本会議で自民、公明、民主3党などの賛成多数で可決、成立した。基本法には、宇宙開発について「わが国の安全保障に資するよう行わなければならない」と明記されており、高解像度の偵察衛星や弾道ミサイル発射を探知する早期警戒衛星の保有が可能になる。
 宇宙産業の国際競争を力強化するため、内閣に首相を本部長とする「宇宙開発戦略本部」が設置され、担当閣僚も任命される。また、法施行後1年をめどに内閣府に「宇宙局」(仮称)を設けられ、内閣府、文部科学省などの関係府省にまたがっていた宇宙開発政策を総合的に推進することが可能になる。さらに、宇宙航空研究開発機構(JAXA)のあり方の見直しも盛り込まれた。
 宇宙基本法をめぐっては、自民、公明両党は昨年の通常国会に今回とほぼ同内容の法案を国会提出した。その後、民主党と協議を重ねた結果、宇宙局の設置などで合意したため、3党は新たな基本法案を今国会に共同で提出した。
この様な事例はまだたくさんあるのだが、きょうはこれぐらい。宇宙まで自衛権が及ぶ時代、これはどういうことであろうか。現在宇宙には国際法がない。したがって軍事に関しても、国境や国の法律の及ばない治外法権の場所だ。いわば無法地帯で実際上は南極のようにどこの国でもない。だから国連は成立を急いでいるそうだが、日本はそれが成立する前に打ち上げてしまえば、既成事実ができるということのようだ。
というように、着実にぼくらの知らないところでいろんなことが進んでいる。せめて、日本には世界に誇れる一番の自衛の憲法があるのにも関わらず、海外に行って手柄を立てたがる。

   7、「理想主義という批判」に対して

 『憲法9条』が現実的ではないという批判がある。言わんとすることは解らないわけではない。しかし、理想主義で何が悪いのかと思う。人間の“こう成りたい、こうでなければいけないという本当の人間になるの道を理想と呼ぶならば、現実とは、そうならない事実を仕方なく


 理想“主義”というのは、批判的な意見的におおよそ使われる言葉だが、現実的なことを言う人ほど逆に荒唐無稽な理想主義者ではないかと思う。
現実的な見方をしてみよう。
 人間の歴史は有志以来、戦争の歴史だった。人はどんなに理性的に育てても、これまでの歴史に中で暴力的に育ってしまっているから、本当の意味で理性的に育つということはありえない。人間存在そのものが暴力的存在である以上、人が理性的を持ち得るということが可能であろうか。だから、人は自分のエゴで自然も破壊するし、自分の利益のために人を傷つけたり、殺したり殺されたり、殺させたりする。その極端な例が戦争だ。だから戦争はなくならない。だから、戦争を無くそうという方が無理な話である。だからといって戦争をするわけにはいかないのも事実だ。お互い死にたくないから相手を殺してでも生き延びようとする。たがいに泣き叫びながら銃口を向けあう。この悲しさと人間存在の虚しさを感じるのも人間的な感情だ。

 その人間の果てることのない欲望を悲しむことのできるのも、また人である。有志以来の歴史の中に、戦争と悲しみは共にある。だから、争いのない世界を望むのは人間の人間たる所以ではないだろうか。これが人間(わたし)の現実だ。

では、理想とは何か。
これまで抱えて来た人間存在の根本問題を語ることが、あらゆる問題をクリア出来る唯一の方法だ。これがいつでも急務な問題であるはずだ。つまり人間とは何かと問うことそのものが人間である証なのだ。
それが未来を見据えるということであろうし、歴史を見るということではないだろうか。
そうであるはずなのに現実主義者たちは、「それはそうだけれど、実際そうはうまくいかない」と諦めてしまう。
しかし、よく考えよう。みんなでやれば出来るじゃないか。
これまでに人はあらゆる困難にぶつかってやっと『私』といえる者にまで成ったのだから。









【付録】
カント
<永久平和のために> 
第一章
第一条項 将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない。
第二条項 独立しているいかなる国家(小国であろうと大国であろうと、この場合問題ではない)も、継承、交換、買収、または贈与によって、ほかの国家がこれを取得できるということはあってはならない。
第三条項 常備軍は、時とともに全廃されなければならない。
第四条項 国家の対外紛争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない。
第五条項 いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。
第六条項 いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。 

第二章
第一確定条項 各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。
第二確定条項 国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。
第三確定条項 世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない。


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