供養ってなあに?

萬行寺HPより転載

 

「供養って、なあに?」

親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず 『歎異抄』

「供養」はインドの言葉で「プージャナー」、あるいは「プージャー」といい「尊敬する」「崇拝する」という意味です。
供=卑しき物を尊い者に勧めること。
養=卑しき物によって尊い者を資(たす)けること。

故人を慰めるために行う儀式ではなく、生きている私たちが学ぶこと。
仏(法を説く人)・法(教えそのもの)・僧(教えを聞いて道を求める人々)の三宝に衣服・食物・薬品・財物などを捧げ、敬うこと。
<本来、インドの仏教は・・・・>

 バラモン教が動物の犠牲による儀式であるのに対し、仏教は不殺生の立場から「供養」という言葉を理解したものと言われています。
そして、礼拝の対象へ水、華、香、灯火などを供えることとなり、やがて、現在のような意味になりました。 つまり、「自分自身を卑しい者と自覚し、その上で自分にとって一番大切な物品を尊き者に対してそなえること」と言うことができると思います。

日本の民間信仰においては死者や先祖に対する追善供養のことを特に指していわれますが、本来の仏教的理解からすると程遠い考え方であると言えるでしょう。

<真宗の供養>
真宗では「追善供養(ついぜんくよう)」はいたしません。
=亡くなった方の冥福を祈り、亡くなった方の生前の罪を拭うため生者が死者に善行を差し向けることを「追善供養」と言います。
法然上人、親鸞聖人が私たちに勧める念仏の教えでは、そういった修行は雑行(迷いを深める修行)であるから、そこからは遠離せよとハッキリいわれ、本願寺の8代目の蓮如上人は「雑行を投げてて、一心一向に弥陀をたのめ」といわれています。
また、法然上人の遺言には”追善の仏事ではなく、報恩の仏事をするように”と言われていることから、真宗でいう供養とは仏様の教えを聞くことが何よりの仏事であると云えます。

 

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