雑感。モジモジしたら書きたまえ

<パンだけではなくバラも>


 こんな時だからこそ「リテラシー」の大事さを痛感させられます。じっくり考え観察したり考察することによって冷静な判断ができるようになります。私は普段あまり本を読むという習慣があまりないのですが、あらためて文学を楽しんだり、芸術を嗜む時間を持つことは大切だなと痛感しています。

 

 日の時代、インターネットなどで情報を検索すれば今の自分に必要な情報は大概教えてくれます。確かに大変便利ではありますが、パソコンやネットは使い方を間違えば使われてしまいます。まさに「リテラシー」を持つことが大事だなとあらためて思います。

今日の「緊急事態宣言」によって様々な憶測やフェイクニュースが巷を席巻している様子を見るにつけ、何とも言えない「ざわざわ感」を覚えます。そして「本当とは何だろう」と考えずにはいられません。
私たちは冷静に考え、物事を短期的に見るのではなく、もっと長いスパンでものを見る眼を磨かなければいけないと思います。そういった意味では仏教は優れた思想です。
 

<自己を見つめる眼を持つ>

 私たちは客観性を失えば、次第に周りを見ることをしなくなる傾向にあります。もしそうなったならば、私たちは目先の現実に追われて短絡的思考に陥りやすくます。
そのような心の状態になれば、他者と共存しているという目の前の事実に目が向かなくなります。そうなると隣にいる人のこともよく見えなくなるのでしょう。ともすると身勝手とも取れるような行動に出ることさえありえます。虐待など目を覆うような事件はそのような状況の時に起こりやすいのでしょう。

それらが度重なってくると、いよいよ道徳や人情などはまったく通用しなくなります。そうして社会が混乱をきたし次第に崩壊していきます。
「今なにが起こっているのかが見えてない自分を見ていない」。このような心の状態が一番危険なのではないかと思います。
少し大袈裟なように聞こえるかもしれませんが、これはかつてのファシズムを生み出した世界の現象に非常によく似ています。

一つ例えを出すならば、有名な『走れメロス』は、太宰治の作品で単純明快なストーリーです。その作品の背景には戦争に突き進んでいく右傾化した日本の危機的状況を太宰はどうみていたのかと言うことの一端がみて取れます。そのように時代背景を重ね合わせると、現代の時代との酷似性も見えてきます。そうしてみるともっと深いものを感じるとることができます。

 

<リテラシーをなくした時こそ危ない>

 う考えてみると、それぞれの時代のターニングポイントに立った人たちはどんなことを考え、どのようにその状況を見ていたのか、知ることも一つの客観性を養う力になるでしょう。
こんな時こそ文学や音楽。演劇などの芸術を嗜むことは大切なことではないかと思うのです。今はなかなか叶わないかもしれません。しかし、芸術は単なる癒しではありません。むしろそれらはちゃんとした判断力をなくしつつある私たちを正しい判断に目覚めさせる力となりうる大切なものです。
 ただの癒しとして芸術をみているようならば、芸術は何の役にもたたない無用の存在となるでしょう。しかし、そうでしょうか。よく考えてみるとこのように社会が不安定な情勢になっている時にまず切り捨てられるのが芸術でしょう。そうなれば世界に対するリテラシーもなくなります。だからこの国には芸術に対しての意識が低い。胸を張っては言えませんが私の体験上、そんな実感を持っています。この国にはたくさんの素晴らしい文学者や芸術家がいるにもかかわらず、その才能を伸ばす機会が与えられない人が多くいます。そのような才能のある人が今喘いでいます。この時代の岐路に立って、私たちは知恵を出し合って考える時ではないかと思います。

「人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンのために生きるているのでもない。わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。」

 

あ、それからシェアやコメントもどうぞよろしくお願いします。

 

コメント