報恩講初日! 2020年1月22日

ようやく初日です。
報恩講の時期は一年で一番寒い頃の法要ですが、今年は始まって以来ぐらいの暖かい初日です。

過去には雪が降ったことがあるくらいの寒さでしたが、それさえも考えられないほどの暖かさです。

初日中は覚如上人の『報恩講私記』拝読。

やっぱり格調の高い名文です。

読むたびに新しい発見と親鸞聖人に対する念いと本願寺を背負ってたつ覚悟を改めて感じます。この式文を書かれた方は本願寺第三代の覚如上人。その当時の年齢は25歳だったそうです。それから何度も草稿を重ねられ、現代の形になって伝えられています。

覚如上人は永仁2(1294)年、宗祖の33回忌をお勤めするにあたり、このご命日の法会(ほうえ)を『報恩講』と名づけられました。その命日にあたって拝読される表白(ひょうびゃく)文として『報恩講私記』が著されたといわれています。

当時より三十三回忌といえば、追善の仏事においては、三十三年間追善をすれば「先祖」になる回忌だといわれているのだそうです。その三十三回忌を覚如上人は、この法会において親鸞聖人が大谷家の単なる先祖ではなく、我々真宗門徒共通の『祖』。つまり『宗祖』であることを宣言すめるために報恩講私記は書されたともいわれています。

そして覚如上人63歳の時それまで「大谷廟堂」と呼ばれた廟所を「本願寺」という寺号を勅許され、本願寺を創建されました。

それ以降、次第に真宗の門徒の中で優位に立ちたいという願望が芽生えていったとも伝えられています。そのようなこともあってのことでしょうか、覚如上人の本願寺中心主義に対する反発がしだいに芽生え、東国の門弟たちは次第に本願寺に背を向けるようになっていったと言われています。

 1月 22日(初晨朝)7:00

先、総 礼

次、文類正信偈 草四句目下

次、念 仏   濁三

次、和 讃 (浄土 二)

  初重「道光明朗超絶せり」

     「慈光はるかにかむらしめ」

  二重「無明の闇を破するゆえ」

     「光明てらしてたえざれば」

  三重「仏光測量なきゆえに」

     「神光の離相をとかざれば」

次、廻 向   世尊我一心

次、御 文   「中古已来」 四帖目五通

次、総 礼

 1月 22日(初日中)10:00

先、総 礼

次、真宗宗歌

次、登高座

      伽 陀  「稽首天人」

次、「報恩講私記」

伽 陀  「若非釈迦」

伽 陀  「直入弥陀」

  下高座

伽 陀  「直入弥陀」

次、総 礼

次、文類正信偈 草四句目下     

次、念仏讃   濁五       

次、和 讃(浄土 三)

  初重「光明月日に勝過して」

       「弥陀初会の聖衆は」

  二重「安楽無量の大菩薩」

       「十方衆生のためにとて」

  三重「観音勢至もろともに」

       「安楽浄土にいたるひと」

次、廻 向   願以此功徳

次、改悔文

次、総 礼

次、真宗宗歌

次、法 話

次、恩徳讃

次、総 礼

 1月 22日(初逮夜)19:30

先、総 礼

次、真宗宗歌

次、正信偈   真四句目下

次、念仏讃   濁 五

次、和 讃(浄土 四)

 初重「神力自在なることは」

    「安樂聲聞菩薩衆」

 二重「顔容端政たぐひなし」

    「安樂國をねがふひと」

   三重「十方諸有の衆生は」

   「若不生者のちかひゆへ」

    五遍反

次、廻 向   我説彼尊功徳事

次、改悔文

次、総 礼

次、法 話

次、恩徳讃

次、総 礼

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