帰敬式について(別院たより)

『一人(いちにん)』にかえす帰敬式

 「帰敬式」は永きにわたって「家」に閉じ込められてきた真宗を一人(いちにん)にかえす運動ではないかと私は考えています。

 「おかみそり」は1876年(明治9年)に「帰敬式」と改称され、現在に至っています。その経緯を調べると1872年(明治5年)頃より、国家による仏教を排斥して神道を中心とする国民教化政策の影響がありました。現在でもご門徒の家に残る「神棚」がその影響の強さを物語っています。この時代、大谷派の僧分も真宗教学の牽引者である講師も教導職として、この政策に強制的に参加させられました。各教区の僧分への講義は一つ一つ国家の検閲を受け、「浄土真宗は神の教え」であるかのように混同して説かれたと資料にあります。

 このようにして宗教の自由を奪うかのような国家の動きに抗し、大谷派は仏祖・宗祖の教えと門徒を護るべく、すべての門徒と共に「もう一度宗祖の教えに帰ろう。私は仏祖・宗祖のみ教えをいただく真宗門徒である」ということを再確認する意義をもって帰敬式がすすめられたのではないか。これが私の見解です。

 

 一方、この頃の長崎の様子を知る宗門の歴史資料を紐解くと、1872年(明治5年)にご門首が来崎した際、長崎市内の寺院に大村・島原・天草から帰敬式を望む門徒が多く押し寄せたと記録されています。門徒の要請に応じたならば、その数2万人を超えるだろうと記されています。このようにして我々の先達の多くが真宗門徒であることに対して関心が高かったことは間違いないことでしょう。このような歴史を背景にして、私たちは真宗門徒としてここに在ることを忘れてはいけません。

 

 このような契機を通して、帰敬式は門徒に開かれていきました。この歴史を踏まえて今日の時代社会を考えると、かつてのような家は崩壊し念仏相続はさらに困難な時代をむかえています。そういった現代にあって帰敬式は「私の家が真宗門徒」といっていた門徒が「私が真宗門徒」という、本来の「一人(いちにん)の宗教」からはじまる真宗門徒の入門式として改めて大切なことではないかと憶念しています。

 どうか、受式された方は、法名用紙をお内仏の引き出しに閉まったままにせず、事あるごとに確かめ、あなたの法名を家族や知人にも知らせてくださればと思います。

 そして法名を如来からいただいた我が人生の課題であると憶いつつ、念仏生活に勤しんでくださればと思います。

                  萬行寺 亀井攝(釈大攝)

 

※佐世保別院の『別院たより』に掲載した記事です。

                      

コメント

法名のこと、気になります。
5年前に帰敬式を受式しましたが、その後なにも使用する機会がないので今後法名をどうしていけばいいのかわかりません。ご教授いただければ幸いです。

それから。いただいた法名にどんな意味があるのかも詳しく知りたいと思います。

  • 山下
  • 2019/05/07 22:24