報恩講初日

いよいよ初日を迎えました。
報恩講は一年で一番寒い時期に務まる法要なだけに、ただただ心配なのは参詣があるのかということです。おまけにインフルエンザが流行中でベテランの同行さんの欠席が相次ぎました。みなさん風邪だけはくれぐれも注意しましょう。

かく言う私もお勤めするスタッフも風邪に気をつけて行きたいところです。

 

初日中は重たいお勤めで、時間もいつもよりかかります。

先ずは登高座。

    伽 陀  「稽首天人」

次、「報恩講私記」

    伽 陀  「若非釈迦」

    伽 陀  「直入弥陀」

  下高座

    伽 陀  「直入弥陀」

と続いてまいります。

これだけでも長い。さすがに覚如上人の報恩講私記は買う超高い名文です。

読むたびに新しい発見と親鸞聖人に対する想いと本願寺を背負ってたつ覚悟と迫力を改めて感じます。

書かれたのは本願寺第三代の覚如上人で、その時の年齢は25歳だそうです。すごい。

永仁2(1294)年。宗祖の33回忌をお勤めするにあたりこのご命日法会を『報恩講』と名づけられました。

そこでお勤めされるための表白文として『報恩講私記』を著されました。そこで覚如上人は親鸞聖人が本願寺の聖人であることを明確にされ、大谷家の先祖ではなく、真宗の門徒の共通の『祖』であることを確認されるために報恩講私記は書されました。

覚如上人63歳の時それまで大谷廟堂と呼ばれた廟所に「本願寺」という寺号を定められ、次第に真宗の門徒の中で優位に立ちたいという願望が芽生えていったと言われています。覚如上人の本願寺中心主義が強すぎて、しだいに東国の門徒たちから反発を受けていったと言われています。

 1月 22日(初晨朝)7:00

先、総 礼 

次、文類正信偈 草四句目下 

次、念 仏   濁三

次、和 讃 (浄土 二)

  初重「道光明朗超絶せり」

     「慈光はるかにかむらしめ」

  二重「無明の闇を破するゆえ」

     「光明てらしてたえざれば」

  三重「仏光測量なきゆえに」 

     「神光の離相をとかざれば」

次、廻 向   世尊我一心   

次、御 文   「中古已来」 四帖目五通

次、総 礼

 1月 22日(初日中)10:00    

先、総 礼

次、真宗宗歌

次、登高座

    伽 陀  「稽首天人」

次、「報恩講私記」

    伽 陀  「若非釈迦」

    伽 陀  「直入弥陀」

  下高座

    伽 陀  「直入弥陀」

 

次、総 礼

次、文類正信偈 草四句目下     

次、念仏讃   濁五       

次、和 讃(浄土 三)          

  初重「光明月日に勝過して」   

       「弥陀初会の聖衆は」    

  二重「安楽無量の大菩薩」      

       「十方衆生のためにとて」 

  三重「観音勢至もろともに」   

       「安楽浄土にいたるひと」 

次、廻 向   願以此功徳    

次、改悔文

次、総 礼

次、真宗宗歌

次、法 話 

次、恩徳讃

次、総 礼

 1月 22日(初逮夜)19:30    

先、総 礼

次、真宗宗歌

次、正信偈   真四句目下

次、念仏讃   濁 五 

次、和 讃(浄土 四)

 初重「神力自在なることは」

    「安樂聲聞菩薩衆」

 二重「顔容端政たぐひなし」

    「安樂國をねがふひと」

   三重「十方諸有の衆生は」

   「若不生者のちかひゆへ」

    五遍反

次、廻 向   我説彼尊功徳事

次、改悔文

次、総 礼

次、法 話

次、恩徳讃

次、総 礼

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