宗祖親鸞聖人 報恩講 厳修!!

  • 2019.01.10 Thursday
  • 00:01

 

今年もいよいよ報恩講が始まります。

 

今年は萬行寺創建370年目にあたります。

 現在の場所は「六屋敷(むつやしき)」と呼ばれ、亀のようなに突き出た岬の丘上に六つの屋敷があったと伝わっています。現在、その屋敷がどのような役割のどのような人の住む屋敷であったかはわかっていません。おそらく庄屋であったか、武家屋敷ではなかろうかと想像します。

 ここから100メートルほど離れた場所に「小嶋(こしま)」と呼ばれていた埋め立て島に草庵が建てられたのが萬行寺の濫觴です。そこで布教が始まり、おおよそ四十年くらい経って現在の六屋敷に移され、そこに一宇の坊舎を建立し、西本願寺より本尊と太子(聖徳太子)・七高僧の御影が下付され、寺号を「亀水山萬行寺(きすいざんまんぎょうじ)」と名告ったと言われています。

境内に現存する井戸(現在も飲料としてい使用可能)は萬行寺創建以前からあり、六屋敷時代から使用されていたものです。

本堂から見下ろす階下の細い旧街道は秀吉の禁教時代に殉教した二十六聖人が最初に歩いた道と伝わっています。

二十六聖人は萬行寺創建以前の事ですが、当時の時津には長崎では一番多くのキリスト教の信者が住む街だったといわれています。

宗祖の報恩講をお勤める道場を門徒は「真宗寺院」と言っているわけですから、萬行寺の報恩講は三七〇回を迎えると言っていいと思われます。現在、八千以上の大谷派寺院があるそうでが、その中で一週間報恩講をお勤めするお寺は少ないといわれます。古くは京都の本山から遠く離れた地域の真宗寺院は法要を一週間に渡ってお勤めする寺は多かったそうです。

ここ長崎では現在七ヶ寺が一週間の報恩講をお勤めしています。その理由の一つは、当時の大村藩の施作によって堂宇の大きさが決められ、一週間勤めなければ参詣者全てを収容できなかったというのが一つの理由ではないかと私は見ています。

かつてはそれだけの参詣があったのでしょうね。今となっては考えられないことです。

 報恩講は法要が始まる一週間前の15日から準備を始めます。そこから法要の終了までに述べ250名程のご門徒が汗を流されます。それまでに各地区よりお斎の野菜、本堂の灯油・火鉢の炭・御華束の餅米(約50キロ、餅約5700個分)・灯明油・炊き物の蒔・仏華の松・御華束のミカン(120個)・御佛供米・御斎(おとき)の準備などなど法要に必要なすべての志が如来へのご恩報謝として上がります。

このようにして真宗門徒の生活は「毎日が報恩講」とまでいわれるように、朝晩のお勤め一つにおいても如来への御恩報謝といわれます。そして聖人の御仏事をお勤めするのが真宗門徒である証とまでいわれています。

なぜ、我々の先達はそこまでして浄土真宗を仰がれたのか訪ねてまいりたいと思います。

この度の法要は先に案内したテーマでお勤めいたします。

ご家族や有縁の方々を誘いあって、参詣くださいますようご案内いたします。
萬行寺住職 釈大攝

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