報恩講 6日目 26日

  • 2017.01.26 Thursday
  • 21:59

過ぎてみれば早いものであっという間の一週間のような気がします。

しかし、あと二日。油断すると痛い目にあいます。

 

夜座から孤野先生がお話しされます。

京都の全寮制の学校、大谷専修学院の院長を務めていらっしゃいます。

前院長の竹中智秀先生が亡くなられ、その後を学院長として引き続がれました。大谷専修学院はまさに念仏の道場と呼ぶにふさわしい学校で、全寮制で一年かけて親鸞聖人の教えを学ぶところです。このところ新学舎が完成し、新学舎での生活が始まっているそうです。

 

この身はいまはとしきわまりてそうらえば、さだめてさきだちて往生しそうらわんずれば、浄土にてかならずかならずまちまいらせそうろうべし。

このことばを先に唱えられ、ご法話を始められ、浄土に往生ということについて先生ご自身が昨今感じていらっしゃることを、平易に丁寧にお話くださいました。

「人間、やはり年をとるとそのような気持ちになるものですね。若い血気盛んな頃はこんな事無かったんですけれども、この歳になるとやっぱりお浄土が近くなったというんでようか。死にゆく我が身ということが気になります。」


倶会一処(くえいっしょ)

寺の建ち並んでいる寺町を歩いていると、境内の墓地の墓石に「何々家先祖代々」や「何々家累代」と刻んだ場合が多いが、墓の正面に「南無阿弥陀仏」または「倶会一処」と書いてあれば、そこは浄土真宗の寺だとわかる。

 「倶会一処」は浄土の徳をあらわす。『阿弥陀経(小経)』に念仏往生を勧める釈尊の言葉として説かれる。

   舎利弗よ、この娑婆世界の苦を受けているものは、阿弥陀仏の極楽世界のすばらしいはたらきを聞いて、発願してその阿弥陀仏の国に生まれたいと願うべきだ。なぜかというと、阿弥陀仏の国は無量無数のよき師、よき友が待って迎え、みな共になかよく集まり一つになって出会うことができるからだ。

 この世の悲しみの一つに愛別離苦がある。どんなに愛おしい者であっても、いつかは別れなければならない。いのちある者の定めである。その身もだえするのは煩悩だということは十分わかっていても、それでもつらく悲しい。

 いのちの行方を問わずにはいられない煩悩具足の凡夫のために、釈尊は阿弥陀の本願を説き、念仏往生の道を勧めた。「倶(とも)に一処(いっしょ)に会(え)する」。

本願を信じ念仏申す中で、必ず浄土で再会すると示した。別れの悲しさを内にやさしくつつみ、顔を上げて今生のいのちを生きる姿勢を教えられるのである。

                 『大法輪』2015年12月号


 

1月 26日(日中)    

先、総 礼

次、文類正信偈 行四句目下(赤節譜)

次、念仏讃   濁五三 

次、和 讃(高僧 六)

 初重「いつゝの不思議をとくなかに」

   「彌陀の廻向成就して」

 二重「応相の廻向ととくことは」

   「還相の廻向ととくことは」

 三重「論主の一心ととけるをば」

   「尽十方の無碍光は」  

    五遍反

次、廻 向  願以此功徳

次、改悔文

 

 1月 26日(逮夜)    

先、総 礼

次、正信偈   真四句目下

次、念仏讃   濁 五 

次、和 讃(高僧 十六 源空和讃)

 初重「專修のひとをほむるには」

   「報の淨土の往生は」   

 二重「男女貴賤ことごとく」   

   「煩悩にまなこさへられて」

 三重「彌陀の報土をねがふひと」

   「極惡深重の衆生は」   

    五遍反   

次、廻 向   我説彼尊功徳事

次、改悔文

次、総 礼

コメント
コメントする








    

selected entries

archives

recent comment

profile

search this site.

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
2425262728  
<< February 2019 >>

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM