御遠忌団参で行こう!! 二日目 5、比叡山 

とにかく寒い!!4月だから寒いといってもコートぐらい持っていけばいいだろうとおもっていましたが、まさか雹が降るとは本当に予想外!侮るなかれ比叡山。
「親鸞聖人はこんな自然の厳しいところで修行をされていたんですね」とご門徒の一人。いや〜。そうですね。まったく。


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大正10年(1921)に西本願寺の宝物庫から恵信尼が越後から京都に住む末娘の覚信尼に宛てた恵信尼の書状十通が発見されました。
その中の文章に、「殿の比叡の山に堂僧つとめておわしましけるが、山を出でて、六角堂に百日こもらせ給いて、後世の事いのり申させ給いける九十五日のあか月の、御示現の文なり。御覧候えとて、書きしるして参らせ候う。」と書かれていました。この文が発見された事により、今では信じられないことですが、当時の西洋史学の観点からは「架空の人物ではないか」とさえ疑われていた親鸞聖人の行実がこの書状によって明らかになったのだそうです。その後の研究で”堂僧”という文について説がわかれたらしいのですが、最近になって判明したのは、天台法華宗の修行・止観行の「四種三昧」のうちの一つである常行三昧の堂僧であったことが判明しました。常行三昧は「常に歩く」行で、心では常に阿弥陀仏を念じつつ口では常に阿弥陀仏の名を唱えながら本尊・阿弥陀如来像の周りを廻り続ける修行です。修行期間は90日間にも及ぶ大変過酷な修行です。
常行三昧堂は現在西塔にのみに残っていて、長い間そこが親鸞聖人の修行の堂だといわれてきました。しかし最近になって親鸞聖人が比叡山にのぼられた頃は、各塔にそれぞれ三昧堂が建てられ、横川には首楞厳院(しゅりょうごんいん)の一隅に建っていたという事が明らかになりました。(現在の高浜虚子の塔のあたり)親鸞聖人が横川で修行したという事は、御伝鈔にも書かれていて多くの知るところですが、常行三昧の堂が横川にあったとは考えられていなかったのだそうです。
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川地区は西塔から北へ4キロほどのところにあります。香芳谷、解脱谷、戒心谷、都率谷、般若谷、飯室谷の6谷があり、嘉祥元年(848年)、慈覚大師・円仁が首楞厳院(しゅりょうごんいん)を建立したことに始まります。横川地区は比叡山のいちばん北に位置し、平安の昔から現代にいたるまで多くの文学作品の舞台となっています。この地を開いた慈覚大師・円仁も、日本人初の旅行記「入唐求法巡礼行記」を著わしています。

「源氏物語」手習いの巻には「横川になにがしの僧都とかいひて、いと尊き人住みけり」と、「往生要集」を著わした恵心僧都源信が登場しています。横川地区の代表的な建造物には舞台づくりの横川中堂、四季に法華経を議論する四季講堂、如法写経を収めている根本如法塔などがあります。


源信僧都が居られた恵信院。普段は公開していないそうですが、団体で参拝がある時には公開しているそうです。



比叡山の方にご案内いただきました。


その後は琵琶湖の宿へ。バスの中ではみなさん疲れたのでしょうか、ぐっすり寝ていました。

琵琶湖の夕暮れ。


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