彼岸会 四日目

東北関東大震災義援金箱を設置しています。



この度のような未曾有の災害に対して私たちは何をすべきなのでしょうか。自分たちの生活を深いところからもう一度見つめ直す必要があるのかもしれません。あの被災地の映像を見ると、なんといえばいいのか適当な言葉が見つかりません。
ここにこうして普通の日常をおくっている事さえ、申し訳のない感じさえするのです。しかしその一方で念うことは、いま自分にとって大切なのは”誰かに何かをしてあげる”ということではなく、「自分はこの状況において、いま自分がなさなければならない事は何か」ということを考えることが大事なのではないかと感じています。それが直接災害に関係ない事だとしても、



 親鸞聖人のご往生の後、聖人の妻であった恵信尼が末娘の覚信尼に宛てた手紙の中に、建保2年、当時42歳の聖人が布教の本拠地を越後から関東に移されるとき、東国上野国佐貫(現在の群馬県邑楽郡板倉町)に滞在された時のエピソードが出てきます。この時代、東国では地震が頻発し、大雨や洪水、飢饉(ききん)による被害が相次いでいました、聖人が「さぬき」に着かれた建保2(1214)年の夏にも東国の洪水の記述を見ることができます。このような住民の逼迫(ひっぱく)した状態をみて「何とかしてあげたい、救ってあげたい」と念じられ、「三部経千部読誦」を思いつかれたと書かれています。この手紙は当時の聖人の心境が那辺にあったかを物語るものといえましょう。当時は、経典を1,000回も読むということは民衆に尊く受け入れられ、容易に敬われる行為でした。しかし、聖人は自分のとった行為や考えが「「自ら信じ、人に教えて信じさせることが本当の仏恩報謝だと信じているのに、名号を称えるほかに、何の不足で、どうしてお経を読もうとするのだろうかと、4〜5日ほどして思い返して読むのを止めて常陸(ひたち)(茨城)のほうへおいでになった」というエピソードが残されています。

このエピソードは各地で災害の起こるたびに「親鸞聖人はこのような時どうなされたか」ということでよく紹介されるエピソードです。
一度、私たちは困難に出会ったならば、その現実の前に立ち尽くす以外にありません。しかし、そのような人々を見ると、なにか自分にも出来る事があるのではないかと思うのも人間の感情として当然の事だろうと思います。



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