長崎教区秋安居 中日

6:30 起床
    掃除
7:00 勤行
    法話
8:00 朝食
9:00 講義1

二日目の朝の講義は、


午後からは大衆供養。門徒さんもたくさん集まります。



総勢約60名の僧分による阿弥陀経の大合唱です。


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講義ノート(忘備録)

鵺、難思議往生道に立つ

必至滅土の願
難思議往生の願

真宗聖典p470
この阿弥陀如来の往相回向の選択本願をみたてまつるなり。これを難思議往生ともうす。これをこころえて他力には義なきを義とすとしるべし。


滅土に至ることを往生という
正定聚に住することを往生という
           →仏になれる身に定まるを「正定聚」というなり。『一念多念文意』

真宗聖典p235 
 「即得往生」というは、「即」は、すなわちという、ときをへず、日をもへだてぬなり。また即は、つくという。そのくらいにさだまりつくということばなり。「得」はうべきことを得たりという。真実信心をうれば、すなわち無碍光仏の御こころのうちに摂取して、すてたまわざるなり。


救済=すくい→往生
自証=さとり→成仏

成仏・・・・因位=道程
  ・・・・到達面

不体失往生ーー念仏往生の機(正定聚)
体失往生ーーー第19願の往生の機

『2006年 安居講録』p103
五趣八難の迷いの道を超えるということが、即得往生である。そして住不退転ということは、必ず(中略)現生に十種の益を獲ることであると解釈せられたといっていい(中略)「即得往生、住不退転」ということを「横五趣八難の道」「必獲現生十種の益」とあらわされたのであります。


現在の往生の歩みが「臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」真宗聖典p250となる。

仏教は「死後観」ではなく「死観」。私にとって「死」とはなにかと問うもの。「死観」がわかるから”生きる”ということが解る。
死んだらどうなるかをいわず。
死に様の善し悪しをいわず。
死に際の来迎をいわず。

(散)
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