お待ち受け大会の記録紙の発行

夕方はお待ち受け大会 運営委員会です。長崎教区のお待ち受け大会が終わって4ヶ月が過ぎました。そこでもりあがった教区の若手の活動をどのように展開していくか話し合いました。

まず、そのことに取りかかる前にまず総括と点検をしなければ前に進まめいのではないかということになり、お待ち受けの記録として記念誌を発行することになりました。



これからしばらくは編集作業にかかりきりになるかと思われます。

御遠忌お待ち受け大会 運営委員会

御遠忌お待ち受け大会が終わって二カ月がたちました。
その後いかがおすごしでしょうか。今回の大会をおこなうにあたって話し合われたことは、「ただ大きなイベントをやったという満足感だけで終わらせてはいけない」ということを強調してきました。そこで、これからこの盛り上がりをどのように生かしていくのかが問題となっています。
当面はお待ち受け大会の資料として冊子を作る作業やこれからのことをどのように進めていくのか協議をしました。

宗門各位に告ぐ/宮谷 法含

 いまの宗門は、五年後に宗祖聖人の七百回御遠忌を迎えようとしている。しかも、御遠忌を迎えて、われらは一体何を為すべきかの一途が明らかではない。宗門全体が足なみをそろえて進むべき態勢が整うているとはおもわれない。このままでは御遠忌が却って聖人の御恩徳を汚しはせぬかとの声も聞き胸をも打たれる次第である。この憂(うれ)うべき宗門の混迷は、どこに原因するのか。宗門が仏道を求める真剣さを失い、如来の教法を自他に明らかにする本務に、あまりにも怠慢であるからではないか。今日宗門はながい間の仏教的因習によって、その形態を保っているにすぎない現状である。寺院には青年の参詣は少なく、従って青壮年との溝は日に日に深められてきているではないか。厳しく思想が対立し、政治的経済的な不安のうずまく実際社会に、教化者は、決然として真宗の教法を伝道する仏法者としての自信を喪失しているではないか。寺院経済は逼迫(ひっぱく)し、あやしげな新興宗教は、門信徒の中に容赦なくその手をのばしてきている。教田の荒廃してゆく様は、まさに一目瞭然であるが、われらは果してこの実情を、本当に憂慮し、反省しているであろうか。まだ、何とかなるという安易をむさぼる惰性に腰をかけているのではないか。
 大谷派に一万の寺院、百万の門信徒があるといいながら、しかも真の仏法者を見つけ出すことに困難を覚える宗門になってきているのである。極言(きょくげん)するならば、われわれ宗門人は、七百年間、宗祖聖人の遺徳の上に安逸(あんいつ)をむさぼって来たのである。いまや御遠忌を迎えんとしてわれら宗門人は、全身を挙げて深い懺悔をもたねばならない。単に御遠忌のにぎにぎしさを夢みることによって、この現状を糊塗(こと)するようなことがあるならば、宗門は疑いもなく、歴史から冷ややかに嘲笑(ちょうしょう)を浴びるであろう。
 宗門は今や厳粛な懺悔に基づく自己批判から再出発すべき関頭(かんとう)にきている。懺悔の基礎となるものは仏道を求めてやまぬ菩提心である。混迷に沈む宗門現下の実情を打破し、生々溌溂(せいせいはつらつ)たる真宗教団の形成を可能にするものは、この懺悔と求道の実践よりほかにない。                          昭和三十一年四月三日

宗祖親鸞聖人750回御遠忌お待ち受け大会in長崎 その4


本日は雨の中たくさんのご来場ありがとうございました。
今大会は、若手僧分が中心となり全く白紙の状態から企画・運営の全てを行ってまいりました。
これまで2年間、親鸞聖人の喜ぶこととは一体なんだろうと憶念しながら、様々な協議を重ねてまいりました。
良くも悪くもこれが私たちの全てであります。
 さて皆様は「お寺」という場所をどのようにお考えでありましょうか。かつてある人は「ただの風景」と表現された方もありました。あるいは「敷居が高い」・「不幸があってから行くところ」・「難しい教義を説くところ」。あるいはお寺に行くにはまだ早いと思っている。など様々な意見があることはよくききます。わたしども実行委員は、そのようなお寺や宗教への固定的イメージを払拭したいという思いからこのような大会を行うこととなりましした。
一方、私たちの心の投影であります現実世界は、殺伐・混沌としています。子が親を殺し、親が子を殺し、妻が夫を殺し、さらには何の関係のない人を「むしゃくしゃしたから」といって無差別に殺すという事件が毎日ように過剰なほど報道され、危機意識が煽られるようにもなりました。このような社会状況の中で、心の渇きを訴えている人は年々増えてきています。しかし、それを受け止めてくれる仲間や師が見つからず苦しんでいる方も大勢いるのが現状です。このように「心の拠りどころ」を見失いつつある人々に、親鸞聖人の教えを伝えたいとの思いか沸き起こってきました。
 そのようなことを思いつく根底には、私どもの宗門、真宗大谷派は人々の苦しみに寄り添いつづける教団でありたい、人々に愛される教団でありたい。そして人類に捧げる教団でありたいという旗印のもと、約50年間教団の在り方を苦悶し模索してきたという歴史的因縁があります。

今大会のサブテーマであります『〜傷つけ合う世界の中で〜』という言葉には答えがありません。その問いにどう答えるかは皆様方それぞれです。しかし、人間のこころの奥底にあるものは、傷つけあってしか生きていけない世界への悲しみと深い反省があります。傷つけ合って来た歴史とともに傷つけ合うことを悲しんで来た歴史も共にあります。そのことに思いを馳せることが出来るのから人間であると言えるのです。今大会を通して感じたことは、このようなことを語り合える仲間を持つことは大事だということす。

今回この大会で私どもが学んだことは、親鸞聖人の教えは一宗教団体や一思想界に留めておくような教えではく、国境や宗教を超えて様々な人々の苦悩する人々の中に常に親鸞聖人はおられるのです。

この場を借りて、この大会にご尽力していただいた方々、御門徒の皆様、全スタッフの皆様がたに厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。




今回の大会には様々な人にお知らせをしました。東京・京都・大分・熊本・久留米からもこの雨の中車を走らせてきてくださいました。
また、ある人は浦上のカトリックセンターで「こんな講演会がありますよ」と薦められて来た人もいました。または、大学の友達に誘われて来たという人も見かけました。




本の販売はメトロ書店にお願いしました。よく売れていたようです。一体どの本がよく売れたのでしょうか?



アンケートもずいぶんと集まりました。ありがとうございました。終わり次第集計して統計や傾向を見てみたいものです。




このシンポジウムの様子は、6月5日(日)の午後6:00からNBCラジオにて一時間番組として放送されます。ぜひあわせてお聞きください。

宗祖親鸞聖人750回御遠忌お待ち受け大会in長崎 その3

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             <第二部>
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休憩のあとは姜尚中氏の基調講演。

◆基調講演(姜氏)抜粋
私は30代のころ、両親をなくしたことと愛すべき人を亡くした縁もあり、お世話になっていた神父の薦めで埼玉の小さな教会でキリスト教の洗礼を受けました。それほどキリスト教にひかれてたわけでもなく、教義的に関心があったわけでもありませんでした。実家は熊本です。それほど熱心ではありませんでしたが両親はもともと真宗の門徒で、両親が亡くなった時には大谷派で葬式を出しました。

なぜこの世界はこんなに不条理なの化という疑問を若い頃から感じていました。

キリスト教や浄土真宗など宗教の通低した救い、この矛盾に満ちた現代社会の不合理性に苦しむ人間にその救いをどこに求めるのか。



年間3万人を超える自殺者が10年以上も続いている現状、その数は世界で一番多い。これだけ文明が発展して豊かになったにもかかわらず自殺者の数は減るどころか増えてる。これはどういうことだろうか。
「自分の居場所がない」と感じているワーキングプアたち、彼らをどうするのか。
私の教え子でもあるライフリンクの清水氏、彼がいうには「若い人が希望をなくしてしまっている。」という。
いままさに親鸞という人、親鸞の思想が求められている時代は現代において他にはないのではないかとおもいます。現代はまさに親鸞が生きたあの戦乱の鎌倉期とよく似ている。
親鸞聖人のようなことを考えた人は世界中探しても他にいない。『悪人正機説』にしてもそのようなこと言うひとは現代にはいますが、あの時代、差別や貧困が渦巻く時代社会の中であのようなことが言えたのは奇跡に近い。



そんな社会の現状を伝えるメディアどうかというと、決して中立でもなく、透明性があるわけではなく、むしろ誰かが作為的に作っているといわざるをえない。世の中の2分法を強調し、ステレオタイプ化し、情念を増幅している。



大衆の憎悪を上手くつかみ、上手に操作したのはヒトラー。これがいわゆるプロパガンダ。
まさに今は政治が無力をさらけ出している。政治は目の前で苦しんでいる人に差し伸べる手を持っていない。今こそ、政治、宗教、メディアが問われている。


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          <パネルディスカッション>
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最後は三氏による『政治×宗教×メディア』をコラボしてのパネルディスカッション。





コーディネーターは実行委員会を代表して長崎教区第2組 崎戸信行寺若院 清原昌也氏。

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宗教:三明智彰氏 九州大谷短期大学副学長・私塾量深学場主催


・宗教者は政治に対して無関心ということがある。
・政治は宗教に、宗教者は政治に口を出すなという風潮がある。宗教者の中では政治のことはタブー視されている。
・王法(=国家)に対して「No」とはっきり言えるのはいつの時代でも宗教者だけ、またはそうでなければいけない。
・親鸞聖人の国家観ということでいうならば、仏教によってこの国を救おうとした聖徳太子を大変敬っていた。曇鸞が中国の皇帝に崇められていたことを大事にされている。
・先の戦争での真宗大谷派は多くの過ちを犯して来た。大谷派も戦争加担したという歴史がある。その反省から二度と戦争を煽ってはならない。釈尊は「すべての者は暴力におびえ
すべての者は死を恐れる。己が身をひきくらべて殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」と言われている以上、その精神を我々は継いでいかなければならない。
・メディアリテラシーということが大事だと思う。大学にいて学生とつき合ってみるとよく思うことですが、学生が考えることが苦手な人が多い。そのような状態だから選別する目が弱くなってきているように思う。
・人間は不安があるのが普通。不安がなくなれば幸せになれるかといえばそうではなく、不安があるから生きているということがわかる。むしろその不安をどう受け止め、どう向き合うかが宗教の本領とするところ。


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メディア:森達也氏 映像作家・映画監督
・抑止力とは一体何か。全ての戦争は自衛によって起こる。過去のどのような戦争でもそうです。「やられる前にやってしまえ」・「やられたからやり返す」このどちらも自衛戦争。
・今日のセキュリティー社会はこれを煽っている。不安を煽っている。
・そして正当防衛という名目で人を殺す。それが国家であるか個人であるか、または時代や価値観の違いによってそれが悪か正義かころころ変わる。
・あるいは厳罰化の問題は、それはセキュリティーが過剰に煽られた危機意識から出てくる。
・善悪の二極化が進んでいる。メディアは悪い奴は誰かと探すようになり、悪者を見つけて視聴者に安心をあたえる。しかしこれはメディアだけが悪いのではない。
・日本はこの何年間で犯罪が劇的に少なくなっている。何年かは連続して戦後一番犯罪が少ない。しかし、多くの人が日本は治安が悪くなったと感じている。これはメディアが極端に危機意識を煽っているから。
・ベルサイユ体制、ワイマール体制の話。
・戦争を映画とラジオがプロパガンダした時代から、テレビとインターネットがプロパガンダを行う時代になった。より早くより簡単に行える時代になった。

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政治:姜尚中氏 東京大学大学院教授・政治学者

・戦術核、クリーンな核ということを言い出した。一体クリーンな核とは何か。
・戦場のロボット化をオバマ政権は進めている。ゆくゆくはアメリカ本国の自宅でパソコンを開いて戦争ゲームのような仕事を何時間化したら夕食のディナーに出かける。そのような戦争を行う時代がくる。これではヒューマニズムが入る余地がない。
・正か邪かではなく、方便が大事。
一体人間はどこに行ってしまったのか。


<まとめ>
我々日本人は親鸞聖人を「東アジアの親鸞」にする義務と責任がある。これまでの歴史的なこともふくめ特に東アジアには我々日本人が果たさなければいけない責務があるように思う。
親鸞聖人の教えが閉塞したこの時代状況を切り開く。





そのほか休憩中に会場からの声(観客からのアンケート)を回収・集計して質問もしました。

宗祖親鸞聖人750回御遠忌お待ち受け大会 in長崎 その2

開演です。
司会・進行は第実行委員。長崎教区第2組 光明寺の武宮智。

まずは諸注意などの連絡事項の伝達。

まず、お勤めの代わりにコーラス隊がパーリ文の『三帰依』と『礼讃無量寿』を合唱します。パーリ文の三帰依は万国共通ですから世界中の仏教徒が歌える共通言語です。

ブッダーン、サラナーン、ガッチャーミ〜


長崎教区御遠忌推進委員長 亀井廣道のあいさつ。

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一言ご挨拶をもうしあげます。
 本日は、どなた様も他の用件をさしおいて、この集いにようこそおこしくださいました。
 さて、来年は親鸞聖人がご入滅されてから七五〇年目にあたります。聖人を慕うひとびとにとって、七五〇回御遠忌をむかえます。翻って考えてみますと、現代においては、悠久の時代を超えて、聖人に対する敬慕の心が深まってゆくのを感じます。真宗門徒だけでなく、日本人に限らず、国境・民族を超えて、そしてイデオロギーを超えて、人々の間で敬仰されているのです。
 この親鸞という仏者の精神は、永く真宗教団によって、全国津々浦々にまで伝えられ、念仏の声となって伝わってきました。 特に聖人の肖像は等身大のご影像として、東西本願寺をはじめとするいわゆる本山の御影堂に御安置されてきました。そして夥しい数の人々があの京都のお堂で聖人に対面してきたのであります。ところがいつの頃からか、実際にはその教えや思想はすでに本願寺というお寺から出て、様々なところで、映像になり、書物になって、罪業の如何を超え、無数の方々の胸に響いて、人生の苦悩の闇を照らす光となっていることが、ますます明らかになってきました。
 聖人が語られた言葉を書き付けた『歎異抄』に、「一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり」と記されてあります。すべての衆生は、同じいのちにつらなる父母・兄弟である。聖人はこのように深く信じられたのです。この「同朋」という観念は全世界のいのちある一切衆生にまで普遍化されました。

 今日では親鸞聖人は本願寺の中にじっとしておられる時代を過ぎて、世界中の苦悩する人間の同伴者となって、「一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり」とよびかけておられるのです。聖人が生きられた中世鎌倉時代は乱世と云われ、惨憺たる世相だったようです。ところが今日の日本は、それよりも人間として生きることが困難な社会であって、例えば自殺者が毎年三萬人を越すといわれています。生き場を失って、奪い合い、傷つけあい、差別に呻吟する時代でありましょう。皆様方もこのような悲しみをたくさん見て来られたことでしょう。その苦悩の時間こそが聖人と共なる念仏の時間です。「我らの真の済いとは何か」と問う時間、すなわち聖人から「友よ」と、呼びかけられている時であります。

 さてこれからのひとときは、それぞれの人生の苦悩において聖人の言葉に出遭い、聖人の御精神に感動し、歩んでこられた三人の先生方のシンポジウムの集いでございます。どうか最後までよろしくお願いいたします。これをもってご挨拶といたします。
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まずオープニングセレモニーとして『教行信証』の贈呈式がおこなわれます。
御遠忌を目前にして全国各地でお待ち受け会が行われています。大会を行う教区には、真宗本廟より『教行信証』の影印本が贈呈されます。

宗門を代表して、参務の黒川氏のあいさつ。


休憩のあとはお待ちかね。姜尚中氏の基調講演。

宗祖親鸞聖人750回御遠忌お待ち受け大会 in長崎 その1

いよいよ当日です。
天気予報の通りあいにくの雨。しかもすごい雨。その上にジメジメしていて暑い。もう梅雨の気配がします。そんな時期ですね。
今日は長崎県下のほとんどの小中学校で運動会がある予定でしたが、さすがの雨で運動会はどこの学校も中止。運動が得意な子どもには無情の雨。しかし、運動が嫌いな子どもにとってはほっとする雨でしょう。
そして、我々も「その日は運動会で行けない」という友達を誘うには絶好の口実の雨になりました。しかし、さすがにこれだけの雨が降ると客足が伸び悩むのではないかと心配です。こればかりはフタを開けてみなければ解りません。




朝9時から仕込み開始。
まず注意事項と各スタッフの確認と伝達事項を確認します。



ロビーの準備。当日券や当時預かりのチケットの準備も進められます。

総務部長の松林と長崎教区駐在の渋谷。


パンフレットは当日に印刷所より届けられました。



会場班のチーフの近藤君。額に汗して会場係の門徒さんに場内整備の説明をしています。
この日は雨ということもあり、ほんとに蒸暑い一日です。




一組の婦人会にも何名か応援をお願いしました。



アンケートを2種類用意しました。一つは「会場の声」として、第二部の姜尚中氏の基調講演終了後に会場からの質問を受けることになっています。
もう一つは全日程終了後に今回のお待ち受け大会についての意見や感想を入れてもらうようにしました。




舞台では着々と準備が進められています。今回は会場が大きいということもあり、バックのスクリーンに大型プロジェクターを投影することにしました。



朝から姜・森・三明の三氏は朝から長崎教務所の境内地にある『非核非戦の碑』にお参りしていただきました。中に納められている約三万体のお骨を見ていただきました。会場に着いて早々、姜氏が「大変よかった」と言っておられました。


只今、照明の調整中です。あまり明るくなりすぎないようにエリアを区切って、それぞれのパネラーがスポットでとれるようにしました。そうすれば広々と見えず、集中して見えますのでそのようにしました。




いよいよ会場です。
ロビーには雨の影響もあり、早く入りたいお客さんでごった返して少々パニック・・・・。インカムからきこえてくるスタッフの声が飛び交います。みな一生懸命なのが舞台にいる私まで伝わってきます。

長崎県内のいろんなところから集まっています。遠いお寺は遠路はるばるバスを借りきって参加されていました。
中には泊まりがけの門徒さんや一時間前から待っているお寺の門徒さんやお客さんもおられたようです。





パネルディスカッションはこんな雰囲気。



会場内は人で溢れかえったため、早めに客席の会場を早めました。

長崎教区お待ち受け大会 あと2日

お待ち受け大会まであと2日になってしまった。
泣いても笑ってもあと二日。

明後日は降水確率が100%となっていたので、長崎市県下のおおよその小中学校で予定されている運動会は中止になるでしょう。雨のことはもちろん心配ですが、その雨によって運動会が中止になれば、子どもは実家のおばあちゃんやおじいちゃんに任せて、出て来られるお父さんやお母さんは確実に何名かいるでしょう。そう思って友達にメールしまくりました。さて、どうなるでしょうか。

この大会は、出来るだけ宗教に縁のない、とりわけ若い人にきてほしいという願いのもと企画を立案してきました。
しかし、友人や知り合いなどにお寺のイメージを聞くとまず言われるのが「敷居が高くて行きにくい」「話が難しい」「もっと身近な話をしてほしい」「年寄りが行くところ」「死人が出てから行くところ」という意見やイメージなどをよく聞きます。
そのようなイメージを吹っ飛ばしたい。なんとか変えたいという思いが長年ありました。
そうかといっても長い伝統をもった教団ですから。そのことを全く無視してやるわけにはいきません。
そうはいっても考えあぐねるだけでは行けませんので、行動に移すことにしました。
どうせやるなら興られるようなことでも良いからやってみようと。

”依らば文殊の知恵”。ない知恵を絞ってさまざまな試みをしました。
テレビCM・ラジオCM・電車広告・バスの広告などもやってみました。

それでももし、
敷居が高いならば、敷居の高くない場所ということで長崎市公会堂を予約しました。

忙しくていけないと言われる方の為に日曜日なら出やすいのではないかと考え、日曜日に開催するようにしました。

◎もし、「お金がない」と言われる方の為に、チケットを大人前売り料金を1000円(1500円)、学生500円(当日1000円)とお安くしました。電車賃をあわせても2000円もあれば十分に堪能できます。

◎チケットはお寺にて取り揃えていますが、お寺は「敷居が高い」と言われる方には、気軽にいけるコンビニで購入できるようにしました。

◎もし、コンビニでも面倒だという方がおられるならば、家庭のパソコンで気軽に買えるようにもしました。

◎もし、パソコンが使えなければ近くの若者に頼んでください。そうすれば縁のなかった若者の目にもとまることがありますので、その時には「あんたの分も買ってあげるから」といってください。


◎それでも、行けない人・行けなかった人・行きそびれた人はラジオをひねってみてください。
6月5日のNBCラジオで6:00から7:00までの2時間、お待ち受け大会の様子が1時間番組で放送されます。
ぜひ聞いてください。

◎ラジオは仕事をしながらでも聞けますし、会社の帰りがけの車の中でも聞くことが出来ます。

◎それも聞けない人は時間のある家族か友人に頼んで、録音してもらってください。



あなたの近くに、あなたの家まで、あなたの会社まで、あなたの車の中にまで、電波になってまで仏さまはあなたに教えを届けられます。ぜひお聞きください。




お待ち受け運営委員会

1・2日に帰敬式が終わり、息をつく暇もなくこんどは後援会に向けて準備をしていきます。
長崎教区のお待ち受け大会は二つの3つの企画で進められています。

1、帰敬式
2、講演会
3、学習会

この3つは真宗同朋会運動の3本柱である

1 古い宗門体質の克服
2 現代社会との接点をもつ
3 真宗門徒としての自覚と実践

ということとリンクしています。

この3つの企画は全て学習会を中核とし、それぞれの企画活動の意義と内容を深め宗門人としての自覚を学びます。そこには実行委員全員だけではなく、教区内の若手僧分が参加しておこわれています。

今日はその中の決議機関である運営委員会です。
決めなければ行けないことが山のようにあって、締め切りギリギリまでねばっている事項がいくつかあってそれをまず決めていきます。
運営委員会は大会のおおよその道筋を決めるところですから責任は重大です。それだけにかなり会議は紛糾します。一つの事項を決定するのにとても時間がかかってしまいます。会議が長引くことの一つに、こういうことをに不慣れなことがあります。


それでもなんとか10時過ぎまでにはおおよその懸案はきまり。ようやく帰れます。今日の会議は8時間かかりました。
みなさんおつかれさまでした、
あと本番まで少しです。がんばりましょう。

これで運営委員会は最終会議となりました。




親子で帰敬式 二日目/午後の部

さぁ、いよいよ最後の帰敬式。2日の午後は満堂です。
泣いても笑ってもこれが最後。
長崎教区の宗祖親鸞聖人750回御遠忌お待ち受け大会、親子で帰敬式はこれで一応終わります。しかし、御遠忌はここから始まるのです。

今回受式した方はこれからが本当の念仏生活の始まりです。




親子で帰敬式 二日目/午前の部






親子で帰敬式 初日/午後の部

午後の部は60名を超える受式者で賑わいました。佐世保別院の本堂の広さと執刀者の通路確保などもあり、一回に受式できる人数を80名までとしていましたが、実際人が入ってみると、それでもちょうどいいぐらいの人数です。午前の失敗がありましたので同じ鉄は踏まないということで学習しました。昼食中に緊急会議で時間の微調整をしました。
それが功を奏したのか、大体いい感じで進行しました。


受付も混乱もなくスムーズに行ったようです。