今月の平和学習会

暖かくなってきました。
気候がいいと気分もいいですね。

しかし、気分が良い分この時期は五月病というのもあるように、物憂い時期でもあります。
人間は身体的なストレスがなくなると良いように思いますが、逆に不安になるということがあるのかもしれません。
寒かったり暑かったりする時期のほうがストレスが多いように思うのですが、かえってそのストレスをはねのけようとして活動的になります。
それを思うと、人生には平坦な道よりも壁や困難があるほうが、有意義なのもわかります。

 今日は「平和学習会」です。今回も少人数ですがとても面白い会でした。
最近の加熱する北朝鮮問題などを通して、メディアリテラシーの必要性について話しました。
最近、参加する人が少なくなってきたのでここらで一つ会の少々拡大を考えています。とはいってもそれほど大きい会にしたい訳ではではありませんが、そろそろ二年目に入ることからここでひとつ仕切り直しをしようということで、もう少し真面目に学習することも考えています。
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平和学習会/答えのない話をしよう。

今回は少人数。広げるよりも深くがモットーの会ですから、これで十分です。
住職・房守がインド巡礼にいっているためにさらに少なく6人です。
今日のメニューはおでんと刺身をつまみながら「憲法9条」についてまじめに話し合いました。それぞれ憲法に対して認識が違うこともあり、なかなか共通認識を持ち得ないところです。しかし、共通認識というのも、怪しいものでそれぞれでいいのかもしれません。もちろんこの会で何か運動を起こそうということでもなければ、なにか政治活動のような活動をやろうというつもりは全くありません。安田理深先生は「赤表紙と新聞との間に身をすえることだ」とおっしゃったそうですが、自分のすべき仕事から離れて何か別のことを言おうとするのではダメでしょう。



人間は考えるということが大事です。その考えるということがあってこそ人として生きられるのです。そして考えるからこそ、失敗を乗り越える知恵や科学を生み出したのでしょう。これが人間のすごいところです。
しかし、その反面はその向上心が欲と絡むと、大変なことになってしまうのです。世界人類の幸せのために考えられた科学は、あるとき人間全てを滅ぼすことのできるものに生まれ変わることだってあるのです。人間の英知は自分たちをも自らの手で滅ぼすことの出来る道具をつくってしまったのです。
さらに逆を言えば。それほどのことだって人には出来るのです。

例えば、そういった答えのないことを考え続けることもまた人間らしいのだとおもいます。

ですから、考えるという行為そのものがとても大事だということです。

この会は「平和学習会」という名目になってはいますが、実はあまり平和という言葉に馴染めず、どちらかというと疑問を思っています。
平和平和と云うけれど、わたしたちは何が平和なのか私たちには解らないものなのです。考えれば考えるほど「”平和”と言っていきものは実は本当の意味で平和ではなかった」ということだけがわかります。そこで「じゃあ平和って一体なんだ?」という疑問がでて来るのだと思います。そこが非常に大事なポイントではないかと思います。

これは以前から話が上がっていたことですが、鹿児島の知覧町にある『知覧特攻記念館』に行こうという計画がありました。
4月に一泊の予定で行くことにしました。日程はまだ調整中ですが、近々決定させねばと思っています。
そこで、来月はその予備学習として特攻隊のことや第二次世界大戦のことを学習してみようということにしました。
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1月の平和学習会

今回は8日に行いました。


今回から、平和憲法についてみんなで話し合ってみようと思っています。
テキストは井上ひさしの『こどもにつたえる 日本国憲法』で繰り返し話してみようかと思っています。


今回もとても面白い会でした。


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平和学習会/忘年会

早いものでこの学習会も二回目の忘年会を迎えました。
始まったのが去年の8月でしたから、まだまだですがだんだんと盛り上がって来ています。
この会は「広げるのではなく、深くする」ということで、沢山の人に来てもらうことを目的にするのではなく、自分自身が深く学ぶことをモットーにしてきました。
といっても、真面目に何かを研究したりするのでもなく、あるときは酒を飲みながら自分たちの暮らしのことや世界のことを語ったりしながら『考えるということをはじめよう』という会です。

「平和学習会」ということなので、なにか平和運動をするのだと思う人がいるかもしれませんが、そういったことではなく、平和とは一体何なのかという問いを持つことが大事ですので、何か一つの答えを出そうというのではなく、一人一人が問題意識を持って生活できる者になればと思っています。

お寺に一度も来たことがない人に対して何か出来ないだろうかということで始めたのがはじまりです。
寺という場が仏法に出あう縁になるということは大事だと思います。







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講上がり /平和学習会

今日は一年間の相続講(/そうぞくこう)の締めくくり『講上がり』です。
ことしも去年とおなじで、この時期にしては暖かい日でした。
かつてはこの時期には雪が降っていました。
それに比べるとずいぶんと暖かくなりました。



「講」とは集まり。または集いのことをいい、本願時8代目蓮如上人の時代に各地で始まったものです。
各寺によって呼び方は様々。
以前から相続講の組織形態や集まりが教団の資金集めと化しているとの批判もあり、問題視されてもいます。
そういったことから各地の寺院でも様々な工夫がされているようです。
萬行寺では「昔ながらの呼び方を残したい」という意見が多く、そのまま「相続講」と呼び習わしてきました。
各地区の相続講の取りまとめ役のことを講頭(こうがしら)と呼んでいます。
今日はその講頭と有志門徒の集いです。



相続講の主な活動内容は、講頭を中心に毎月の聞法会、年に一回の御文拝読会、各月の法要へのよびかけ、報恩講などの寄り合いを行い代々念仏相続をしてきました。




 蓮如上人は、「寄り合い談合せよ」と門徒に教化されました。
寄り合ってお互いが本尊を中心に語り合うことによって見聞を広め、それぞれが自覚的な真宗門徒として育つことを薦められました。
 また、地域ぐるみで葬儀や法要などの仏事を行ったり、各地域とのお寺の参り合いなどに発展し当時としては画期的なシステムとして地域に受け入れられようです。
それによって地域の活性化や交流も盛んに行われ、念仏の教えが普及するきっかけになったともいわれています。

 蓮如上人の功績は「一文不知のともがら」とよばれた、差別や偏見や様々な悲しみ悩みを抱え、底辺で苦悩する当時の門徒に「講」を公開することによって、仏法を慶ぶ仲間同士がお互いを教化しあい、悲喜共同しあい真宗を再興されたといわれています。

 現在は「寄り合い談合」といえばいい印象はないようですが、本来は「サロン」の意味合いをもっていました。
蓮如上人の時代にも、この相続講の中から強大な力を持った門徒衆たちが自由自治のコミューンをつくって一向一揆に発展したりと、さまざまな問題を興したことも歴史的にはあったと伝えられています。
 蓮如上人はその沈静化のために自ら筆をとり、講中の門徒に行ないを慎むよう戒めるの御文を書くほど力をもった講も中にはあったといわれています。


お斎をいただいて解散です。





夜7時からは「平和学習会」でした。
この学習会は、ふだんお寺に足を運ぶことのない20代から30代ぐらいの有縁の人たちを対象に開かれた、サロンのような集まりです。

一応、勉強会となっているので、始まりはまじめにお茶を飲みながら日本国憲法のことや、世界の戦争の実情、歴史などについて学んだ後、酒を飲みかわしながらざっくばらんにいろんなことを語りあう会です。

学習会参加者は8人。
先月は来れない人が多かったため中止にしました。

今回は学習会メンバーの一人が亡くなったこともあり、その追弔会を行って始まりました。




 話の内容は、自分たちの世代が抱えている問題や感じていることを話しました。
とてもおもしろい会でした。
将来への不安や、自殺者の多い昨今。そんな中で毎日寝る間もなく働く人。
自分の身の回りのことしか観ていない自分はいかに世界と隔絶してものを観ているかがわかります。

自殺をしようとなんども考えた友達を助けることが出来なかった話や、大切な友人をなくしたことなどの話をききました。

集まった中のひとりがつぶやきます。
「日本ってやっぱり平和じゃないね。」
「戦争や飢餓や差別なんかを勉強することはとっても大事。だけど自分たちが抱えている生活の不安や現実はまた別の意味で大問題だね。」と。

「また来ます」とみんな元気に帰っていきました。
悩んでいること、いま考えていることを素直に話せる場。
そんな場や関係が少なくなっているようにおもいます。
こういった集まりは、その時だけの楽しい飲み会に終わるのではなく、深くいろんなことが素直に話せる仲間を持つことの大事さをおもいました。
それがつまり『平和』ということの内容ではないかと思います。

平和についての学習会



9月9日に平和学習会を行いました。参加者は5人です。

今回も前回来れなかった人がいるたので、前回の話に引き続き、『食べること』に関しての話です。

仏教では、食べても食べても満足できない状態を、『餓鬼/がき』と呼んでいます。これは三悪道と呼ばれる苦しみの中の一つといわれています。
自身の欲望のままに、あれもこれも欲しいといって満足することを知らない人。そのような人は「宝の山に囲まれた地獄」に堕ちる。そういう表現で放埒に物を貪ったり、その物に感謝もしない者を戒めています。

日本に住んでいる我々が、自分中心な考えによって、どれだけ世界中の人たちを苦しめているか。
それはひとえに、自分以外の誰かが起こしている問題ではなく、わたしたち一人一人の「日頃の心が」そういった世界を作り上げている。まさに私たちは世界の一員であり、その世界に責任を持って生きるということが大事ではないかと思います。
まして、食べるということは「いのち」をいただきくのですから、大切にしなければ行けないと思います。



再び、前回よりも資料を整理して見やすくしました。

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<資料>
前回の<日本の現状>
① 輸入
● 食糧輸入(年間)・・・・・・・・・・・6000万トン(約4兆円)
● 輸送時に゙排出されるCO2の量・・・・・約1700万t
     ※これは約8万人の日本人が一日に出す排出量に相当(2006年)
     ※国内の食料輸送に伴うCO2排出量の倍近い量
※世界の輸出食料の10%を消費していることになる。
◯ 食材使用量・・・・・・・・・・・・・6700万トン(国産・輸入をあわせた数)
● 自給率
1960年(昭和40年) 80%
1965年(昭和45年) 70%
               (余談だけど1972年に、日本列島改造論発表)
現在は40%(先進国でも最低)

 ②生ゴミの問題
◯捨てている量
● 残飯(生ゴミ)としての廃棄量(年間)・・・2300万トン
               (廃棄処分の半分近くが未開封のような状態)     
               途上国7000万人の1年間の量にあたる
  ●そのうち調理された残飯・・・・・・720万トン(およそ11兆4000億円)   
※ 骨や毛や鱗など食べられない部分を除く
          合計:5900万トン
● 内訳(生ゴミ食品廃棄物も含める)                         
  日本は年に2千万トン以上(H16農水省)
 ・食品製造業          487万トン
 ・食品卸売業          74万トン
 ・スーパーコンビニ等小売業   262万トン
 ・食堂・レストラン等      312万トン
 ※家庭(厚生省H8推計)    1000万トン
 (食べられない皮や骨、血液、搾りかすなども含む)
               合計:2135万トン(およそ)30兆円超
●コンビニの消費期限切れで、捨てるお弁当やおにぎりなどが年に6億食分(推定)
●食堂、レストランの食べ残しロス率(日本、H16農水省)
 ※魚の骨や野菜くずなど不可食部は除外
 ・食べ残した客の率   34.1%
 ・客が残した量の率    3.3%
 同じく、食べ残した量(日本、H18農水省)
 ・結婚披露宴   22.5%
 ・宴会      15.2%
 ・宿泊施設    13.0%
 ・食堂・レストラン 3.1%
●食べ残しの理由(複数回答)
 ・量が多かった     72.3%
 ・嫌いなものがあった  13.3%
 ・食べなかった人がいた 12.8%
 ・体調不良など     11.5%
 ・味がよくなかったため 10.5%

  <世界の現状と日本の現実>
 開発途上国では人口が爆発的に増え続けており、2001年の国連の世界人口予測によれば、2050年には人口は93億人に達し、その90%に当たる82億人が途上国に集中するということである。
人口増加だけでも2030年には2億トンの食料が不足するとされている。
発展途上国では十分な栄養が摂れないためにエイズや感染病、もしくは簡単な薬で治療できる病気で命を落としている人が多く、なかには内戦に子供のゲリラ隊を組織して使い捨てのように子供たちを戦場に送る大人もいます。それもすべて原因は食べるものがない事からおこっています。
◯世界全体の食料援助量(年間)・・・・・740万トン
● 世界の人口は65億(日本人はその約2%あまり)92%は衣食住が事足ない。
● 8億42000万人が栄養失調
● 一日に3万5千人が餓死。(全く関係ないけど、島原の乱は3万7千人・・・)
  ●年間で1300万人
 (子供の数だけを調べて算出すると、二人に一人の子供が貧困層の国に住んでいて、3秒に一人の割合で子供が餓死している計算になる)

※ 日本は12兆4000億円のうち11兆1000億円が捨てられている。
                       (9割が廃棄)

<先進国日本の原罪>
 日本の業者は貧しい国から食料を安く仕入れて高く売ります。そして安定した供給を要求します。生産地では需要国のために田畑を工場などに変えて大量生産を始めます。しかし、日本の食糧生産のために毎日工場の労働に従事しているため、自分たちの食料を生産する時間や労働力、ましてや人件費もありません。
したがって、土地は荒れ、砂漠化することもあります。そうなればたちまち干ばつや冷害で不作になると、収入もなくなり飢饉的状況に陥ってしまいます。

 農地を焼き払い大量生産の工場を建てるたびに環境破壊と砂漠化が進んでいくことにもなっています。砂漠化は地球の陸地のおよそ4分の1(約36億ヘクタール)が砂漠化の影響を受けています。これはアフリカ大陸全体に相当する広さで、日本の陸地面積の80倍にもなります。砂漠化の影響で苦しんでいる人々は、世界で10億人近くにもなります。つまり、世界の5〜6人に一人は、砂漠化に苦しんでいるのです。
<ハンバーガーのたとえ>
 熱帯の森林を切り開いて牛を放牧し、ハンバーガー1個につき4〜5円安くすることができると言われています。しかしそのために伐採した森林の面積は、ハンバーガー1個につき5平方メートルで、そのことによる実際の損失は、数万円分に相当します。私たちが安価なハンバーガーを食べることで、そのつけが途上国に大きなダメージを与えているのです。
また、一杯の牛丼を生産するのに、おおよそ2トン程の水が必要だとも聞いたことがあります。

● 毎日食事が出来る人口の割合は全世界の約8%(5億100万人)足らず。(日本人はその8%に入っている。)

つまり、8パーセントの裕福な国がその他の国の食料を取ってしまい、途上国の人々を苦しめている結果になっているということになります。
しかしそれもまた、いつかそのつけが自分に回って来ることは自業自得の道理としては当然のことなのかもしれません。
こうしてみると、ワタシの我が侭(エゴ)のために、世界がそのような事態に陥っているのだという事が解ります。

平和についての学習会

夕方7時から20代から30代の人たちがお寺に集まって『平和学習会』と題して半分飲み会のような集まりを夜な夜なやっています。
毎月続けて今回で9回目の集いです。






ここのところは4回続けてDVDを観ています。
きょうは前回の続き、NHK特集『映像の世紀』第2集を観ました。
第一次世界大戦で何があったかを映像によって記録した特集番組。
まさに戦争の過渡期だった時代。

馬で戦場を走り回っていた時代から戦車が登場し、ライフルが機関銃になり。基地が塹壕になり、飛行機が登場し、
いかにして犠牲を少なく、相手の地を侵略するかという時代が終わり、いかに相手に大きなダメージを与えて相手を屈服させ、大量破壊が可能になった時代の話だった。



ふだんまじめに戦争・社会・教育・政治など気になっていてもなかなか面と向かって話すことの少ない世代のようで「たまには真面目にいろんなことを語ってみよう」という場としてお寺を開放したいと思い立ち、友人と二人で始めた企画です。

「広くたくさんの人に知らせる」ということを考えての会ではなく、深く自分たちが「人間とは何か」ということをしっかり学べる会として、少人数で手堅くやっていこうという感じでやっています。


これまで、なかなか都合が合わずに集まりが悪かったので、今回は平日にしてみたところ、12人が集まってくれました。

なかなか盛況でおもしろい会になってきました。


<DVDの最後に紹介されたチャーチルの言葉>

戦争から
煌めきと
魔術的な
美が奪い取られてしまった。

アレクサンダーやシーザーやナポレオンが
兵士たちと危険を分かちあいながら
馬で戦場を駆け巡り
帝国の運命を決する。

そんなことはもうなくなった。

これからの英雄は
安全で静かで物憂い事務室にいて
書記官たちに囲まれて座る。

一方、何千という兵士たちが
電話一本で
機械の力によって殺され
息の根を止められる。

これから先に興る戦争は
女性や
子どもや
一般市民全体を殺すことになるだろう。

やがてそれぞれの国には
大規模で
限界のない
一度発動されたら
制御不可能となるような
破壊のためのシステムを
生み出すことになる。

人類は
初めて
自分たちを絶滅させることのできる道具を手に入れた。
これこそが
人類の栄光と
苦労のすべてが
最後に到達した運命である。


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