毎月25日は法然上人・蓮如上人ご命日です。

今日、4月は納骨堂に加入ししている方の管理費を収めていただく日です。定例法要に参詣していただき、納めていただきます。

ちょっとした記念品ですが、伽羅の線香を少しだけお裾分け。

今日のご講師はお隣のお寺、三重町の正林寺のご住職です。

毎月25日は入れ替わりで老院と役僧さんの四人のローテーションでお話していただいていますが、4月だけはイレギュラーでご講師をお呼びしています。納骨堂加入者に限らずどなたでも参詣できますのでどうぞおいでください。

作上がり法要厳修

蝿一つ 打っては 南無阿弥陀佛かな  小林一茶

 

 かつて人々は山川草木や草叢の虫にも敬意を込め、手を合わせる暮らしを営んでいました。すべての生き物と共存しながら頭の下がる人年としてお育てを頂いてきたのです。我々は自然から生み出され、自然から守られている。このあるがままの姿を自然から学ぶべきなのでしょう。
 今日の時代では「自然は人間が保護するもの」という立場になってきています。これは人間が傲慢になったということではないでしょうか。かつての時代では、田植えが終わると、農作業のために無数に殺した虫たちのいのちを拝むため「作上がり法要」が勤まっていました。現代は、いのちを軽んじられるような時代とも言われますが、虫を殺してもそのいのちを拝むことが日々の暮らしの中でどれほどあるでしょうか。今一度、このことの意味の深さを見直してみる必要があるのではないかと思います。

 

今日から2日間、「作上がり法要」が勤まります。

二日目は萬行寺真宗婦人会が主催の物故者追徴会(ぶっこしゃついちょうえ)を兼修いたします。

講師は2日間ともに大村市西教寺住職の田中顕昭師です。

萬行寺には住職となられてからは始めてのご法話です。

作上がり法要厳修

 

 

7月12日/13日の二日間にわたって

 

夏のつどい 『作上がり法要』

 

がつとまります。

二日目は萬行寺仏教婦人会の物故者追弔会も兼修します。

 ご法話は大村市西教寺住職・田中顕昭師です。

みなさん。ご家族や友人など有縁の方を誘い合わせてお参り下さい。


 

 

永代経法要 三日目

法要もいよいよ今日の一座を残すのみとなりました。

最終日のお経は『仏説阿弥陀経』です。

このお経は『無量寿経』の『大経』に対して、『小経』(しょうきょう)とも呼ばれ、四枚の紙に納まる短編のお経であることから「四紙経」とも呼ばれる二千字に満たないお経です。 

原題は『スカーヴァティー・ヴィユーハ』( Sukhāvatī-vyūha)といい「極楽の荘厳」「幸あるところの美しい風景」という意味。『阿弥陀経』は、弟子の質問に答える形の経ではなく、釈迦自ら説く形式の経であるため「無問自説の経」とも呼ばれています。

紀元1世紀ころ、北インドで成立したと推定されていて、サンスクリット原典、漢訳、チベット訳が現存します。日本では鳩摩羅什の翻訳されたものが多く読まれ、古くはサンスクリット原典も日本に伝えられ、円仁の請来目録にその名が見られるそうです。

内容は、阿弥陀仏の極楽浄土の荘厳を説き、次にその浄土に往生するために阿弥陀仏の名号を執持(しゅうじ)することを勧め、次に六方世界の諸仏がこの説を讃嘆・証誠して信ずることを勧めていることを話した後、極楽に生まれるように願いを起こすべきであることを再び説くというのがこの仏説阿弥陀経です。

古田先生のお話もいよいよ佳境。

浄土教がどのようにして伝わってきたから善導大師から親鸞聖人までの念仏の歴史をダイジェストですが丁寧にお話しされました。

 

先生はまた来年おいでいただくことになっています。

 

 

永代経法要二日目


永代経法要二日目。講師は古田和弘先生

先生は仏教学が専門で、初めて学ぶ学生に語りかけるような口調で笑いを交えながら軽快にお話されました。簡単な事を深く、難しい事をわかりやすく、大事なことを丁寧にお話くださいました。

介護を志した学生が初めて介護施設に研修に行っときに、学校(自分が通っていた九州大谷短大)でお勤めしていた正信偈を認知症になったご老人がどんなに認知症であっても忘れず、かえって自分たちよりも生き生きしていたことに驚いたという出来事を先生に話してくださったことを取り上げ、「人はどんなに歳を重ねても、子どものころに感動したことやとても大事だと教わったことは歳を取っても忘れない。かえって認知症になったとによって、すべてから解放されて純粋に教えに生きておられるということがいえるのでしょう。」とお話しされたことが印象に残りました。

またそこに的確な視座と解説を交えてお話しされ、あらためて念仏の教えの深さも感じました。仏とは何か、菩薩と仏陀・如来のちがいなど、分かっていてもうまく言えないところを単純なくらい明瞭に示され、仏教の奥深さを改めて感じました。

 

御門徒さんにとっては、とにかく丁寧にお話してくださったので。まさに痒い所に手が届く。「ははあ、なるほど、そういうことなのか」と思わず相槌が出るような目からウロコの有難いお話ではないかと感じました。

永代経法要厳修

永代経法要が明日から3日間つとまります。
みなさま万障繰り合わせの上、有縁の方々を誘ってお参り下さい。

本日の日中は大経を読誦。

親鸞聖人はそれ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。と言われ、無量寿経を真実の経だと表されました。このお経には如来の本願が説かれ、お釈迦さまがなぜ世に出られたのか、その本意とは何かということが説かれています。


日中の法話は住職。

夜から古田先生がおいでになります。

秋季永代経法要

 永代経法要は春と秋の二季でお勤めしています。
春は5月、秋は11月です。
真宗の各法要では、お経が上がるのはこの永代経法要だけです。各お寺によっても違うところはあるかもしれませんが、基本的に永代経で上がります。この法要の勤め方は地域や寺院によってまちまちです。
真宗で勤めする「永代経」とは、「永代読経」の略で、自分に先立ち浄土に還られた念仏者を憶念し、先達が聞き大事にしてきたお経(教え)を今を生きる私も頂き、未来永代子々孫々にまでその経(教)の用きに出遇ってほしいと願って勤まります。「先達・先祖を御縁とする」というかたちをとりますので、永代経は先祖の追善供養という認識が一般には強いように感じますが、浄土真宗における「永代経」は、狎菽・先祖を御縁として私が経(教)を頂き未来永代に伝える瓩箸いΔ海箸本義となります。

 亡き人への追慕の心は人間だけが持つ感覚として時には美しくもある。しかし時には憎しみや怨みも引き起こし、引き返しのきかない事態をも引き起こす。それほどに生者の我が身の情は深い。これはみな生者の側からの一方的な狆隲瓩砲垢ない。追善の供養とはそのような情によってしか成り立たない。しかし、経にはその「情によってしか見つめることのできぬ我。そして真に依ることを知らぬ我が身を知れ」と説かれる。

今回の講師は加来知之師でした。

作上がり法要

津町の本格的な夏の到来は、鐘が賑やかに海に鳴り響くペーロン大会で幕を開けます。
ペーロンとは長崎に伝統的に伝わっているボートレース。本来のペーロンは海からの恵を神様に感謝する奉納の儀式で太鼓や笛や銅鑼などをならしながら勇壮に行われていたものだったそうですが、いつの間にか勇壮さではなくなって、互いの速さを競うボートレースになっていったようです。かつての神仏への感謝心も薄くなったということのでしょうか。昔の人々は野山を駆け回り、自然と共生して生きいた時代の人は自然の猛威や恩恵などの「人知」を超えたものに対して「畏怖の念」や感謝するということが、人間の力の決して及ばぬ大自然との共存方法だったのだと最近感じます。真宗の教えを聞きはじめた頃はそのようなことに対して関心が薄く、どちらかと言うと軽視してきた感がありました。しかし、とても大事なことがこの中にあるのだということも感じるようになってきました。
しかし、漁業もなくなってしまった今では、現代人の考え方に従うとこのような形に成るのでしょう。だからこういう形でしか残せないくなっているのも当然のことですね。しかし、本来の意義が分からなくなったのもやはり寂しい気がします。

ということで、今日から二日間作上がり法要が始まりました。今回は住職と役僧さんがお話をされました。

春季永代経法要

初日  仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)
二日目 仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょう)
三日目 仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)

ご講師の先生は前回に引き続き、加来知之師(福岡県京都郡浄邦寺住職)にご法話をお願いしました。
加来先生の堅実なご法話。奇をてらわないまっすぐな姿勢と、基礎をしっかりおさえておられる的確なたとえは安定感があります。参詣されたご門徒の中にはお話が難しいと思われる方もいたようですが、このようなお話も「仏教を学ぶ」という視点からみるととても大事なことで、このことをしっかりふまえていないといけない大事な部分をお話しされました。
如来の本願。第一願は、我々人間の在り方を問う願であるということをお話しされました。

永代経法要が終わりました。

講師は浮邊泰祐師 (鹿児島県頴娃町 真光寺住職)でした。

先生は19日の逮夜から20日の逮夜まで「智・情・意」ということを中心にお話しいただきました。

永代経3日目

 3日目のお経は『仏説阿弥陀経』。このお経は、真宗の正依の教典、浄土三部経の中で最も短くて一番親しみがあって、書かれた年代が最も古いお経です。短いお経ですから小経(しょうきょう)ともいわれ、年忌などの法事で読まれるお経で、多くのご門徒が一番ふれる機会が多いのがこの仏説阿弥陀経ではないでしょうか。

ウィキペディアによると、『阿弥陀経』(あみだきょう)は、大乗仏教の経典の一つ。原題は『スカーバティービューハ』(サンスクリット:Sukhāvatīvyūha)で、「極楽の荘厳」の意味である。サンスクリットでは同タイトルの『無量寿経』と区別して『小スカーバティービューハ』とも呼ぶ。略称は、『無量寿経』の『大経』に対して、『小経』と呼ばれる。『阿弥陀経』は、弟子の質問に答える形の経ではなく、釈尊自ら説かれた経であるため「無問自説経」ともよばれる。1世紀ころ、北インドで成立したと推定されている。サンスクリット原典、漢訳、チベット訳が、現存する。
日本では、一般に『仏説阿弥陀経』(鳩摩羅什訳)を指す。

永代経法要初日

 ▶日中はお経が読まれます。初日のお経は『仏説無量寿経』。または略して「大経」とか「大無量寿経」とも呼ばれています。このお経は上下巻にわかれていて、真宗で読まれる三部経の中では一番長いものです。▶上巻では、お釈迦さまが耆闍崛山(ぎじゃくっせん)という修行場で弟子たちに説法をしている様子が弟子の阿難によって語られるところからはじまります。その後、法蔵菩薩という菩薩が道を求めて世自在王仏のもとを訪ね、浄土世界の様々な様子をくまなく観て本願を興し、阿弥陀如来へ成仏していく物語が描かれています。▶下巻は、主に仏となった阿弥陀が衆生に説法をするシーンが多く出てきます。▶
日中の法話は住職。

夜の座は福岡県 の加来知之師。加来は萬行寺でお話しいただくのは初めてです。先生はお経にはどのようなことが書かれているのか、どのようなそれぞれの物語は何のために書かれているのかを一つ一つ丁寧に詳しくお話されました。