法事は期日が命日より遅れて行うのはダメ?

昔から言われていることのようですが、一般的に法事をつとめる場合、命日より早く行うほうが良いと言われていますが、真宗の教えにその根拠はありません。

ただ一つ言えることは生きている者の都合ばかりを優先するならば次第に仏事は疎かになっていくでしょう。
しかし、命日より遅れてするのは良くないと言って、ただ慌ただしく過ごして肝心な仏法聴聞が出来なくなるようならば何の意味もありません。
 たとえ命日より期日が遅れて行ったとしても、そこに集う人たちが落ち着いて仏法聴聞できるようであれば大変良いことではないでしょうか。

何よりも大事なことは仏法を聴聞させていただく報謝の心が整わないようであれば、いくら怠りのない完璧な法事であってもお勤めしたことにならないと言えましょう。

sayonara長崎教区

谷派の新年度は実は7月始まりなのです。

昨今、「国際化社会に対応する」ということで4月始まりではなく9月始まりがいいのではということが話題ですが、現在の4月始まりはそれほど古い伝統でもないようです。戦時下における徴兵制度により、「4月はじまり」になったと聞いてビックリしました。

「え?そんな理由?」と思ったのは私だけではないでしょう。

古来日本の新年度は夏の衣替えとともに7月始まりが伝統だったそうです。それも農繁期などを鑑みてのことではないだろうかと想像できます。

ころで話は変わりますが2020年の6月30日をもって長崎教区は長い歴史に幕を下ろし、2020年7月1日より「九州教区 長崎祖」に生まれ変わります。これまで長きに渡って『真宗大谷派長崎教区』と名乗ってきたのですが、まだ実感がありません。

これも時代の流れなのでしょうか。これにあたって様々な組織編成についての会議が縷々急ピッチで行われています。財政の問題や教化の課題などなど、これからもこれまでも問題が山積です。

 

 

お祝いの仏事

 世の中にはいろんなご縁があるもので、本日のお勤めは名目上は一応「厄入り」。

 濱田家の先代の肝っ玉ばあちゃんの仰せ、「とにかく仏法を」・「仏法を聞かなければ本当の人間になれんぞ」という遺言に応えて息子さんの40歳のお祝いとして3代そろって一緒にお勤めをいたしました。

 濱田家は代々仏法にご縁のある家庭で、お父さんの孝則さんは総代さんもつとめていただいています。

 こうやって仏法に近づくのためのご縁であればお安い御用です。いつでもどうぞ。

 

 孔子の論語に
「子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る

、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

という有名な言葉があります。

 これは孔子が晩年に人生を振り返って言ったことばなのだそうです。これを聞いて果たして人生を振り返ってこのようなことを言える道を歩んでいるのかといえばまことに心許ない限りです。

 一方、現代という時代は、「正しく生きる」ことに誰もが惑っている時代でもあるように思います。逆から言えば「惑うことに恐れをなす」時代とも言えるし、「正しくなければいけない」という価値観が自分を苦しめていることでもあるのでしょう。

 人間には何が正しいのか分からない。だから人は惑う、それは人間の宿業なのでしょう。

しかし、迷わない人間はいないし、迷ったことがない者が正しいということに目覚めるということはありえない。やっぱり、人間は仏法を聞かなければ堂々と惑うことさえできない存在なのです。
 ときにはその「正しく生きたい」というおもいにあやしげな宗教がすり寄ってくることもさえあります。かつて立派な科学者や明晰な学者などがその正しさに惑いある宗教団体に入信したことは多くの人の記憶にあることでしょう。

しかし、迷わない人間はいない。この孔子の言葉は、むしろ迷ってばかりの人生に惑わなくなったということではないでしょうか。

本日はおめでとうございます。

仏事のとき「献杯」ってしないの?

法事をつとめた後、食事をしますが、そのことをお斎(おとき)と呼びます。その際に昨今では「献杯(けんぱい)」という行為をよく見かけるようになりました。

 爾来、仏教では禁じられた行為と率先して行うべき行為を定めたられた「戒律(かいりつ)」というものがあります。

飲酒は「殺生」と並ぶ禁止行為の代表格として「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」と呼ばれています。言われています。

その理由は飲酒をすることによって悪業の原因になるとされていました。本当にその通りで、御斎の時などは食べ物を放埒にして貪ったりするなどついついしてしまいます。それらは修行の妨げになるなどの観点から、仏事の際には酒を飲むことが禁止されていました。

<献杯はそもそも仏教の儀式ではない?>

以上のようなことから、仏事の際にはで飲酒をすることがありませんでした。

神事においてはお酒は穢れを払い、禊(みそぎ)をして献げるという行為があるようですから、そこからきたのかもしれません。

 

<合掌していただく>

御斎は仏事の一つとして大事にされてきました。その際には「献杯」はせず、「いただきます」と合掌していただくよう、普段から心がけたいものです。
 

●「お斎(おとき)」について

 お斎はいわゆる食事会ではなく、命を頂き・命に感謝し・海山の恵みを我が身にいただく、れっきとした「仏事」なのです。
私たちの日々の営みは「生・殺」の」繰り返しです。そんな生活の中にあって、私たちは命について考えることが程あるのでしょうか。

●命日

「いのちに学ぶ日」を「命日」と言いますが、お斎の際の食卓に並んだあまたのいのちは誰かのための犠牲として捧げられたものではないのでしょう。そういったことから、御斎は精進を基本とし、出来るだけつつしんでいただくことが大切であると言われています。

 

お斎の際には、下の言葉を唱和していただきたいものです。

 

【食前のことば】
み光のもと、われ今幸いに、この浄き食をうく いただきます

 

【食後のことば】
われ今、この浄き食を終わりて、こころ豊かにちから身に満つ ごちそうさま

 

供養ってなあに?

萬行寺HPより転載

 

「供養って、なあに?」

親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず 『歎異抄』

「供養」はインドの言葉で「プージャナー」、あるいは「プージャー」といい「尊敬する」「崇拝する」という意味です。
供=卑しき物を尊い者に勧めること。
養=卑しき物によって尊い者を資(たす)けること。

故人を慰めるために行う儀式ではなく、生きている私たちが学ぶこと。
仏(法を説く人)・法(教えそのもの)・僧(教えを聞いて道を求める人々)の三宝に衣服・食物・薬品・財物などを捧げ、敬うこと。
<本来、インドの仏教は・・・・>

 バラモン教が動物の犠牲による儀式であるのに対し、仏教は不殺生の立場から「供養」という言葉を理解したものと言われています。
そして、礼拝の対象へ水、華、香、灯火などを供えることとなり、やがて、現在のような意味になりました。 つまり、「自分自身を卑しい者と自覚し、その上で自分にとって一番大切な物品を尊き者に対してそなえること」と言うことができると思います。

日本の民間信仰においては死者や先祖に対する追善供養のことを特に指していわれますが、本来の仏教的理解からすると程遠い考え方であると言えるでしょう。

<真宗の供養>
真宗では「追善供養(ついぜんくよう)」はいたしません。
=亡くなった方の冥福を祈り、亡くなった方の生前の罪を拭うため生者が死者に善行を差し向けることを「追善供養」と言います。
法然上人、親鸞聖人が私たちに勧める念仏の教えでは、そういった修行は雑行(迷いを深める修行)であるから、そこからは遠離せよとハッキリいわれ、本願寺の8代目の蓮如上人は「雑行を投げてて、一心一向に弥陀をたのめ」といわれています。
また、法然上人の遺言には”追善の仏事ではなく、報恩の仏事をするように”と言われていることから、真宗でいう供養とは仏様の教えを聞くことが何よりの仏事であると云えます。

 

雑感。モジモジしたら書きたまえ3

<悲しみの深さの中に 共に出遇える世界のあることを知る。>

 

近な方を亡くすのはとても悲しい。その別れが受け入れ難いことであればあるほど、私たちはいつまでもそのことを忘れることができません。

 

き人とのご縁を「有り難かった」といただけるお別れあり、また若くして亡くなった我が子のことをおもうと、ポロポロと涙が出て止まらなくなる人あり。(我が子だけではないのでしょうが・・・・)

そこで「いつまでも悲しんでいられない」と立ちあがって、その悲しみを仏法に投げかけてみるけれども、聞法してもそのご縁が「有り難かった」とは受け入れられない。それももっともです。

 

どうにもならんというが、どうにもならぬことはどうもせんでいいのであります。自然なのであります。それをどうかせねばならぬと思っているのがはからいで、そのために暗いのであります。どうにもならんことは暗いのではない。それはどうにもしないでいいことなのであります。(仲野良俊)

 

をなくして見送る悲しみはどこまでも深いのでしょう。しかし、見送られる方の立場に立って想像してみれば、そういつまでも泣いていも困るのではないかと思うのです。

そして、その悲しい気持ちを一体誰がなぐさめてくれるのかといえば、やはり先立って亡くなっていかれた子より他には誰もいないのだといえます。だから、「そう悲しまず、どうぞ親不孝の罪を許して仏法を聞いてください」というのが亡くなっていかれた方々の切実な願いなのではないでしょうか。

 

子をたすけるのではなく、子にたすけられる私なのです。

 

そこに親子が「共にたすかっていきたい」という”人間の本有の願い(本願)”を互いに念じあっている。だからこそ、「その悲しみを縁として、悲しみを超えた世界に共に出遇って欲しい」と十方世界の彼方の仏から願われている存在が私たちなのです。

 

亡き人を案ずるあなたが 亡き人から案じられている  (廣瀬 杲)

 

こういただかれた時、手を合わせるこころの中に新たな世界が開けてくるのでしょう。(釈大攝)

雑感。モジモジしたら書きたまえ2

<自己中心的な人間の心が地獄を作り出す>

 

名な寓話のひとつに、「天国の食事・地獄の食事」という話があります。

 

はそのいのちを終えると、閻魔の前に行くと言われています。まず閻魔のところに行くと待合室のようなところに通されしばらく待たされます。するとお腹が空いてきた頃を見計らって閻魔は人々の心を試すため、次の部屋へと通します。その部屋にはたくさんの料理が用意されていて「この料理をそこにあるお箸を使って好きなだけ食べていい」といいます。そして閻魔はこう言います。「飢えを満たすことの出来たものは極楽浄土へ。飢えたままの者は地獄へと堕ちるだろう。」と。
そう言われて、よく見ると料理の前に1メートルもある長いお箸がおかれていました。その箸は1メートルもありますから「自分の腕よりも長い箸でどうやって料理を食べればよいのか」と動揺が広がります。
すると閻魔は続けてこう言います。
「では今から地獄の食事風景と極楽の食事風景をお見せしよう。」
といって閻魔が最初に開けたカーテンの向こう側は、地獄でした。
人々は先を争うように長いお箸で料理を自分の口に運ぼうとするのですが、誰一人としてその食べ物を口にできる者はいません。そこには、我先に食べようとするが故に食べられず、互いに怒りをぶちまけて貪り争い合う醜い世界の様子がありました。

 

に閻魔がカーテンを開けて見せてくれたのは極楽の食事風景でした。
人々は地獄とまったく同じように1メートルもある長いお箸を使って料理を食べていました。それは目の前の人の口にその食べ物を運んでお互いに交互しながら食べ物を与えあっていたのです。なんとも豊かでなごやかな食事風景がありました。
人々はあのようにすれば自分は極楽に行くことができると安堵し誰もがそう思いました。

 

かし、実際に食事が始まりました。しばらくすると、あろうことか極楽へ行くための方法をすでに教えてもらっているというのに、人々は次から次へと地獄に堕ちていくではありませんか。一体なぜ人々は地獄へ落ちたのかと思ってその様子を観察すると、三種類ほどのパターンがありました。

 

ただひたすら待っているという人
自分から進んで行動を起こすことはせず、他者が食べ物を口に入れてくれるのを、ただひたすら待っているのです。そして、他者が食べ物を口に入れてくれた時だけ、その相手にも食べ物を差し出すのです。しかし、その存在が目立たないが故、次第に人々はその人の前を素通りします。こうしてその人は誰からも食べ物をもらえず、飢えたまま、人々を恨みながら、地獄へと堕ちていきました。

 

とにかく与え続ける人。
自分が食べ物をほしいので、相手の好みや都合も聞かず、とにかく誰彼かまわず食べ物を与え続けるのです。最初はそれでもいいよかったのですが、次第にそのやり方があまりにも自己中心的で強引なために、次第に人々は離れていきます。こうしてその人は誰からも食べ物をもらえず、飢えたまま、人々を恨みながら、地獄へと堕ちていきました。

 

取り引きをする人。
今からこれをお前に食べさせる。その代わりお前はこれを俺にこれを食べさせろ、という感じで要求して取引するのです。一見もっともなことのようですが「お前も俺に食べさせろ」という態度があまりにも高圧的でうさん臭いため、次第に人々は離れていきました。こうしてその人は誰からも食べ物をもらえなくなり、飢えたまま、人々を恨みながら、地獄へと堕ちていきました。
気が付いてみれば、次から次へと人々は地獄へ堕ちていきます。極楽へ生まれる方法はみんな知っているはずのに、極楽へ行ける人は、まったくいなかった。

 

こんな話です。おおよその人はこの中の誰かに当てはまることでしょう。

 

 

 

雑感。モジモジしたら書きたまえ

<パンだけではなくバラも>


 こんな時だからこそ「リテラシー」の大事さを痛感させられます。じっくり考え観察したり考察することによって冷静な判断ができるようになります。私は普段あまり本を読むという習慣があまりないのですが、あらためて文学を楽しんだり、芸術を嗜む時間を持つことは大切だなと痛感しています。

 

 日の時代、インターネットなどで情報を検索すれば今の自分に必要な情報は大概教えてくれます。確かに大変便利ではありますが、パソコンやネットは使い方を間違えば使われてしまいます。まさに「リテラシー」を持つことが大事だなとあらためて思います。

今日の「緊急事態宣言」によって様々な憶測やフェイクニュースが巷を席巻している様子を見るにつけ、何とも言えない「ざわざわ感」を覚えます。そして「本当とは何だろう」と考えずにはいられません。
私たちは冷静に考え、物事を短期的に見るのではなく、もっと長いスパンでものを見る眼を磨かなければいけないと思います。そういった意味では仏教は優れた思想です。
 

<自己を見つめる眼を持つ>

 私たちは客観性を失えば、次第に周りを見ることをしなくなる傾向にあります。もしそうなったならば、私たちは目先の現実に追われて短絡的思考に陥りやすくます。
そのような心の状態になれば、他者と共存しているという目の前の事実に目が向かなくなります。そうなると隣にいる人のこともよく見えなくなるのでしょう。ともすると身勝手とも取れるような行動に出ることさえありえます。虐待など目を覆うような事件はそのような状況の時に起こりやすいのでしょう。

それらが度重なってくると、いよいよ道徳や人情などはまったく通用しなくなります。そうして社会が混乱をきたし次第に崩壊していきます。
「今なにが起こっているのかが見えてない自分を見ていない」。このような心の状態が一番危険なのではないかと思います。
少し大袈裟なように聞こえるかもしれませんが、これはかつてのファシズムを生み出した世界の現象に非常によく似ています。

一つ例えを出すならば、有名な『走れメロス』は、太宰治の作品で単純明快なストーリーです。その作品の背景には戦争に突き進んでいく右傾化した日本の危機的状況を太宰はどうみていたのかと言うことの一端がみて取れます。そのように時代背景を重ね合わせると、現代の時代との酷似性も見えてきます。そうしてみるともっと深いものを感じるとることができます。

 

<リテラシーをなくした時こそ危ない>

 う考えてみると、それぞれの時代のターニングポイントに立った人たちはどんなことを考え、どのようにその状況を見ていたのか、知ることも一つの客観性を養う力になるでしょう。
こんな時こそ文学や音楽。演劇などの芸術を嗜むことは大切なことではないかと思うのです。今はなかなか叶わないかもしれません。しかし、芸術は単なる癒しではありません。むしろそれらはちゃんとした判断力をなくしつつある私たちを正しい判断に目覚めさせる力となりうる大切なものです。
 ただの癒しとして芸術をみているようならば、芸術は何の役にもたたない無用の存在となるでしょう。しかし、そうでしょうか。よく考えてみるとこのように社会が不安定な情勢になっている時にまず切り捨てられるのが芸術でしょう。そうなれば世界に対するリテラシーもなくなります。だからこの国には芸術に対しての意識が低い。胸を張っては言えませんが私の体験上、そんな実感を持っています。この国にはたくさんの素晴らしい文学者や芸術家がいるにもかかわらず、その才能を伸ばす機会が与えられない人が多くいます。そのような才能のある人が今喘いでいます。この時代の岐路に立って、私たちは知恵を出し合って考える時ではないかと思います。

「人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンのために生きるているのでもない。わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。」

 

あ、それからシェアやコメントもどうぞよろしくお願いします。

 

雑感 この心のモヤモヤはなんだろう

<ニンゲンに成るということ>

 日曜学校を毎週していると色んなことや感じることがよくあります。最近、私の子どもの頃とは、取り巻く生活環境などが大きく変化しました。それらが子どもたちの成長にどのような影響を及ぼすのかなということを考えています。

 少なくともいつの時代にあっても、若い時代の感受性豊かな頃に感動したことや感じたことがその子の人生のベースになっていくことはよく言われることです。これは間違いのないことでしょう。それだけに少年期や幼児期の心の問題は大変大事な問題があるのだなということをあらためて感じています。

 私は以前より、日曜学校に来る子どもの中に「何か求めているものがあるな」ということを感じることがあります。

萬行寺日曜学校は毎週日曜日の9時から始まりますが、集まってきた子たちに特別な何かをしている訳ではありません。毎週必ず正信偈のお勤めをして仏様のお話を出来るだけするようにしています。その後はそれぞれお昼まで遊んで帰る。ただこれだけのことですが、それでも子どもたちは毎週やってきます。やって来る子の中には、自分は毎週行きたいけれど、塾や習い事があるのでたまに来る子もいました。もちろん日曜学校は出入り自由。いつ来てもいつ帰ってもいいのです。ただ一つだけルールがあって最初に来た時に仏様に手を合わてお念仏することだけを忘れなければOKです。

 そうして毎週やって来る子ども達に触れてみると、それぞれの心の中にあるモヤモヤとしたものを感じているようすが分かります。ある意味で、それは人間に成っていくための大切なプロセスとして健全で大切なものですが、それだけにモヤモヤしたものを一つの縁として出遇うべきものに出会って欲しいものだと思います。それがお寺というものの役割なのですから。

 

<仏伝に学ぶこと>

 あらためて考えてみると、いまさらながら恥ずかしい事なのですが、その心のモヤモヤは釈尊の少年時代や青年期の様々なエピソードの中に大切なヒントがあるのだと昨今気づきました。例えば有名な「四門出遊(しもんしゅつゆう)」の物語は、若き釈尊が「老病死」という苦に出遇って人間の事実を見るというストーリーですが、この物語が伝えるもう一つの側面は、青少年時代には皆このような人生の根本問題が次々と押し寄せて来て、誰もがモヤモヤとする時代であるということを伝えています。そのモヤモヤを一定の解決をみないまま大人になるのか、あるいは解決は出来ないものですが、その時点の答えをもって大人になっていく、その二つの差は雲泥の差があるのではないかと思うのです。今日そのようなことを問える場を持っているか、いないかは大きな違いです。

 

<何かを求めている>

 随分前のことですが、あるご家庭に祥月命日のお参りに伺った時のことです。その家庭は必ず年に一回、家族全員が揃って祥月命日をお勤めをするたいへん熱心な御門徒の一家です。ある時、そこの家のお孫さんがその日の命日が習い事の日に当たっているというので、ご両親は祥月の命日よりも習い事の方を優先させました。そのお孫さんが出かける前に「今日はお勤めの方にでたいから、習い事に行きたくない」と言っているのを押し切って習い事にご両親は行かせていました。わたしは折角日曜学校に縁もあったので「この子は何か求めているものがあるな」と感じていましたし、こんなご縁を頂くことが他の家庭では滅多にない事だけに、大変残念だと感じました。

 このような出来事は平時よくある事ですが、そのことを一概に批判はしてはいけません。その時のお孫さんのご両親の選択としては、ベストの選択だと感じられたのだと思います。

 今日の「子どもたちは忙しい」というようなことを我々大人はよく言いますが、そのお孫さんのご両親もたいへん教育熱心で、たくさんの習い事をされているようでした。

 これはなかなか難しい選択です。私としては「仏法を聴聞する事は人生にとってとても大事です」と声を大にして言いたい。しかし、それは大事だと頷いてはじめてわかる事。仏法に頷けるご縁が整うまでには随分と時間とタイミングが必要なのです。逆に頷けるようになってみれば、世間の雑事よりもっと大切なことがら、本当に尊いことがあるとわかるようになります。

 仏法で「世の雑事」と言われていることの多くは、今日であれば「世渡り術」であることが多いように感じます。確かに塾に行ったり習い事をする中にもたいへん有意義で大事なことが沢山あります。しかし、子どもたちの心の問題に対して仏法は習い事のような即効性はありませんが、一人の人間を長い目で見ると、「ほんとうの人間なる」という意味においてはたいへん重要なことであるとおもいます。つまり仏教でよくいわれる「本当のニンゲンに成る」と表現される事柄は、その時のその子のこころの問題であるだけに見過ごされがちなのです。ある意味で成長の過程、人生の経験としてそれら(ほんとうの人間になる道)をどこで担保されるのかということを考えると、現代社会では少々不安をおぼえます。今日の時代、宗教教育がなされるのはお寺をおいて、まず他にはありません。

 

<自分の少年時代を考えてみた>

 人はなぜ死ぬのか、死に往く身でありながら、なぜ生きるのか。これが仏陀釈尊の青少年時代の問いであったと伝えられています。ほんとうに深い問いです。そのような事に応えうる教えに若い頃に出遇えるか否かは、その後の人間形成に大きな影響を及ぼすのではないかと感じます。自分の少年時代を考えると、日曜学校で釈尊の物語を聞いて、いたく感動した日のことを今でも鮮明に覚えています。

それは「農耕祭の逸話」といわれる物語で、生と殺の矛盾を綴ったものです。

 

 農夫が牛を鞭うって田を鋤いていきました。虫たちは地上に放り出され、急いで土の中にもぐりこもうとしますが、それを見ていた小鳥がさっと飛んできて虫をついばんでいきました。あっと思って見ていたら、今度は鷹が飛んできて、その小鳥を捕まえたのです。その様子に、少年釈尊は、「あわれ生き物は、互いに食みあう」と悲しんで、閻浮樹の下でひとり寂かに瞑想した。

 

という話です。この青年時代のエピソードは農夫→牛→虫→小鳥→鷹という、いわば食物連鎖ですが、この「互いに食みあう」といういのちの事実が抱えている根源的な矛盾、つまり自分が生き延びるためには他を殺さずにはおれないという「生・殺」の問題をどう捉えていいのかわからず悶々としていた頃の私のこころに釈尊の問いが見事にマッチした瞬間でした。「その気持ちわかる!自分と同じ悩みだ!」という共感の喜びによって仏法がずっと身近になり、とても安心したことを覚えています。

出来うるならば、そのように日曜学校にやってくる子たちも受け取ってくれれば本望だと思います。

 

<再び、何かを求めている>

 これまで語ったことは日曜学校にくる子どもたち全てがそうであるわけではありませんが、毎週来ることを考えると、少なくとも何か感じるていることがあるのだと思います。わたしは大人よりも子どもの方が本当のことが通じると思っています。できるだけ本当の話をしようとこころがけています。大人の場合は話に何らかのオブラートや比喩がなければ伝わりにくいのですが、子どもの場合はそのような周りくどい表現はいらず、むしろストレートに本当のことを本当のまま語ることが子どもには伝わるのだと思っています。そういうことですから、「子どもだから」という容赦はかえっていらない。わたしは法蔵菩薩の物語を語るようにしていますが、大人は蘊蓄が多く話すのが難しいのですが、子どもの方が飲み込みが早いしずっと話しやすいと感じます。余計な解説や説明よりも、物語そのだけで子どもには十分伝わります。それは子どもが大袈な表現ですが、

 

「人心の至奥より出づる至盛の要求」(清沢 満之)

 

といった大人が忘れたものを問うているようにわたしは感じます。(了)

 

 

 

 

 

 

ムナシクユキテ、ミチテカエル

来たるものあり、そして帰るものあり。

人生の道はまさに「往還」です。

「帰すべき場所のない者は孤独である」(無処帰孤独)、そして「それに伴う者のない者もまた孤独である」(無同伴)と源信僧都が云われています。

「帰るべき場所があって、迎えてくれる場所と人がある。そのことに目覚めた人はどのような人生であっても引き受けて生きてゆけるのだ」とお説教などでよく云われます。
 

 この度、萬行寺の法務員を長年勤めていただいた此松さんがご家族と自坊に帰ることになり、最後の挨拶にこられました。

此松さんはあしかけ13年にわたって萬行寺の教化を担っていただきました。

初めは身一つで萬行寺にきて家族を伴って帰って行かれました。

自坊の臺寺(大分県宇佐市)では若院として活躍されることだろうと思います。長い間、お世話になりました。そしてこれからもよろしくお願いします。

 

 

 

YouTube 「お寺でじぃーん」配信!!

 

YouTube配信の番組、「お寺でじぃーん」にて44 『迷惑』のお題でお話しをさせていただきました。いろんな宗派のお坊さんのお話を見ることができます。どうぞよかったらご覧ください。

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忙しい

「忙しい」とは、「心を亡くす」と書く。生きていても心がそこに無ければ結局、「光陰矢の如し」。生きた実感のないまま虚しくいのち終わるだけである。

人生一生
酒一升
あるかと思えばもう空か

この世に私はいる。
しかし、その用事がなんであったのか
思い起こす事のできる場を賜った人の一生は幸福である。

「仏法に出遇って虚しく終わる人生を超えて往け」と仏は願っている。その声が聞こえない我々のことを悲しんで、仏は「凡夫よ」と呼びかけてくだっている。 (釈大攝)