春季彼岸会

kanekazu

今回初めておいでいただきました。

尺一先生です。

とても元気な方で、とても声が大きい!

初めてマイクの音量を下げました。

元気いっぱい。でも、この方、老院さんですよ。

知恩報徳。

仏恩という事をお話しいただきました。
元気です。

お彼岸3日目

彼岸3日目です。全日程で5日間ですので、今日の日中で折り返しです。
今日は1日いい天気でした。参詣もいつもよりは多く、楽しい(と言っては変ですが・・・・)法要でした。
日中(朝10:00から)は住職。逮夜(夜7:30から)は役僧の林田さんです。
それぞれの持ち味の出たいい法話で、聞き応えがあります。
ぜひ参詣ください。お待ちしております。

彼岸二日目

彼岸二日目は一日雨。
さすがに「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもの。
雨の一日でしたが、暖かな一日。
これだけ暖かいと雨の具合も「いい湿り」とつぶやいてしまいます。
日中の法話は老院。
逮夜は役僧の三澤さんです。
まだまだ序の口。

彼岸会はじまりました。

暖かくなってきました。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
久々の投稿からまたまたサボっておりました。
彼岸会が始まりました。
初日の17日は前々坊守の10年目の祥月命日でした。
まず余間で願生偈のお勤めした後、正信偈/念仏/和讃『南無阿弥陀仏をとなえれば』(現世利益和讃)のお勤めです。
初日中の法話は住職。逮夜は役僧さん。
明日は前住職(日中)と役僧さん(逮夜)です。


みなさん、どうぞお参り下さい。


春季彼岸会

彼岸とは、一般的には春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のこと。
また、この期間に行われる仏事のことをいいます。
元々は中国から伝わったものでしたが、日本に伝わった後、法要を営み祖先を祀(まつ)る行事へと変化していきました。正式には「到彼岸」(彼岸に到る)。

彼岸はParamita(パーラミタ)。日本語では「波羅密」(はらみつ)、英語では「Parfect」というのがそれにあたり、「完成された」・「完璧な」という意味で、覚り(さとり)のことです。
日本語では「彼方の岸」とも読みます。
私たちからは遠くはなれてた覚りの世界、仏(自らに覚めたもの)のすむ世界(浄土)のことです。
それに対して、人を傷つけたり、にくんだりと、悩みの絶えない無自覚なわたしたちの世界を“この岸”、「此岸」(しがん)といいます。 その此岸に住む私たちが、彼岸に住む仏によって自らに覚めること(さとりの世界に到る)を促されてはじめて、わたしたちは悩みの絶えないこの世界から開放されるのです。 わたしたちが彼方の岸(浄土)に往き生まれようと願う者=念仏者になることを、「彼岸」といいます。

講師は岡本英夫先生です。

秋季彼岸会

20日〜24日までの5日間彼岸会が厳修されました。
今回のご講師は谷本忍師。初めて萬行寺においでいただきました。

春彼岸会(3月17日〜21日)

 今回の彼岸会の初日には打敷の披露がありました。この打敷は、萬行寺の御遠忌で使うものを5年がかりで作っていただきました。作っていただいたのは萬行寺のご門徒でもあります日本でただ一人の長崎刺繍職人、嘉勢照太さんです。







秋季 彼岸会

彼岸は気候もよく、天気がいいのでどこかに出かけたくなります。

今日から5日間、秋の彼岸会です。特に春と秋の彼岸の参詣を比べると、秋の彼岸の方が参詣は多いように思います。

ご法話は岡本英夫師。
岡本先生は今年の報恩講でもお話いただきました。内容は毎回違いますが、話される事の核となるものはおなじだと感じます。
人にはそれぞれの表現があるように、仏教の教説も同じ。たとえ同じ人であってとしても聞くタイミングや環境、条件が違えば、頷けることも頷けなかったり、いままで何とも思わなかった事にものすごい衝撃を受けたりします。それだけに仏縁に出遇うという事は一大事なのでしょう。
説法がそれぞれの機縁に応じて説かれる。そう考えると、やはりその教説は「八萬四千」と言われるのもわかります。一つの物事でも、角度や見方を変えれば、またその表現も違ってきます。ましてや國や時代や生活環境が違う人が集まって教えを聞くとなるとさらにその説き方は難しくなるでしょう。

お磨き

 暑さも次第に和らぎ、いよいよ彼岸の時期になりました。
萬行寺では法要の前に門徒さんに集まっていただいて仏具を磨いてもらっています。

 真宗の荘厳は、皆さんのご家庭のお内仏にしても同じことですが、浄土の世界を表しています。浄土という世界は「清浄(しょうじょう)な世界」といわれ、どのようなものも清浄にする力を持っていると言われています。
ですから、お内仏の仏具はいつも磨いてきれいにしておくことが大事です。ロウソクや線香を炊くと煤がついたり埃がたまったりします。お寺の仏具は年に四回ほど磨きますが、それでもけっこう汚れています。 

彼岸会 五日目 /最終日

法要の最後の法座を結願(けちがん)といいます。大相撲でも最後の取組を結びの一番というようですが、日本の伝統では物事の最後を「結」ということばで締めくくる事があります。

彼岸も最終日。今年の彼岸は此松先生もお見えになり、なかなk楽しい彼岸会でした。
ただ心残りなのは、参詣がだんだんと少なくなってきている事でしょうか。なんとかせねば・・・・。

彼岸会 四日目

東北関東大震災義援金箱を設置しています。



この度のような未曾有の災害に対して私たちは何をすべきなのでしょうか。自分たちの生活を深いところからもう一度見つめ直す必要があるのかもしれません。あの被災地の映像を見ると、なんといえばいいのか適当な言葉が見つかりません。
ここにこうして普通の日常をおくっている事さえ、申し訳のない感じさえするのです。しかしその一方で念うことは、いま自分にとって大切なのは”誰かに何かをしてあげる”ということではなく、「自分はこの状況において、いま自分がなさなければならない事は何か」ということを考えることが大事なのではないかと感じています。それが直接災害に関係ない事だとしても、



 親鸞聖人のご往生の後、聖人の妻であった恵信尼が末娘の覚信尼に宛てた手紙の中に、建保2年、当時42歳の聖人が布教の本拠地を越後から関東に移されるとき、東国上野国佐貫(現在の群馬県邑楽郡板倉町)に滞在された時のエピソードが出てきます。この時代、東国では地震が頻発し、大雨や洪水、飢饉(ききん)による被害が相次いでいました、聖人が「さぬき」に着かれた建保2(1214)年の夏にも東国の洪水の記述を見ることができます。このような住民の逼迫(ひっぱく)した状態をみて「何とかしてあげたい、救ってあげたい」と念じられ、「三部経千部読誦」を思いつかれたと書かれています。この手紙は当時の聖人の心境が那辺にあったかを物語るものといえましょう。当時は、経典を1,000回も読むということは民衆に尊く受け入れられ、容易に敬われる行為でした。しかし、聖人は自分のとった行為や考えが「「自ら信じ、人に教えて信じさせることが本当の仏恩報謝だと信じているのに、名号を称えるほかに、何の不足で、どうしてお経を読もうとするのだろうかと、4〜5日ほどして思い返して読むのを止めて常陸(ひたち)(茨城)のほうへおいでになった」というエピソードが残されています。

このエピソードは各地で災害の起こるたびに「親鸞聖人はこのような時どうなされたか」ということでよく紹介されるエピソードです。
一度、私たちは困難に出会ったならば、その現実の前に立ち尽くす以外にありません。しかし、そのような人々を見ると、なにか自分にも出来る事があるのではないかと思うのも人間の感情として当然の事だろうと思います。



彼岸会 三日目

さすがに彼岸。日中は参詣は多いです。多いといっても満堂ではありません。参詣者は昔から足しげく通ってくる同行が多く、その同行も年々高齢化し、一人減り二人減り、後が続かなくなってきているのです。
それは私どもの努力がり足りないせいです。
環境や時代のせいにしてはいけません。しかし、あえていわせてもらえば、その背景の一つには、「核家族」と「少子高齢化社会」にあります。それに伴い、若者世代の生活に精神的にも経済的にも余裕がなくなってきたのが原因ではないかと考えられます。それでも一番大事な事は、お寺に時間を割いてでも仏法を聞きに来る魅力や価値を見いだせない我々の努力不足、そして環境作りが問題なのではないでしょうか。実に反省させられます。

 参詣者が減っていく。そのような状況を憂慮し、真摯に反省できていません。そして、お寺に居を構える者が危機感をもてないのはなぜでしょうか。他人事のようにいっていますが、その実は「まだ何とかなる」、「門徒はお寺に参って当たり前」。そのような過去の感覚に胡座をかいて、現代の状況を観ずる事が出来なくなって危機感を鈍らせているのではないでしょうか。都会では「門徒がお寺を選ぶ」ということも聞いています。しかし、お寺を運営は客商売でやっているのでありません。ですから門徒はお客ではないのです。しかし、そうは言っても、現代は悲しいかな患者が医者を選ぶ時代ともいわれています。寺院は門徒の数が多いから潰れないのではありません。信心の行者が居なくなれば宗教が枯渇し、立派な伽藍と袈裟を着ただけの葬式坊主を残して廃墟となるのです。
閉塞的ともいわれるお寺を、どのように地域とコミットし、このような実際社会の中で様々な悩みや苦しみを抱える人のただ中で、存在意義と価値を見いだしていけるか。このことは全ての事を一から見直さなければいけない時期に来ているのではないかとも考えています。




逮夜は三澤氏のお話。お話というよりも真宗門徒の作法について講議といったところでしょうか
今日の夜の参詣は相変わらず少ない参詣でした。みなさん夜の座にもぜひご参詣ください!
一生懸命行います。おねがいします!!