第5回 長崎寺スクールin正林寺(三重町)

長崎には仏教青年会(略称:仏青/ぶっせい)があります。

教区としての仏青の歴史は古く、現在90代から80代の御門徒の中に”私は仏青上がりです”と自称する方も時々あるほどです。どうやら古くから「仏青」という生前で活動してきたようです。

そもそもの名前の由来はYMCA(キリスト教青年会 Young Men's Christian Association)に習って(対抗して?)「仏教青年会」と名告ったと聞いたことがあります。その後、戦後に入り原爆などの影響も大きかったともいわれていますが、当時の青年たちの間で仏教への関心が高まったと聞いています。

 それが敗戦の10年ごろより原子爆弾死没者の追徴法要を長崎教区の仏青が中心となって主催したことが火種となって、全国各地で仏教青年会が結成されるようになったと聞いています。

 

 そのような歴史の中で、「長崎寺スクール」では仏教に馴染みの薄くなった若者世代に向けた集まりです。その時代にあった教化のあり方を現在、模索中です。

まだまだ実験段階のようですが、

今回で5回目の「長崎寺スクール」は長崎市三重町にある正林寺を会場に行われました。

各回ともにテーマを設けて行なっていて、今回は「音楽と仏教と香」。雅楽や節談説法なども交えながら仏教と音楽の深い関係も紹介されました。今回はさらスペシャルゲストに「いっちゃん」こと市原鰐さんをお迎えして大いに盛り上がりました。

仏青スタッフの皆さんお疲れ様でした。

 

第5回寺スクール1インターネットで放送中の『お寺でじいん』を生で再現!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自然相和会の雅楽も披露されました。

初めて聴かれた方もあるとおもいます。「雅楽」と聞くと神社を思い浮かべる人もあるのではないかと思います。しかし、シルクロードを越えて日本に伝来した立派な仏教音楽です。

浄土の情景を表現する楽器として遥かシルクロードを越えて西行路ではヨーロッパ、極東は海を越えて日本にまで伝わった古典楽器です。
『笙(しょう)』は邦楽器では唯一和音を奏でる楽器です。その形が羽を休めている鳳凰に似ていることから、鳳笙とも呼ばれているそうです。まるでオルガンのようなやわらかい音を出し、雅楽の独特な雰囲気を醸し出すなくてはならない楽器。西行路に渡った笙はパイプオルガンの祖先とも言われています。
『龍笛(りゅうてき)』竹製で7つまたは6つの孔がある横笛。ヨーロッパに渡ったものはオーボエ等の木管楽器へと変化していったとも言われているそうです。取り扱いは簡単ですが、しっかり安定した音色を奏でられるようになるまでには少々時間がかかります。

『篳篥(ひちりき)』漆を塗った竹の縦笛で三管の中では一番小さい楽器。表側に7つ、裏側に2つの穴があり、主旋律を奏することが多く、小さいわりには音量は大きい。音域は1オクターブ程度。

 

第5回寺スクール3西光寺の指方伊織さんの節談説法も披露されました。

日本仏教の布教手段として発展した節付きの説法で浄土真宗固有の説法スタイルです。仏教に馴染みのない聴衆に伝わりやすくするために、話す文句(説教)に抑揚が付き(多くは七五調)人びとの情念に訴えかけるように工夫されたものです。現代の法話とは違い楽器なしの素語り形式で行われます。

このようにことばに抑揚をつけて行う説教は6世紀の仏教伝来以来、平安時代や鎌倉時代にも行われていたと言われています。浪曲や、講談や落語などの先祖ともいわれているそうです。

 昭和期には、説法師が真宗の寺々を旅をしながら浄土真宗の教えを説いて回ったと言われています。

大谷派では真宗同朋会運動が盛んに成るにしたがって、しだいに衰退していきましたが昨今注目され、見直されているようです。


第5回寺スクール2今回の参加者とスタッフの皆さんです。楽しいひと時でした。

たいへんおつかれさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真宗本廟 子ども奉仕団に参加しました。

『真宗本廟子ども奉仕団』に子どもたちと行ってきました。日本全国から総勢190名が集まりました。うち長崎からは27名。萬行寺からは3名が参加。同朋会館にて沢山の友達と一緒にお勤めや仏様のお話を聞いたりして楽しい一日を過ごしました。また、朝のお勤めの後、親鸞聖人の前で多くの人に見守られながら帰敬式を受け法名をいただきました。新たな仏弟子の誕生に感動しました。この経験は一生の思い出になることでしょう。

九州教学研究所 長崎分室 移動例会 in 京都・奈良

 

3日目は法隆寺と中宮寺です。いや〜去年も同じ月にきましたが、何度きてもいいですねぇ〜。

今回は残念ですが全く時間がなく、駆け足でほとんど見る時間もなく過ぎ去ってしまいました。

いつきても圧巻の伽藍建築。これを見るだけでもきた甲斐がありますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天気も上々。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢殿にて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

唯円(ゆいえん)ゆかりの寺

その次は吉野まで足を伸ばし、『歎異抄(たんにしょう)』の著者と言われる が開基と言われるの寺院です。歎異抄の作者として有名な「唯円大徳(ゆいえんだいとく)」の終焉地といわれる、本願寺派の立興寺を参拝。

ご老院にお話いただきました。

本当に知らなかったのですが、御伝鈔に「熊野参詣」というくだりがあります。そこに出てくる親鸞聖人の門徒である常陸国大部(おおぶ)の平太郎という人物が登場しますが、その人の弟の平治郎であるとされる説があるのだそうです。

唯円はこの地において、正応二年(1289)二月六日、六十八歳で死去したと伝えられていて大変驚きました。

本堂裏から上がったところに唯円さんのお墓もありました。

最終日は時間の都合もあり、少々慌ただしくなってしまいましたが、なんとか全日程をクリアしつつ、大変有意義な研修でした。

九州教学研究所 長崎分室 移動例会 in 京都・奈良

2日目はまず浄瑠璃寺に参拝。

 写真ではわかりにくいかもしれませんが、とても静かな山間にあるお寺です。

ご住職さまに説明をいただきました。

浄瑠璃寺の御本尊は阿弥陀仏です。といっても浄土真宗のようなご本尊ではなく、座った阿弥陀仏です。9体の阿弥陀仏がおられることから

 

その次はいよいよ奈良です。

やっぱりならはいいなと思います。

京都とはまた違う趣があって、仏教の深い歴史と大きさを感じます。

まずは薬師寺にて

 

 

 

 

次に興福寺を巡りました。

 

 

 

九州教学研究所 長崎分室 移動例会 in京都・奈良

九州には教学研究所という研究機関があります。長崎教区の長崎教務所内にその分室が置かれ、そこで毎月の定例会として今年度までの3年間、善導大師の『観経四帖疏』を学んまいました。この度その集大成として移動例会を行われました。

今回は京都・奈良の古刹・名刹などを訪ねる教学探訪の研修を行いました。

 

 

まずは伊丹空港からまっすぐ真宗本廟にお参り。おもえば去年の6月にも『大人の修学旅行』で参詣しました。その時も雨の心配がありましたが、見事な快晴でむしろ暑いぐらいです。

 

1人足りませんが、とりあえずパシャリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年にオープンした親鸞交流館内にある「真宗大谷派教学研究所」におじゃまして楠信生所長に「仏事と教学」という講題でご講義をいただきました。

仏事と教学

《ノートより》

教化の主体はあくまで「仏」。それに対して教化を受ける我々は諸化。我々が仏の教化をいただき、ともに仏の教えに出遇うから「仏事」という。

<諸仏の教え>

我々がご門徒にお葬式なの亡き人をご縁として接するときに言う「亡き人を縁とする」とは、亡き方を諸仏といただくところに大切な仏事の意義がある。
<儀式から学ぶ> 

●中村元先生の説によれば、インドで仏教が衰退した理由として仏教が次第に密教化して行ったことと儀式としての教化を持たなかったとこと挙げられる。と言われています。

●儀式には「懺悔」と「讃嘆」が含まれている。

●本願を通して人に出遇うのが仏事。

<信仰生活と荘厳>

これまで真宗の僧分はご門徒に永らく「お内仏は先祖壇ではない」と縷々語ってきたように思う。しかし、本当に浄化荘厳。つまり、お内仏が「仏まします世界の荘厳」であることをご門徒にしっかりお取り次ぎしてきたのかと言われると、我々は果たしてそのことをどれだけ語ってきたのだろうか。

この「仏まします世界」とは、如来が今現在説法したもう世界。果たしてお内仏が仏まします念仏の道場たり得ているのかどうか。

そこで聞名という事が大切ではないかと思います。宮城收萓犬呂海鵑覆海箸鮓世辰討られます。

どこまでいっても作心が退かない私たちに唯一作心を起こさせない行が『聞名』なのです。つまり、人間の作心、人間の意識を破って私の上に起こってくる歩みが聞名なのです。

●「伝える」は慢心の心。「伝わる」とは分かる分からんを超え、教えの私有化を破って行くのが聞名です。

 ご講義をいただいたあとは教学研究所内を案内していただきました。宗門の教学研鑽の各機関がここにあります。

 毎月発行の「教学研究」などなどの機関紙。あるいは経典や聖典などの様々な書物の編纂など、宗門の核となる教学の中心です。

今回初めて拝見させていただきました。中には久しぶりにお会いする方々も。どうもお世話になりました。

 

 

 

 

 

 

 


 そして東山にある臨済宗東福寺派の勝林寺さまにて初めての座禅体験。とても貴重なひとときでした。

 

 こちらのお寺は臨済宗。東福寺の塔頭(たっちゅう)なのだそうです。

人間は考える生き物。「考えるな」と言われても、考えないことを考えてしまうぐらい考える生き物です。

息慮凝心して次々に出てくる考えや思いを流してこころを一箇所に留まらないようにするのだそうです。

 

いい体験学習でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                              

 

長崎教区 秋安居(しゅあんご)

http://img-cdn.jg.jugem.jp/a78/2168197/20110814_2144228.jpg日から3日間にわたって長崎教区2018年度の秋安居(しゅあんご)が行われます。(7月から新年度のため、2018年度です。)
長崎教区の秋安居は70年以上昔、西坂(現在の長崎駅前にある26聖人殉教の地)に長崎教務所があった時代に『夏期講習会』として始まったのに由来するそうです。

になると、教区内の住職や若院。あるいは法務員が柳行李を担ぎ、暁烏敏、金子大榮、曽我量深などの浩々洞(こうこうどう)の錚々たる諸師方の講義を聴聞にきていたと言われます。この伝統が受け継がれ、西坂から現在地である筑後町に教務所が移転しても相変わらず浩々洞出身の先生方が出講されていたそうです。

昭和45年には曽我量深先生が老体を押してまでおいでになられ、昭和46年に御遷化されました。その頃、長崎教区で『秋安居/しゅあんご』という名前で呼ぶようになったと言われています。

 

以前は長崎教務所で行われてきましたが、今日では東本願寺佐世保別院で毎年行われています。集まってくるのは住職だけではなく、各寺院の法務員さんや坊守さんも集まり、総勢50人以上の聴講者で本堂がいっぱいになります。現在の長崎教区は寺院数が50ヶ寺ありますので、それを考えると50人を超える出席率は多いのではないかと感じます。

来ならば、安居というのは、本山の本講の先生がおいでいただいて講義されるのですが、長崎の場合は、そういう先生方をお呼びせず、聴講したいと思う先生方においでいただいていますから、いわば純粋な安居ではないそうです。本講の先生方を呼ぼうという声もありましたが、初心を忘れず現在でも「夏期講習会」のスタイルをとっています。


つて安田先生は曽我量深先生にこういわれたのだそうです。「「安田君、あなたは、長崎に行ってみなさい。長崎の皆さんは、威儀正しく墨袈裟を掛けて正座をしているんだ。そこにあなたは行ってください」といわれてきたのだ」という話を聞きました。

 

講師:古田和弘先生。(九州大谷短期大学名誉学長)

講題:観経疏 玄義分に学ぶ

 

長崎教区仏青 第4回長崎寺スクール

第1組 組門徒会・総代等研修会

長崎の大谷派は現在50ヶ寺があります。そのうちの20ヶ寺が第一組(だいいっそ)と呼ばれるグループで、長崎市内から諫早と島原にわたって形成されています。その第一組の総代と組の門徒会の合同の研修会として熊本に研修に行きました。大型バス一台を貸し切っての研修です。この日の宿泊は阿蘇です。

 

熊本の地震によって被害を受けた本堂は相当痛んでいました。明日役員会を開いて本堂を取り壊す事になるんだそうです。

地震がなければまだまだ使える本堂なだけに残念です。

お寺の本堂は立てるのに相当な苦労がいります。何人もの住職さんが過労や心労のために命を落としたり短命に終わったりするほどの苦労があると聞いています。それだけに本堂が使えないという事態は深刻だと思います。それ以上に周りのご門徒さんの家庭にも被害があるわけですからさらに深刻です。またいつ来るかわからない地震に怯えながらの生活でもある上に、それぞれの生活の再建も絡んで複雑な人間模様。色々と悩みは複雑です。

 

熊本教務所の本堂は解体が進んでいました。天災の凄まじさを感じます。

 

儀式作法講習会

今日は教務所で儀式作法講習会です。七条袈裟のつけ方の講習を受けました。いかに普段適当に七条をつけていたことかと思いました。ちゃんとつけると随分と違うものですね。今までどんな着方をしていたんだかと思われ、反省です。

 

長崎教区 秋安居開筵

日から3日間秋安居(しゅあんご)が行われます。
長崎教区の安居は70年以上昔、西坂(現在の長崎駅前にある26聖人殉教の地)に長崎教務所があった時代、『夏期講習会』として始まったそうです。

下の写真は年代は不明ですが曽我先生がおいでになられた時の安居の写真です。

曽我先生来崎安居

夏になると、教区内の住職や若院。あるいは法務員が柳行李を担ぎ、暁烏敏、金子大榮、曽我量深などの浩々洞(こうこうどう)の諸師方の講義を聴聞にきていたと聞いています。この伝統が受け継がれ、現在の筑後町に教務所が移転しても相変わらず浩々洞出身の先生方が出講されていたそうです。曽我量深先生が昭和45年までおいでになられ、昭和46年に御遷化。その頃、長崎教区で『秋安居/しゅあんご』という名前で呼ぶようになったと言われています。

 

 最近まで長崎教務所で毎年行われていましたが、今では住職だけではなく、各お寺の役僧さんも多く集まるようになり、現在ではおおよそ50人以上の聴講者で本堂がいっぱいになるようになりました。そこで7年ほど前からだと思いますが、会所を佐世保別院に変更して行われています。今回は佐世保別院が会館建設のため、久しぶりに長崎教務所での開筵となりました。

来ならば、安居というのは、本山の本講の先生がおいでいただいて講義されるのですが、長崎の場合は、そういう先生方をお呼びせず、聴講したいと思う先生方においでいただいていますから、いわば純粋な安居ではないそうです。本講の先生方を呼ぼうという声もありましたが、初心を忘れず現在でも「夏期講習会」のスタイルをとっています。
安田先生ご夫妻来崎安居右の写真は安田先生ご夫妻が安居で来崎した頃の写真です。ちらほらと見覚えのあるかつての住職の顔が見えます。(向かって前列の左から3番目の下を向いているのが萬行寺の先々代の住職亀井信之。)

つて安田先生は曽我量深先生にこういわれたのだそうです。「「安田君、あなたは、長崎に行ってみなさい。長崎の皆さんは、威儀正しく墨袈裟を掛けて正座をしているんだ。そこにあなたは行ってください」といわれてきたのだ」という話を聞きました。

 

 

今回は先年に引き続き『「正信偈」に聞く』というテーマで。今回は「大乗の仏道としての浄土教」講題で行われます。ご講師は今年で4年目になる藤場俊基先生です。

佐世保別院報恩講

佐世保の中心地に東本願寺があります。
周りをビルに囲まれて見えにくいのですが、島の瀬公園の歩道橋を渡ると大きな階段があり、その階段をのぼるとあります。
「東本願寺」ときくと、京都駅前にあるあの大きなお寺、という印象が強いかと思いますが、実は全国各地に東本願寺はあります。それぞれ名前や呼び方が違いますがどれも由緒ある立派な寺院ばかりで、その中には東本願寺を凌ぐのではないかと見まがうほどの境内地を備えたお寺や、東本願寺の大きさの印象からすると「これが東本願寺?」と思われるような小さなお寺まで様々です。
一般に各地の東本願寺は「別院」または「御坊(ごぼう)」などと呼ばれ、各教区の中心的役割をになっています。
ここ佐世保別院は長崎教区の帰依処として長崎の各地のお寺からご門徒の参詣があります。
毎年11月の報恩講は団体参拝を計画しての参詣があります。

この佐世保別院報恩講は最近になって定着してきた行事で、年々参詣者が増えているようです。
それまでは佐世保別院の認知度も低かったようですが、次第に自分たちの別院であるという認識も高まってきているようにも思います。
今年もにぎやかに報恩講がつとまり、萬行寺からも大勢の団体参詣があり、大型バスで参上しました。

子ども報恩講

子ども報恩講1毎年恒例の佐世保別院にて行われる「子ども報恩講」。
佐世保別院での1週間の報恩講にあわせて厳修されています。人形劇やアスレチックなどを3日ほどかけて準備しました。
様々なブースで小さな求道者たちと一緒に学ばせてもらう一日。
しかし、今年はまさかの雨天。子ども報恩講も長いことやってきましたが当日の雨は初めてのことです。毎年前日の夕方に雨が降って翌日には晴れるのが通例でしたが、今年はイレギュラー。しかも結構降っています。
アスレチックは危険なので中止。もしケガをしたら大変ですから特別の処置です。急遽内容とプログラムを一部変更し、規模を縮小しました。
何日もかかって準備したのに出来ないのは残念。実に雨に泣かされました。
 まったくな自画自賛の手前味噌ですが、長崎教区の子ども報恩講は聞くところによると他にはないほどの大掛かりなのだそうです。




毎年、準備におわれて親鸞聖人の報恩講ということ、お寺の法要ということを忘れがちで、子どもたちを喜ばせることに夢中になってしまいます。お寺という場所は楽しいところ、遊びにいきたいと思われることはまず第一条件ですが、あくまでも手段であって目的ではありませんので、そこのところが思案のしどころだと思います。また、子どもに教えを伝えるのはとても難しいことですので、皆で協力して知恵を絞って、どうすれば教えが伝わるか考える必要があるように思います。例えば、教えの言葉や七高僧の名前等を覚えてもらう工夫などがあってもいいのではないかと思います。しかし、これを具体的に形にするとなればさらに難しくなります。まだまだ工夫が必要だと思います。