ピカピカの一年生  新入学児お祝い式

 つの頃からでしょうか、現在の本堂が再建されて今年で40年になりますから、およそ今年あたりで40周年になるかもしれません。

 この新入学児のお祝い式は萬行寺真宗婦人会によって長年続けられてきた春の行事です。

 今年も8名の一年生が参加されました。また、一年生の保護者の中には「自分もこうしてお祝いしていただいた」ということを語ってくださる方がやはりおいでです。

 現代はお寺とのご縁も、かつての時代とは違って社会形態や家族形態が変わったこともあり、少しずつ遠のきつつある時代になってきました。しかし、それでもこうして集まってきてくださる方があるはとても嬉しいことです。

 今回参加された子どもたちがお寺でお祝いをしてもらったことをどこまで覚えていてくれるかは全くわかりませんが、これがなんらかのご縁になっているとおもいます。日曜学校のお姉さんお兄さんも一緒にみんなで正信偈のお勤めをしました。
 

萬行寺真宗婦人会一日研修

11月26日に壮年会の研修がありましたが、今日は真宗婦人会の一日研修です。

真宗婦人会は壮年会よりも歴史も古く、会員数も多い分、研修も大所帯です。今年は昨年より少ない参加数ですが、それでも総勢で53名。バスは2台を貸し切っての1日旅行です。来年はお寺で聞法会などの研修を行う予定となっています。

この一日研修旅行は2年に一回行っており。かつては泊まりがけで行ったこともありました。

 

 さて今回お邪魔しましたお寺は長崎教区第3組、川棚にある福淨寺さまにお世話になりました。

 

実は福淨寺さんと萬行寺は開基が兄弟で、家紋も同じ『平戸梶』。平戸の城主と同じだと聞いています。福淨寺開基のお墓は萬行寺に現在あります。

<萬行寺の歴史について>

萬行寺のHPでは第三の世の了閑(りょうかん)が福淨寺の開基と伝わっています。その了閑は福淨寺を建立後、時津に移り住みます。

 当時、萬行寺は現在地より少し離れたところに実兄である道夢が小さな庵を建て布教にあたっていました。弟の道夢は引退後、順知に庵を譲ります。その後、兄である了閑が三代目を継職したとしています。

実は当時、庵だった道場を現在地の「六屋敷」に移設し、西本願寺(当時はお西でした)より本尊を下付され『亀水山萬行寺』としたのは了閑の業績で、本当は実質上の開基にあたります。しかしながら、その前の道場の時代より現在地に移設するまでにおおよそ40年ほどかかっていることを考えるとその歴史も重要だと考えて開基を道夢と萬行寺ではされています。

以前には萬行寺と福淨寺の壮年会が互いに行き交って交流会を持ったこともありました。福淨寺さまには明治より続く壮年会があり、婦人会も盛んだと聞いています。また福淨寺の仏青(仏教青年会)や日曜学校(子ども会)も全国でも早い頃に結成され、現在も続いていると聞いています。

今回は萬行寺真宗婦人会の研修でお邪魔しました。

 

全員で集合写真をパシャリ!

 

福淨寺さまを出ると波佐見町へ移動して昼食です。その後は「浜陶」さんにて波佐見焼を見学。お土産をそれぞれ買って帰路につきました。

 

 

 

萬行寺壮年白道会一日研修

毎年11月に行っている1日研修ですが、今年は大村茅瀬の西教寺さまを16名で訪問しました。ここ西教寺はキリシタン大名でも有名な大村純忠の終焉地のすぐ隣にあるお寺です。
現在、田中ご住職は長崎教区の副議長も務められ、教区においても重責を担っておられます。

 

40分ほどお話をいただきました。

西教寺における在家報恩講の近況や取り組んでいる教化活動などに触れ、宗教生活の基本である手を合わせる日常生活が希有になっている現代社会の現状をあげられました。

そこから今日の多様化した時代にあためて念仏申すことがいよいよ求められる時代なのだと語られました。

ただ、若者に念仏申すことの意義を伝えることの困難さもあります。

なかなか忙しくてお寺に通う心の余裕の持てない現代人にどのようにしたら仏法が伝わっていくのでしょうか。自分たち(お寺に集う壮年)の姿を翻ってみてみるとどうでしょうか。初めは何で「足かせ」だったお寺通いが、次第に自分の居場所になってきませんでしたか?

 

 

みんなで記念撮影。

 

立派な庭を見せていただきながらお茶をご馳走になりました。

西教寺さまを出たあとは諫早に移動して夕食とお酒。いっぱいいただきながら談笑して帰路につきました。

 

この研修会は毎年恒例となっていますが、随分といろんなお寺にお邪魔させていただきながら、それぞれのお寺の様子もわかってみなさん楽しいひとときのようです。

前回に比べて人数は多くなりました。たくさん集まるからいいとは言えませんが、参加者が多いと気持ちも違いますね。

今回もいい研修でした。

萬行寺真宗婦人会 総会

 今日は年に一回の萬行寺真宗婦人会の総会です。

朝から大勢の会員が本堂に集まりました。

全部で100名ほどが参加。全会員が約400名近くいますので、ざっと計算すると4人に一人が出席ということになります。

ここ何年間では一番多い参加数ではないかと思います。

今年度の行事といくつかの議題について協議されました。

今年度は2年に一回の一日研修。それから婦人会会旗についての協議が行われました。

萬行寺真宗婦人会では会員が亡くなられた際の葬儀に会員が婦人会の会旗を持参して揚げていましたが、この会旗の取り扱いについて様々な意見が上がり、高齢化などの理由により葬儀の際には掲げないことが協議され、その結果今日のような総会や婦人会の行事の際に掲げる事に決まりました。

この会旗は、萬行寺の現本堂が昭和54年に再建された際に真宗婦人会がその記念として掲げるようになりました。そのほかに本堂の外陣に下がっている金灯篭。または記念事業として『新入学児お祝い会』などが新しく行われるなど積極的に活動を広げ、現在のような婦人会組織を形成してきました。そのお陰で現在ではこれだけの会員にその意思が受け継がれています。

しかし、その会旗は真宗婦人会の願いを形に表したものではありますが、この度会員全員に会旗掲揚についてのアンケートを実施しましたところ、その多くに「持ち運べなくなった」。あるいは「意義がわからない」など様々な問題が生じています。そこでアンケートの結果を受け、役員全員で協議の末、葬儀の際には掲げないとの決断をすることとなりました。

 

組織というものは栄枯盛衰色々ですが、これもその習いでしょう。しかし、改めて考えてみればこれだけの会員が総会に集まるという事実は見逃してはならないことです。

 長い間の積み重ねによってできたものを壊すのは簡単ですが、衰退したものをもう一度掘り起こすのも大変です。それだけに願いがかけられていることに想いを馳せることは大事ではないかと考えさせられました。

 

 

 

毎月28日は親鸞聖人ご命日 

本日は親鸞聖人の毎月のご命日です。ご命日参詣を推進すべく始まった萬行寺真宗婦人会恒例行事、『長寿者お祝い会』が兼修されました。

 案内は去年より全会員名簿に生年月日を記入するようにしたところ、スムーズにご案内が届き、昨年より参詣が増えております。

年齢のこともあり参詣できない方々もあるなか、長寿者の参詣は7名でした。

はい!チーズ!

 

萬行寺 壮年白道会 花まつり〜花見

散る桜、残る桜も、散る桜  良寛

まず本堂に集まり正信偈をお勤めして御法話をいただいて40分程度。

今日は『釈尊降誕会』です。

 

 

 お寺でおつとめのあとは崎野自然公園にて花見を行いました。

ちょうど満開の頃で天気も良く、最高の花見日和でした。実は花より団子と言いたいところですが・・・・・。

見事な桜に酔いしれて楽しいひと時でした。

みんなでパシャリ!

萬行寺真宗婦人会 『新入学児お祝い式』

今日は毎年恒例の「新入学児お祝い式」。

この時期はお祝いなどが多く続きます。

一般的にはお寺というとお葬式のイメージが強いでしょうが、このようなお祝い事も多くやっています。

今回は一人ということで、賑やかではありませんがありがたい一人です。

みんなで一年生をお祝いしました。

来年も行いますので新一年生がおられるご家庭はがありましたら是非ご連絡ください。お待ちしております。

みんなで記念撮影。

 

教行信証拝読の会

 今年で何年目でしょうか、おそらく40年は超えたでしょうか「教行信証拝読の会」謝恩会。毎年こうして続けてこられたのも仏法聴聞を求めて止めなかったご門徒方の精進の賜物です。ここまで歩まれた現動力はなんなのでしょうか。これこそまさに仏法不思議、如来のご恩徳です。

40年以上経つと随分とそれなりに顔ぶれもかわり、時の流れを感じます。念仏相続の形をおもいます。なかにはお父さまが亡くなられて、その意思を継いで来られた方もおいでです。会員には萬行寺の門徒ばかりではなく、近隣のお寺のご門徒も数人聴聞に来られます。はじめは長崎教務所で始まったご縁でしたが、いつの頃からか萬行寺で行うようになったと聞いています。

 

白道会 一日研修

毎年行なっている恒例の一日研修を行いました。去年は島原に伺いまいたが、今回は大瀬戸の光明寺さまにお世話になりました。

ご法話では、光明寺さまがお寺の教化活動で力を入れていることや心がけなどをお話しされ、とても刺激になりました。

萬行寺真宗婦人会/おみがき

 今日は12日から行われる『作上がり法要』の準備で仏具を磨き。通称「おみがき」でした。午前中からたくさんの真宗婦人会の会員が参加してくださいました。

「おみがき」は各地区持ち回りで年に4回行っています。

今回の作上がり法要では2日目の日中には真宗婦人会の物故者追弔会(ぶっこしゃついちょうえ)を兼修して行うことから毎年7月のおみがきは真宗婦人会の会員の皆様におみがきをお願いしています。

今日は60名近くが参加くださり、滞りなくおわりました。

 

 

 

 

 

お斎には「いただきます」と「ごちそうさま」のカードを添えてみました。

またお土産も用意して盛況な1日でした。

親鸞聖人御誕生会の一日

子どもの行事が続きます。

朝からは新しく一年生になる子どもたちのお祝い会。

数えると今年で39年目の新入学児お祝い式。さすがに39年目ともなると一つの歴史ですね。
子どもの頃、お祝いしていただいた子どもたちがお母さんお父さんになって息子や娘を連れ、お祝いしたお母さんや父さんたちがお孫さんを連れてお祝い式に参加くださるようになりました。
新入学児のお祝い式は現在の本堂が昭和54年に再建され、その記念事業の一つとして萬行寺真宗婦人会によって始められました。時代は変わっても、子どもたちの姿は変わらないものですね。

 

夕方は「おとなの花まつり」。

おとなは花より団子です。

花にかけてお花見と花まつり。花まつりというより酒祭りといった感じもしないでもありませんが、一応花をメインにお花見と花まつりです。

今年から親鸞聖人の誕生会として花見をすることになりました。

毎月28日は親鸞聖人のご命日です。

今日は真宗婦人会の「長寿者お祝い会」も兼修。

毎年恒例の真宗婦人会の行事です。80歳になられた方のお祝い会。

まだそんな歳になった事もないので、その年の苦労はわかりません。

こんな若造に何を語れと言われるのやら・・・・・。

 

年々に

我が悲しみは深くして

いよいよ輝く

命なりけり

 

 

これは岡本太郎の母であった、岡本かの子の詩です。

なかなかいいなと思っておりまして、さすがは仏教に精通している方の歌だなと思います。

私どもは、人生は楽しんで生きる方がいいという価値観を持っております。

しかし、その一方では「楽しみしかない人生は味気がないですね」と言われたご門徒がありましたが、まさに人生が楽しみばかりで終わるような価値観しか持ち得ない人生は虚しいばかりということもわかる感覚を持っているものでしょう。

長く生きれば生きるほど、この詩のように思いのいかない事が増えるのではないかと思います。

例えば、長生きをしておられる方に「これからあなたはあと100年生きなさい」と神様から言われたとすれば、これは相当な苦行ですよね。だって長生きすれば、浦島太郎のように誰も昔の事を懐かしく語り合う相手もいなければ、ともすれば、自分の孫や子供に先立たれても、なお生きていかなければならない。これほど辛い者はないんじゃないかなと思います。そこにあるものは「苦」ですよね。死にたいと思っても死ねない。そういう「苦」でしょう。大概は死にたくないのに死んでいかなければいけないと苦しむものですが、ドラキュラの話のように死ぬのが怖いからいつまでも生き続ける。しかし、いつまで生きても生きた実感を得られないから死ぬに死にきれないで苦しむ・・・。これって、ものすごく恐ろしいことですね。

 

 まだまだ若造の年齢の私たち世代の目下の願いは、おおよそ健康だと思います。健康であれば人生を謳歌できると考えているのでしょう。朝早くから健康のためにジョギングをしたり、おおよそ「健康」と名のつくものならすぐに飛びつくと言ったような感じですね。

かくいう私も同じなのですが、やっぱり、まだまだ死にたくはないですよ。

健康であることは大事ですが、しかし人生の目的ではありません。

もちろんですが健康になるために人間に生まれたわけでもないし、健康であれば人生は幸せだと思うのならば、命の終わりには絶望しかないんじゃないかなと思います。だって命の終わりには必ず健康でなくなる日が来るのですから。

 

「苦」というのは、インドの言葉では「思いの通りにならない」という言葉なのだそうです。

ですから、思いの通りにならないということはすべて「苦」なのですね。若いうちは思いの通りに体も動くし、頭も働く。

しかし、歳をとるとそうはいかない・・・・でしょう?

だから、歳をとるということは、岡本かの子さんに言わせると、「悲しみが深くなるほど、いのちは輝く」ものだといっておられます。それは思いの至らないことが、人間を本当の人間に育てる道であるということを言っておられるのだと思います。

そして、思いの通りになるうちは、お寺はただの風景です。若い頃は大概そうではないでしょうか。

しかし、思いの行かぬ自分をいただくことができる仏縁をいただいた者ならば、お寺は人生の道場となるでしょう。

そこに、「いよいよ輝くいのちなりけり」といえる人生をいただくことができるのでしょう。