毎月28日は親鸞聖人のご命日です。

今日は真宗婦人会の「長寿者お祝い会」も兼修。

毎年恒例の真宗婦人会の行事です。80歳になられた方のお祝い会。

まだそんな歳になった事もないので、その年の苦労はわかりません。

こんな若造に何を語れと言われるのやら・・・・・。

 

年々に

我が悲しみは深くして

いよいよ輝く

命なりけり

 

 

これは岡本太郎の母であった、岡本かの子の詩です。

なかなかいいなと思っておりまして、さすがは仏教に精通している方の歌だなと思います。

私どもは、人生は楽しんで生きる方がいいという価値観を持っております。

しかし、その一方では「楽しみしかない人生は味気がないですね」と言われたご門徒がありましたが、まさに人生が楽しみばかりで終わるような価値観しか持ち得ない人生は虚しいばかりということもわかる感覚を持っているものでしょう。

長く生きれば生きるほど、この詩のように思いのいかない事が増えるのではないかと思います。

例えば、長生きをしておられる方に「これからあなたはあと100年生きなさい」と神様から言われたとすれば、これは相当な苦行ですよね。だって長生きすれば、浦島太郎のように誰も昔の事を懐かしく語り合う相手もいなければ、ともすれば、自分の孫や子供に先立たれても、なお生きていかなければならない。これほど辛い者はないんじゃないかなと思います。そこにあるものは「苦」ですよね。死にたいと思っても死ねない。そういう「苦」でしょう。大概は死にたくないのに死んでいかなければいけないと苦しむものですが、ドラキュラの話のように死ぬのが怖いからいつまでも生き続ける。しかし、いつまで生きても生きた実感を得られないから死ぬに死にきれないで苦しむ・・・。これって、ものすごく恐ろしいことですね。

 

 まだまだ若造の年齢の私たち世代の目下の願いは、おおよそ健康だと思います。健康であれば人生を謳歌できると考えているのでしょう。朝早くから健康のためにジョギングをしたり、おおよそ「健康」と名のつくものならすぐに飛びつくと言ったような感じですね。

かくいう私も同じなのですが、やっぱり、まだまだ死にたくはないですよ。

健康であることは大事ですが、しかし人生の目的ではありません。

もちろんですが健康になるために人間に生まれたわけでもないし、健康であれば人生は幸せだと思うのならば、命の終わりには絶望しかないんじゃないかなと思います。だって命の終わりには必ず健康でなくなる日が来るのですから。

 

「苦」というのは、インドの言葉では「思いの通りにならない」という言葉なのだそうです。

ですから、思いの通りにならないということはすべて「苦」なのですね。若いうちは思いの通りに体も動くし、頭も働く。

しかし、歳をとるとそうはいかない・・・・でしょう?

だから、歳をとるということは、岡本かの子さんに言わせると、「悲しみが深くなるほど、いのちは輝く」ものだといっておられます。それは思いの至らないことが、人間を本当の人間に育てる道であるということを言っておられるのだと思います。

そして、思いの通りになるうちは、お寺はただの風景です。若い頃は大概そうではないでしょうか。

しかし、思いの行かぬ自分をいただくことができる仏縁をいただいた者ならば、お寺は人生の道場となるでしょう。

そこに、「いよいよ輝くいのちなりけり」といえる人生をいただくことができるのでしょう。

萬行寺壮年白道会 花見

hanami1崎野公園で壮年会の花見をしました。

今年は雨と桜の花が咲くのが遅かったために、2回の延期を余儀なくされましたが、ようやく万障がうまくいき今日の開催になりました。

おかげで天候にも恵まれ、気持ちのよい、良き花見だったと思います。

 

 

 

 

 

以前の掲示板に「散るさくら、残るさくらも 散るさくら」という良寛の句を張り出した事がありました。その事が話題となり、「今はこうしていますけれども、いつかは私も命を終えていかねければならない身であるということを思うと身につまされる思いです」と語った方がありました。そこに仏法との因縁が宿(むかし)からあったのだと知らされる。そこに「ご恩」ということが身にしみる感覚をいただく。そんな身である事を感ずる事のできるのはありがたいことだと感じました。


大変有意義な花見でした。

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新入学児お祝い式

 

今日は親鸞の誕生日です。

ということで、「新入学児お祝い会」です。

親鸞聖人とはあまり関係はありませんが、真宗婦人会の毎年の恒例行事、新入学児お祝い会。

かれこれなんだかんだ言って40年近く続いています。考えればすごいですね。こんな時代もありました。あんな時代もありました。

かつては40人ぐらいの子供達でてんやわんやでだったようですが

昨今は静かなものですね。

 

「仏事」と聞くと、なんだかお悔やみごとの印象が多いのではないでしょうか。

しかし、実は嬉しいナンマンダブもあるんです。

本来なら、嬉しいも悲しいもナンマンダブなんですけれどね。

お祝いといえば、結婚式や子どもの出産などですが、お寺でもやっていますよ。どうぞお気軽においでください。

しかし、お祝い事で仏事をする人はいなくなったような昨今ですが、それでも、まだまだ捨てたものではありません。

なんとかして嬉しいナンマンダブツを増やしていきたいものですね。

 

今日は新入学児お祝い会。子どもたちの笑顔が楽しいお祝い会でした。

以前に比べるとこれでも随分と多いほうです。かつては40人ぐらいいましたがこれも少子化なんでしょうか。

日曜学校やってます。

 

第9回 推進の集い

第9回目の推進員の集いを開催しました。

集いと言っても、会議のような感じで進んでいます。

今回は推進員が一堂に集まる会をどのような形で催すかについて話し合いました。

具体的な内容についてはまだまだこれからですが、骨子のようなものはおおよそめどがつきそうです。

 

ー メモ ー

○どのようにして皆を集めるかが問題。やはり一人一人声かけをして誘いあうことが大事。

○「友達」ということをキーワードにしてはどうか。→同朋という交わりが大事。

                         仏法でつながる友は深い。(僧伽)

○共に出遇える場の共有。(お寺で集う関係は社会的な繋がりを超えた関係)

○「自信教人信」(自ら信じ、他に教えて信ぜしめる)ということが大事。

  自身を推進することによって、他に勧めるということが出来るのだし、他に勧めることによって、自身を推進することにもなる。

 

 

萬行寺壮年「白道会」 一日研修 in波佐見

今日は一年に一回の萬行寺の壮年会である白道会(びゃくどうかい)の一日研修会旅行です。天気は少し雨がぱらつくような予報でしたが、ひどい雨もありませんでした。

朝8時半に萬行寺を出発。波佐見の安楽寺に研修にうかがいました。安楽寺さんは昨日から報恩講の準備が始まりだそうで、本堂では華方が立花の準備を進めていました。お寺に着くと、ご門徒さんや坊守さまが出迎えてくださり、お内仏でご住職の法話を聴聞しました。現在の庫裏は二年前に新築され、庫裏新築のご披露を兼ねて御遠忌を厳修されたそうです。

 

紅葉もそろそろ見頃の季節。京都の真宗本廟では両堂の完成奉告法要が御正忌報恩講とともに厳修されるそうです。その後は食事をいただき、その後は温泉につかって交流を深めました。

その後は、焼き物の工場見学に行きました。

焼く前の皿はしっとりしていて、持つと壊れそうなくらい軽い。

初めて見る工場内。日常使われる食器などはこうして作られている。普段何気なく使っているものでも、こうして見ると大変な手間がかかっているという事がよく解る。

場内は若い人も働いていて、50人の従業員がいるそうです。

焼く前の急須が絵付けされた状態ではこんな感じですが、火を入れて焼くと下のようになります。不思議です。なんでこんなに違うのか・・・・。うーん面白い。

その後は、道の駅によって帰りました。

今年は波佐見にまいりましたが、来年はどこに行こうかと盛り上がっています。有意義な会だったと思います。これを機会に皆さんがお寺に足を向ける機会になればと思います。

 

第8回 推進員の集い

     第8回 推進員についての協議会

 

  夏が終わり、夕涼みの季節とはいえ、まだまだ暑さが続きます。皆様、如何お過ごしでしょうか。

 

さて6回目の集いで、いつまでも「こうすればとか、ああすれば色々と話し合っていても、実行しなければ始まらないので、すべきことや出来ることは実行しよう」という心強い意見も上がり、実際にいくつかの試みを実行する運びとなりました。

 

 推進員の皆さんが主体の会で、推進員の皆さんの意見を汲み上げながらお寺を盛り上げていきたいと思います。推進しているという手応えを感じられるような会であってほしいと願いまし。忙しいとは思いますが、参加できない方は案内状に目を通していただくだけでも結構ですので、何卒よろしくお願いいたします。

 

今回は出席者が少なかったですが、有意義な会だったと思います。

仏法は有り難いものですが、それは学び続けていけばありがたくなるのではありません。あくまで学ぶ事と、聴聞は車の両輪のようなものです。どちらが欠けても成り立たない。仏法を学ぶことはとても大事なことですが、興味関心に陥ってしまいがちです。また学ばなくとも聞法だけしていればいいというのも良くないと思います。学ぶということは聞法であり、聞法することが学びそのものであるようにいただくことが大事ではないでしょうか。そこに「頭が下がるように聞く」という習慣を身につけることが大切だと思います。昨今は聞法する力が弱くなっているように感じます。それも聞法することや仏事を行う機会が減っていることに起因するように感じます。そこのところをどのように確保し、担保していくか・・・・・。どこまで出来るかわかりませんが、地道に続ける以外ないのではないかと思います。と言って黙って待っているのでは現状維持どころか先細です。もともと先細ですから攻めの姿勢は大事なのかもしれんません。以上が今日の感想です。

 

 

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第7回 推進員の集い

梅雨も順調に開けましたが、夕涼みのない暑さが続いております。

みなさまいかがお過ごしでしょうか。今日は第6回目の「萬行寺推進員の集い」が行われました。

前回は具体的な話もでて話が弾んだように感じました。お茶菓子などをいただきながら、お寺のあり方など忌憚なく語りあえる場になればと思います。

このまま何もしないままただ集まるだけでは何にもならないので、何かをしようという提案が上がり、推進員が集まる大会のようなものを催してはどうかという意見も上がりました。

 推進員の皆様一人一人がお寺に携わり、推進している手応えを感じられるような会であってほしいと願っています。それぞれ忙しいかと思います。

参加できない推進員の方は案内状に目を通していただくだけでも結構ですので、何卒よろしくお願いいたします。

 

集いのメモ書き

 

1、お寺で法要がつとまっていることを知ってもらうための工夫。

<問題点>

 ○案内状に名前が書かた人がお寺の法要に参詣するものだと思っている人が多い。

 ○各法要の案内状を送っているが、宛名に書かれた人でなくても見られるような案内は出来ないだろうか。

 

 ○門徒の代表者が高齢で施設に入所している。または歩くことが出来ないなどの理由で法要に参詣できない人に案内が届いている。

 

 ○宛名当事者の若世代は別所帯であるために、案内状が届かずお寺で法要が勤まっていることを知ってもらうことが出来ない。

 ○お寺は魅力のある場所ではなくなった。(他に面白いところがたくさんある。)

 

現状として

 ○正信偈をお勤めできない子どもがとても多い。

 ○宗教への関心はあるが、お寺への関心はなくなっている。

 ○年忌法事が減っているため、お寺へ行くことを勧めるチャンスが極端に減っている。

 ○真宗の教えを聞いて育った人の中にも「家族が自分の宗教を自分で選ぶのは当然」であるという感覚を持っていることは当たり前である。

  <理由>

  →家の宗教で縛ることはよくない。

  →自分の人生だから、自分で選ぶのは当然だ。

  →信教の自由だから、強制をすることはよくない。 

第6回 推進員の集い

今日は第5回の推進員協議会が行われます。

これからの推進員がどのようにあるべきかなど、お茶を飲みながら皆さんの意見を聞きつつ語っていきたいと思います。

 

新一年生お祝い会

お寺というと一般的にはどのような印象があるのでしょうか。
お寺=お葬式というイメージが強くあると思います。
確かに誰か家族や身近な人のご縁でお寺に行く機会が多いことは間違いのないことですが、お寺では年間を通してお葬式以外でも色々な行事を行っています。例えば、最近はほとんどなくなりましたが仏前結婚式や初参式も行っています。
今ではお寺で結婚式?と言われる方が多くいますが、本来仏教徒であるならば、仏様の前で式を行うのが普通のことだと思います。しかし、自分の家庭にお内仏があることを知っていても、なんの違和感もなく教会などでおこなう人も少なくなくないようです。
 たまに法事などで「最近は自分の家には昔からお仏壇があるので先祖の供養では萬行寺さんにお世話になっています。と言われる方でも、家族の結婚式は教会のチャペルで行いましたとなんの違和感もなく普通に報告する方も少なくはありません。家にお仏壇もあって自分も自分の家族も仏教徒だと思っている人でも、結婚式となると教会でおこなうことになんの違和感も感じないということは不思議ですねぇ」というと、「そう言われればそうですねぇ」とおっしゃる方もたまにいるくらいで、あとは何のことを言っているのかという人も多くあります。こんな感覚を持っているのは世界の中でも日本人くらいではないでしょうか。しかし、これもあながちに批判できないことでもあります。

こうなったのはお寺側の責任も大きいことだと思います。
初参式や結婚式やお葬式、または今回の新一年生のお祝い式。どれも人生の大きな節目にお寺に参るというご縁が昔からありました。生まれたことを仏様にご報告し、亡くなるときには仏様と共にお浄土へ。人生の節目にご縁をつなぐ。これもそこに常に如来のご恩の深いことを表現しているのだと思います。


 今日は新しく小学校に入学される児童のお祝い会です。この企画は萬行寺の真宗婦人会が毎年行っている企画で、萬行寺の本堂が再建されてからが始まりですから、かれこれ30年以上になります。
時代も変わり、少子化の時代ですからお祝いに来る児童も少なくはなりましたが、それでも長く続ければ、それだけ次の世代へと移り変わり、かつて自分もお祝いされたというお父さんやお母さんもいらっしゃいます。


案内状の発送作業

2016年春彼岸案内お彼岸の案内状の発送が終わりました。
第22号の寺報『徳風』と一緒に間もまくみなさんの元に届くだろうと思います。
この度の法要の後講師は久しぶりの坂田先生です。楽しみです。

年末の大掃除

毎年恒例のすす払いが行われました。来年の22日から始まる報恩講に向けての準備です。

一年の汚れを落として新年をお迎えします。来年はいよいよ御遠忌をお勤めする年です。
50年間の汚れをどこまで落とせるか・・・・・。

普段掃除をしないところまで奇麗に掃除をしておしまいです。
最後はお斉(おとき)をいただいて解散です。毎年ありがとうございます。煤払い2


帰敬式二日目!!

_DSC0088 (12).jpgまず受式にあたっての諸説明と心得をしたあと、受式後の聞法生活について書かれた受式者へ配られた記念品の小冊子を読みます。帰敬式を受けるということはどのようなことか、このような時代に帰敬式を受けるということはどのような意味があるのかということが書かれていました。


_DSC0013-66.JPGこれから本堂に入りますが、ここで順番を間違えると法名を伝達するときに法名の渡し間違いがあるかもしれません。しっかり受式者番号と照らし合わせて整然と並んでの入堂です。


_DSC0094 (8).jpg南無帰依仏/南無帰依法/南無帰依僧と称えながら一人一人剃刀を頭にあてていきます。今日は仏弟子としての誕生日です。現代は宗教離れが叫ばれています。また若い世代には自分の家の宗教が何宗の何派かも解らない人たちが多いのも事実ではないかとおもいます。また、核家族などにより手を合わせる機会の少ないのも現代の特徴です。そんな時代だからこそに真宗門徒としての自覚を一人一人が持ち、それ故に一人一人が自覚的な自律した宗教観を持って生きることが強く求められる、ある意味で理想的な宗教観を持ち得る井伊時代
でもあるとも云えます。そのようなことを考えてもれば。かつての時代の「私の家は真宗門徒です。」といっていた頃から一歩進んで「私が真宗門徒です」と自信を持っていえることが、自立を求められる時代を生きるうえで大事なことではないかと思います。
大谷派はこの五十年間真宗同朋会運動という信仰運動に古くなった宗門体質を克服するということを託してきました。その中の大事な柱に「個の自覚」という項目があります。これはまさに帰敬式を受けて一人一人が自立した念仏であることを願っていると受け止めていいのではないかと思っています。ですから帰敬式は同朋会運動の実践課題の一つではないかとも改めて思わされているところです。
なんとか一日目を終了。
初日は夜の式もあり計3回でしたが今日は朝と昼の部でおしまい。
いつ行っても緊張する式です。中には涙を流されるご門徒さんもいらっしゃいます。
一生に一度の大事な式ですので、執行する側も真剣です。


帰敬式6



_DSC0093 (11).jpg今回の帰敬式は「御遠忌お待ち受け」ということで大風呂敷を広げて受式者を募集しましたが、想像以上に反響があったことを有り難く思います。各地域の講頭さんや役員の方々が声かけをしてくださった賜物だと思います。重要なのは受式してしまって「はいおしまい」とならないように今後このご縁をどのようにいかしていくのかが課題となります。



_DSC0027-59.JPG今回の受式者の中には過去に帰敬式を受けたけれども法名を紛失してしまった方も随分いました。法名は時々出して確認をしてください。そして何よりも自分の名前ですからなるべく憶えてください。名前は称んで初めて名告りとなり、称ばれて初めて名乗られたものとして自覚することが出来るのです。南無阿弥陀仏も同じことがいえますが、子どもに「お母さん」と呼ばれて初めて自分が「お母さん」と自覚する。お母さんになろうという用きが起こってくるのです。そのように呼ぶ呼ばれるという関係に必要なものが名前なのですから法名も大事にしていただきたいものです