九州教学研究所定例会in長崎

今日は佐世保別院において、九州教学研究所の定例会が行われました。

 

真宗大谷派宗議会「不戦決議」

 我々、真宗大谷派参議会議員一同は、1995年戦後50周年という節目の年に、宗議会とともに「不戦決議」を表明し、心あらたに非戦平和の決意を宗門内外に強く訴えたことであります。
このことは、「四海同朋」の精神を立脚地とされた親鸞聖人の教えに背いた事実を深く知らしめられたのであり、それはまた民族や国家を越えて、すべての戦争で犠牲になられた方々の「いのち」の声を心に刻み、『仏説無量寿経』に説かれている「兵戈無用」(ひょうがむよう)の仏語のとおり、殺しあいのない平和な世界を希求するという厳粛な決意の表明でもありました。
宗門の歩んだ誤った道のりは、宗門を構成する我々の胸に永遠に記憶され続けなければなりません。
このたびの、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法制定に際し、国際紛争がやまない現実を直視し、この法律が決して発動されることのないよう切に願い、不戦の誓いを新たにするものであります。

      「不戦決議」

 私たちは過去において、大日本帝国の名の下に、世界の人々、とりわけアジア諸国の人たちに、言語に絶する惨禍をもたらし、佛法の名を借りて、将来ある青年たちを死地に赴かしめ、言いしれぬ苦難を強いたことを、深く懺悔するものであります。

この懺悔の思念を旨として、私たちは、人間のいのちを軽んじ、他を抹殺して愧じることのない、すべての戦闘行為を否定し、さらに賜った信心の智慧をもっ て、宗門が犯した罪責を検証し、これらの惨事を未然に防止する努力を惜しまないことを決意して、ここに「不戦の誓い」を表明するものであります。

さらに私たちは、かつて安穏なる世を願い、四海同朋への慈しみを説いたために、非国民とされ、宗門からさえ見捨てられた人々に対し、心からなる許しを乞う とともに、今日世界各地において不戦平和への願いに促されて、その実現に身を捧げておられるあらゆる心ある人々に、深甚の敬意を表するものであります。

私たちは、民族・言語・文化・宗教の相違を越えて、戦争を許さない、豊かで平和な国際社会の建設にむけて、すべての人々と歩みをともにすることを誓うものであります。

右、決議いたします。

1995年6月13日 真宗大谷派宗議会議員一同

九州教学研究所公開講座 in別府

今日は「九州教学研究所公開講座」のため、別府まで来ました。



今回の講題はカトリック高松教区 溝部脩司教「殉教者列福の今日的意義」という講題でお話しいただきました。

溝部脩司教は昨年11月に長崎で行われた列福式の188名の殉教者をバチカンに福者として認めてもらえるように長年、尽力された方です。
江戸幕府によって禁教となったキリスト教の中で、棄教せずに殉教された信仰者。古くは長崎の西坂の丘で処刑された26名の殉教者の列聖があり、その他には205福者というものがあります。この聖人や福者は1860年代(幕末)に禁教の激しい中で列聖と列福が行われました。
ローマでの日本の評価が他のアジアの国の中でも文化的水準が高く、周りの国々が植民地化や開国して世界との交流が盛んになって来たということから、いずれ日本も開国し、またキリスト教団にとって日本はアジアの中心的役割を果たす国になるだろうと考えられ、そのような先見性でもってローマが日本における殉教者を205人を福者、26人を聖人と定め、式が行われたそうです。

今回の列福者の数は188名となっていますが、実際には列福に準ずる殉教者は5500人いたそうですが、その数が膨大なとと、様々な条件を満たす殉教者を見つけて最終的に188名に絞られたそうです。しかし、内容は5500人すべての列福という意味合いがあるそうです。

それだけの多くの人が棄教せずに殉教されたということです。

萬行寺はまさに26聖人の上陸地のそばにあり、キリシタン改宗のために建てられた真宗寺院ということもあり、その殉教ということとは無関係ではありません。
江戸時代には萬行寺の房守が暴徒化した一部のキリシタンによって殺害されたという話も言い伝えられていて、時津町内の神社仏閣は全て江戸時代に建てられたものばかりでそれ以前の資料やそれを物語る歴史的なものは一切残っていませんが、各地に真言の梵語が書かれた墓などがあることから、なにかキリスト教の伝来による破壊が関係しているのではないかとかんがえています。
また、秀吉の時代には大村純忠や長崎甚左衛門が洗礼を受けたことによって長崎・茂木・浦上がキリスト教国であるローマの管轄地になりました。
当時、大村に駐在していたガスパル・コエリヨは大村純忠に「殿の所領から、あらゆる偶像礼拝とか崇拝を根絶するに優るものはない。それゆえ殿はそのように努め、領内にはもはや一人の異教徒もいなくなるように全力を傾けるべきである。(中略)殿は さっそく家臣を挙げての改宗運動を開始すべきである。」と迫り、大村『郷村記』に記録されている資料によれば、社寺の殆どが天正2年に「耶蘇ノ蜂起ニヨテ焼ル」という記録されていて、大村周辺12カ村に限っても仏 教寺院34カ寺、神社18が焼かれ、天正二年には仏教を一掃し、全領民にキリスト教への入信を強制し、従わない者は領外に追放を断行した。ルイス・フロイスはこの時の人数を40,000人と記録されているということを聞いています。

 そういう歴史の上で、江戸時代の禁教がはじまり、殉教者が次々に出て来たという背景を考えると、仏教徒としては複雑な思いがします。


 溝部師は自分の体験で日本人で生まれ育った土壌、それはおおよそ仏教的な土壌の中にいて、外来の宗教であるキリスト教徒の信者であることの複雑さがあったということもはなされました。遠藤周作の小説にもみられるように、日本のキリスト教徒の多くはそのような問題を抱えているそうです。
そう言った意味では、仏教という宗教が日本人の根底にあることを意識せざるを得ないというようなことを話され、たいへん興味深いはなしでした。

また、真宗の『講』という組織に見習って日本のキリスト教は『組』という組織を形成し、それによって信徒の数が一気に増えたそうです。
長崎では長い間宣教師がいない時代が長く続いたにも拘らず隠れながらも信仰が守られて来たということでは日本では稀な土地で、その隠れキリシタンに見習って、日本のキリスト教団の組織は信徒中心になっているということも、真宗の影響があると感じました。

真宗 お寺の掲示板

西教寺  長崎県大村市荒瀬町1124番地

               住職:田中 顕昭



「それぞれの感じ方がおもしろい」

 「掲示板の言葉は自己表現の場だと思っていて、こころに引っかかった言葉を載せるようにしているかな。やはり和讃などの聖教の言葉はいいね。自分で思いついた言葉はあまり残らないね」と語るのは、長崎教区第三組西教寺住職の田中顕昭さん。
 お寺のすぐ側には、かつて「キリシタン大名」と呼ばれた大村藩の領主、大村純忠終焉の地があります。大村藩の真宗寺院の多くは切支丹(キリシタン)禁教令と宗旨改のために建てられたものがほとんどです。ここ西教寺もその一寺です。



 明治期に建てられた本堂が老朽化したため、2007年に新しい本堂が建立されるとともに住職に就任されました。まだ一年半の新人住職です。
 「大村という場所は住みやすく良いところ。しかし、そのぶん、のんびりした気質がある。でも良い風に言えば、おおらかというのかな」と語られていました。


『チャンスはピンチの顔をしてやってくる。 ビル・ポーター』



掲示板の言葉は、生まれながら脳性まひの障害をもって生まれたビル・ポーターという人が、障害を抱えながらもアメリカでトップセールスマンになるという話をテレビで見ていたときに、彼がいった言葉だそうです。「障害を抱えている人が語るからいいと思うのかもしれないけれど、人間は窮地にたたされた時、それをどう乗り越えたらいいかってそれぞれ考えるでしょ。だから、そこに答えを持ち込むのではなく、言葉が投げ出せたらいいんじゃないかと思って書いた」とのことです。
 掲示板自体の反応はどうか、住職にお聞きしたところ、以前、親子二人で来て、掲示板の前で熱心に言葉を書き留めていたことがあったそうです。そこで、その二人に何を熱心に書いているのかと尋ねると、「とてもいい言葉なので、書き留めて学校の先生に見せてあげようと思っています」と言われたそうです。
今までに掲示板で好評だったのは、「「忙しい」と言っているときは、なまけている証拠だ」という、安田理深先生の言葉だそうです。住職は、何度もどういう意味か尋ねられ、またある時には、この言葉が気になってわざわざ庫裏まできて尋ねた人もいたそうです。

 掲示板の言葉は、理解しようとすると言葉に突き放される。そんな言葉がかえっていいのかもしれない。今回の取材をとおして思いました。
(長崎教区通信員 亀井 攝)

真宗大谷派と平和憲法

日本国憲法「改正」反対決議

 今年、私たちはアジア・太平洋戦争敗戦60周年を迎えました。1931年の「満州事変」に始まり、1945年8月の広島・長崎への原爆投下に終 わった15年にも及ぶ戦争一色の年月の中で、日本国民約300万人、アジア諸国民約2000万人の命が奪われ、その悲惨な傷跡は未だ癒されることなく国内 外に深く残っております。
1946(昭和21)年に公布され翌年施行された「日本国憲法」で私たちは、「国民主権」「基本的人権の尊重」「戦争放棄」の三原則を国のあり方 の根本と定めました。この「日本国憲法」は、二千数百万人にも及んだ余りにも大きな犠牲へのおののきと、人類の滅亡すら危惧される核の時代がもたらす底知れない不安感を背景に、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」して生み出されたものでありました。
しかしながらその後、日本政府も私たちも、国の基本法である「日本国憲法」に謳われた精神を具現化することをおざなりにし、戦争犠牲者から託され た、恒久平和構築の悲願を忘れたかのように、経済的物質的豊かさのみを飽くことなく追求してまいりました。まさに「恥ずべし、傷むべし」と言わざるを得ま せん。
私たち大谷派宗門もまた、「遠く通ずるに、それ四海の内みな兄弟とするなり」と本願念仏のみ教えをいただかれた親鸞聖人を宗祖としながら、宗祖聖人の仰せにもなきことを聖人の仰せと偽り、釈尊の「兵戈無用/ひょうがむよう」の金言を忘れて、戦争遂行に協力をしてきました。
戦争の悲惨さを知る人が少なくなりつつある今、日本国民が、「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓」った「日本国憲法」を「改正」しようとする動きが急加速しております。ことに2001年9月に発生した同時多発テロ以降、アジア近隣諸国との関係悪化に便乗するか のように、「戦争放棄・戦力不保持・交戦権の否定」を謳った第9条の「改正」を中心とした憲法「改正」への動きが俄に現実味を帯びてきました。
「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と宗祖の仰せをいただき、1995年・戦後50年に当たって「不戦決議」を採択した私たちは、宗門の負の歴史 を心に刻み、「日本国憲法」を生み出した戦争犠牲者の声なき声に耳を澄ませて、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を「国際紛争を解 決する手段」として「永久にこれを放棄する」意志を再確認し、今般の「日本国憲法」「改正」の動きに対して、真宗門徒として強く反対の意を表明いたします。




九州教学研究所定例会 in長崎



佐世保別院にて二日間。九州教学研究所(略して九教研)の定例会がありました。

今日は長崎教区の行事は、福田の西光寺で仏華講習会が行われています。

九州教学研究所とは、各教区に分室というのがもうけられていて、

今回が初めての参加。

まず、これまで勉強をしてこなかったわたしがこんな場に入れることが不思議です。

日豊教区の分室員にかたが発表されました。

1日目

1、鈴木大拙の教行信証の英語訳の研究について。
2、教団の組織のことについて

2日目
 
往生ということについて


でした。
難しかったですが、とても面白かったです。


   

親鸞フォーラム


去年の12月頃だったと思いますが、今年の3月に予定されている東京有楽町の東京国際フォーラムで行われる『親鸞フォーラム』というシンポジウムのポスターを長崎の海をバックに撮影しました。
 (制作:デザイン・アルジュナ)

今月いっぱいまで、東京山手線の電車内の中刷り(横枠ポスター)広告と地下鉄有楽町線の電車中刷りにポスターが張ってあります。
東京にいる方はぜひご覧ください。

ちなみに遠くに写っているのが私(若院)です。
東京の広告なのに、なぜか写っているのは長崎の海・・・。なんだか変な気がしますね。 


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〜親鸞仏教が開く世界〜
講演 「人間親鸞のすがた」五木寛之(作家)
シンポジウム 「悩む力・生きる力」
パネリスト 姜 尚中(東京大学大学院教授)
田口ランディ(作家)
本多弘之(親鸞仏教センター所長)
コーディネーター 菅原伸郎(東京医療保健大学教授)
時間
会場 13時17時まで 開場12時30分
東京国際フォーラムB7(千代田区丸の内3-5-1)
JR・地下鉄「有楽町駅」徒歩1分
参加費
定員  無料 1200名

大谷派機関誌『真宗』<今月のお寺>レポート

長崎教区 真光寺



長崎県西海市大瀬戸町雪浦下郷一二一七番地

           住職 武宮 勲

日本の西の果て長崎。
東シナ海を眺めながら国道を走ると、ゆったりとした町並みのなかに大谷派のお寺が点在しています。
この辺りは長崎教区の第二組。遠藤周作の小説『沈黙』の舞台にもなりました。

 この地域は外海(そとめ)と呼ばれ、ほとんどの家が大谷派の門徒です。
江戸時代以前の大村藩。当時の領主、大村純忠はキリシタン大名とよばれ、キリスト教を信仰する大名でした。純忠は寺を焼き払い、コレジオ(教会)をつくるという政策を行い、長崎は東洋一のキリスト教伝導の一大拠点になりました。
その時代、長崎では仏教徒をキリスト教に改宗させ、ほとんどの寺と仏像が焼かれたという記述が残っています。
江戸時代に入り、大村藩は幕府の命令を受け日蓮宗に改宗。その後、キリシタン取り締まりのため長崎に日蓮宗と真宗の寺院が次々に建てられました。明治時代になってようやくキリシタン弾圧が終わった頃、次々に瓦屋根の教会郡が建てられました。この教会群は日本でも古く、全国的にも珍しい教会郡で、今では長崎観光の目玉にもなっています。

 そういった歴史のなかで、ここ外海では真宗の教えが護られてきました。とくに雪浦にある真光寺はそのなかでも独特で、真宗の教えが生活に深く根づいています。
 真光寺の境内には天保年期に第十代住職、勲能(くんのう)が開いた学寮がありました。勲能は碩学の僧として近隣に名高く、遠くは広島・四国からも遊学の僧や向学の士が訪れ、勲能の教えを請うたという記録が残されています。
そして、そこで学んだ学僧がお説教の実践のため、両度のご命日で本堂に集まった門徒に法話をしてきました。それが終戦後まで続いたということです。
そういった伝統と土徳もあってなのでしょうか「全国的に勢いがなくなっている傾向のなかで、この十五年ぐらい前から在家報恩講を行う地域数もお寺の参詣も増え続けています。以前はきまった同行が必ずお参りしていました。最近ではそれに加え、現役の総代・前総代・講頭・婦人会・推進員のほとんどがお参りするようになり、それぞれが周りの人たちを誘いあってお寺にくるんです」と武宮勲住職。
これまで在家報恩講をやっていなかったところも、「自分たちもやろう」ということで盛んになってきました。町には「おくんち」というお祭りもありますが、最近ではお祭りよりも報恩講の方が盛んになってきました。どの地区も参詣人が多く、会館や各家を道場とし、そこに入りきれないほどの人が集まるそうです。
「報恩講前日から地域の子どもから大人までが集まり、餅つきから・仏華・お斎まで一日かかって準備します。なんでも自分たちでやるんです。」とのこと。
どこの荘厳の立派さを競い合いながら盛り上がってるようです。
「門徒さんは、お寺のことによく協力してくれます。なによりも喜んでやってくださるんですよ。町の人もみんな門徒ですから、学校のクラブ活動も日曜学校が終わってからするようになっていますし、自治会も総代や講頭と相談してお寺の行事に参加するよう呼びかけてくれるんです。」
「報恩講では雅楽・仏華・お華束も、私が何も言わなくても門徒さんたちでやってくださりますし、声明方は女性や高校生もきています。」

「衰退するから諦めるのではなく、むしろ、任せるべきところは門徒さんにまかせて一緒にやればいいんです。きっと皆さん喜んでやってくれますよ」と、住職は語られました。

(長崎教区通信員 亀井 攝)


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