真宗大谷派 萬行寺
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お磨き
 暑さも次第に和らぎ、いよいよ彼岸の時期になりました。
萬行寺では法要の前に門徒さんに集まっていただいて仏具を磨いてもらっています。

 真宗の荘厳は、皆さんのご家庭のお内仏にしても同じことですが、浄土の世界を表しています。浄土という世界は「清浄(しょうじょう)な世界」といわれ、どのようなものも清浄にする力を持っていると言われています。
ですから、お内仏の仏具はいつも磨いてきれいにしておくことが大事です。ロウソクや線香を炊くと煤がついたり埃がたまったりします。お寺の仏具は年に四回ほど磨きますが、それでもけっこう汚れています。 

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白道会総会
「白道会(びゃくどうかい)」とは、萬行寺の壮年会の名称です。
今日は、総会と還暦者祝い会と、その懇親会がありました。
白道会は毎月、定例の集いを開いて聞法学習を続けています。一応、萬行寺壮年会となっていますが、年齢は問わないこととなっています。学習内容は「正信偈に学ぶ」と題し、親鸞聖人の著作である「教行信証」の信巻に修められている
正信偈に念仏の謂れを訪ねています。
毎月の例会は出席者は少ないようですが、それでも会員の皆さんの熱心な呼びかけによって少しずつですが参加者が増えているようです。

今回は還暦者のお祝い会を行いますが、その還暦者の呼びかけにも会員の方は尽力くださりましたが、現役で働いている方もいるようで、参加者は去年より少ないようでした。それでも、普段はあまりお寺に足を運ばないご門徒もきてくださり、酒を飲みながらいろんな話が出来たことは良かったように思います。


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長崎教区第一組 児童大会
暑い夏もいよいよ終盤!子どもたちも残り少ない夏休みを
福田の西光寺にて一組児童大会が行われました。福田は西彼杵半島の付け根に位置し、長崎市の中心部から見ると、ちょうど稲佐山の裏側になります。
西彼杵半島の半分は東シナ海に面していて、その地域を外海(そとめ)とよんでいます。萬行寺のある時津は大村湾内にありますので、内海(うちめ)と呼ばれています。外海はキリスト教の教会群があることで有名で、福田はその外海の南側の一番端に位置しています。

福田は外海に面しているため、寛政4年(1792)島原の眉山の爆発による大津波の被害を受けたことがあるそうです。

かつて津波が襲ってきたことが印された跡や津波の被害を最小限に抑えるために造られた昔の堤防や、津波にまつわる言い伝えや伝説などがいくつか残っています。この度の東日本の災害を受け、福田にある津波の史跡や伝承を見聞しました。

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萬行寺日曜学校 光源寺へ行く
ようやく雨続きのお盆も終わり、長崎市内も帰省の車が目立ち出してきました。お盆休みも終わって現実の生活に帰る頃になるのでしょうか。

 今日は萬行寺日曜学校の特別企画。伊良林にある光源寺さんに「産女(うぶめ)の幽霊」を見学に行きました。
初めて聞いたことですが、産女の幽霊は、「飴屋の幽霊」ともいわれ、古くはガンダーラの石像の中に「死女が子を産む説話」のレリーフがあるのだそうです。



さらに詳しく聞いてみると、この像は、の木彫り像で、現在は頭部と胸部しかありません。かつては胴体もあったのだそうですが、原爆で壊れたということです。
幽霊の像が納められている桐箱には墨書で「延享五歳…」とあって、延享5年(1748)に作られたもので、およそ260年ほど前のもののようで、どうやら作者は不明なのだそうです。
由緒書によれば、二十四輩(親鸞聖人の関東時代の高弟24人と、その24人を開基とする寺院)の一、十八番目の弟子である入信房が開基とされる常陸国(茨城県)無量寿寺にあった幽霊と書かれいるそうで、同寺の伝説を元につくられた幽霊像と見られているのだそうです。
そんな由緒正しいものだとは全く知りませんでした。
無量寿寺

幽霊像を持って、各地を布教していた人が、最後に譲り渡したのが長崎の光源寺らしのです。最近は、「古い家を解体したら幽霊の掛軸がでてきた!」といって、光源寺に持ち込まれることもあるそうで周りにもいくつか幽霊の掛け軸が飾ってありました。


墓の中で生まれてしまった子供のために、三途の川を渡るための六文銭を使って飴を買い求めるようなやさしい母親とはとても思えない恐い顔ですが、実はこの像には由来書があり、飴買い幽霊のお話は後日付け足されたものだと言うことがわかっているそうです。



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真宗のことば
念仏はかいなきひとのためなり
            「歎異抄」

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神明
一切の神明と申すは、本地は仏・菩薩の変化にてましませども、この界の衆生をみるに、仏・菩薩にはすこしちかづきにくくおもふあひだ、神明の方便に、仮に神とあらはれて、衆生に縁をむすびて、そのちからをもつてたよりとして、つひに仏法にすすめいれんがためなり。これすなはち「和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は利物のをはり」(止観
しかん
)といへるはこのこころなり。

されば今の世の衆生、仏法を信じ念仏をも申さん人をば、神明はあながちにわが本意とおぼしめすべし。このゆゑに、弥陀一仏の悲願に帰すれば、とりわけ神明をあがめず信ぜねども、そのうちにおなじく信ずるこころはこもれるゆゑなり。

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28日は
毎月28日は親鸞聖人の御命日です。

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真宗のことば
生きる喜び、生き甲斐は、私のこころの沙汰ではなく、存在そのものが持っていたことなのです。

             池田勇諦『同朋』

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子ども会巡回/柳渓寺
待望の夏休みが始まり、

今日は野母崎方面のお寺で子ども会巡回が行われました。
お寺の名前は柳渓寺(りゅうけいじ)といいます。


今回のゲーム担当は西光寺のご住職。
昔からこのような子どもが集まる時には得意なゲームを一つ披露することがありました。
既成のゲームをアレンジして飽きないようにしていました。さすがベテランは違います。子どもたちの楽しそうな様子が伝わってきます。



次は、新聞紙の文字探しです。



あまり時間はありませんでしたが、海にも遊びにいきました。少し曇り気味で残念でしたが、それでも子どもたちは遊びの天才。すぐに遊び出していました。帰りは車の中で疲れてぐっすり眠っていました。



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作上がり法要
作上がり法要は二日間です。

今年の作上がりは、参詣者が少なかったように感じました。

もう終わりましたが、大体このころになると、時津の港から太鼓や鐘の音が聞こえてきます。ペーロンの囃子です。
ペーロンとは、約14mの船に約30人が乗り込み、太鼓と鐘の調子に合わせて競漕する、いわゆるボートレースです。
最近は太鼓は載せないそうですが、鐘の賑やかな音は陸まできこえてきます。
調べてみると、歴史は古く1655年(明暦元年)唐船で長崎に来航した中国人の手で始められたとありました。
ペーロンは元来、端午の節句に行なわれるのがしきたりだったといわれています。しかし、今は夏の風物詩のひとつとして各地で広く行なわれるようになりました。また最近では中国と国際試合を行なうまでになっています。



昔は銅鑼や太鼓・笛などの鳴り物を乗せてのろしを上げ、現在のような速さを競い合うものではなく、船で湾内を漕いで作物の実りや海の大漁を神に感謝し、奉納祭りだったともいわれていますが、確かな事はわからないそうです。

いずれにしてもこの時期は、作物がひとしきりあがる「作上がり」の時期にあたるために何らかの形で神仏に祈りを捧げていたということはあったのではないかと想像できます。



昨今では、農業従事者や漁業の仕事に従事する人も減ってきていることから、このようなことは時代とともに様変わりしてきたのだろうと思います。いずれにしても、時代の淘汰とはそのようなものなのかもしれません。

いや、お寺もその例外ではないのです。

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