餅つき  御華束(おけそく)

今年も御華束が組まれました。久しぶりでしたがなかなか良い出来栄えです。

報恩講 準備会(新年互礼会)

毎年1月15日は、午後から新年互礼会が開かれます。
互礼会とは、講頭(※1)が一堂に集まり、22日から一週間に渡って厳修される報恩講のにおける諸役や当番などの確認事項を行う新年の総会です。

 新型コロナウイルスの感染症拡大の騒ぎもようやく落ち着きを取り戻してきました。感染拡大の間、様々な対応を余儀なくされ思うような報恩講が勤められませんでした。しかし、その反面考え直すべき事柄についてワンポーズとれたのは大きな収穫だったように思います。考えてみれば、コロナウイルスの感染拡大によって、私たちの有り様を顧みて見直すタイミングとしては最適だったなと振り返って思います。

 この機会に本来「すべきこと」と「すべきではないこと」を見定めた再出発をしたい。とは思っていましたが、そこは伝統社会(お寺)の難しいところ。

 もしこれが一般企業であれば「こうやればいいんじゃない?」とスムーズに事が運ぶと思いますが、それが簡単にいかないのが伝統というものです。しかし逆からみれば、だからこそ良いとも言えることが多いのも事実です。その点は忘れてはならない事だと思います。

 ということで、前振りが長くなりました。

 今回の御例会において、それほど多くはありませんし大きな見直しではありませんが、現状(少子高齢化など)から出来ることを

の幾つか改良しました。

 

1、年間の「おみがき」(仏具みがき奉仕)の回数の改訂

2、法要日程と内容の見直し

3、報恩講でお手伝いいただく方のお斎の見直し

 

 報恩講は親鸞聖人の祥月命日を機縁として念仏の教えに出遇う御仏事ですが、私たちにとって親鸞聖人という存在はどのようなものであるのか、または親鸞聖人の生涯が、現代を生きる我々にとってどのような意味を持つか。その問いを訪ねる真宗門徒にとって最も重要な御仏事です。これから、門徒と一緒に報恩講をお勤めいたしますが、この仏事が「一人(いちにん)の報恩講である」とともに、報恩ということを深くいただくご縁となればいいのではないかと思います。

 

※1 講(こう)・・・・・相続講と呼ばれるお寺の組織。

             宗門とお寺を支える聞法を中心とした寄合。全国の大谷派寺院で明治の頃始まった仕組み。

 

※2    講頭(こうがしら)・・・講を取り仕切るリーダーで、お寺と地域御門徒の連携をはかるパイプ役。

 

 

報恩講厳修!!

1月22日から28日までの一週間、「報恩講」がつとまります。

どなたもお参りください。

 

昔は何もなかったが、何かがあった。
今は何でもあるが、何かが足りない。

 報恩講の時節になりました。本年も皆さまと聞法に励みたいと思います。昔から真宗門徒は「親の法事より報恩講、親の法事も報恩講」・「報恩講に参るのが真宗門徒」と言われるほど、報恩講を大切にする気風がありました。
原爆以前の長崎では、報恩講の時期になると商店も軒並み休業するほどお寺は賑わった、と言われています。その後の復興により、生活が安定するとその光景は一変したと聞いています。しかし、どんなに便利になり生活が豊かになろうとも、それらが人生の空虚さの解決にはなりません。親鸞聖人の教えは、そのような私たちに「だからこそ、道を訪ねていこう」と背中を押してくださるのでしょう。どうか次世代の念仏者も誘って、お寺の法要にお参詣くだいますよう、ご案内申し上げます。

 

真光寺婦人会が来寺されました

外海にあります雪浦の真光寺さまの婦人会が萬行寺を訪問されました。

今回、研修をはじめて行ったとのことですが、

午後は前進座の『花こぶし』を観劇されました。

秋の法要 永代経

 

 ずいぶんと寒くなってまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。さて、この度の法要は浄土真宗の拠り所となっている経典『浄土三部経』が読誦されます。

 永代経法要は、数多ある釈尊の説法の中でも「浄土」について説かれた経典を拠り所とし、導かれて生きられた先達を訪ねつつ、私たちより続く未来の仏法者への道をつくる法要でもあります。

 この度、厳修される永代経とは、まさに「お釈迦さまの報恩講」ともいえる真宗肝要の法要の一つです。どうぞ、そのお経に「念仏して生きる」人生の深い意義を共に訪ねてまいりましょう。有縁の方々を誘いあって参詣下さいますよう、ご案内いたします。


 

秋のつどい お彼岸のごあんない

9月になりました。お盆が過ぎると次はお彼岸。月日が過ぎるのは早いもの。

「ぼーとして生きてるんじゃないよ」とチコちゃんに怒られそうです。

5歳のチコちゃん曰く、

「大人になると時間の流れが早く感じるのはなぜだろう?」

その答えは

「キラキラしていない。生活の中に感動がない」からなのだそうです。

・・・・・・確かに・・・・・

毎日同じ事の繰り返しで、日常に感動がない。子どもを見ているとまさにそのことがわかります。

 

ということで、

暑さ寒さも彼岸まで。あっという間にお彼岸のご案内です。

人の世の悲しみ深く知る頃は
いよくみのり法の尊かりけり   金子 大栄『くずかご』より


 ある方が私にこう仰いました。
 「これまで家族の為に他人を蹴落としてでも、なり振り構わず働いてきました。しかし定年を迎えた今、これまでの自分を振り返ってみると、私の人生これでよかったのかと思います。そう考えると、「寺に参れ、聞法せよ」と言っていた親の気持ちが今になって分かるような気がします。」
 まさに『時機純熟』、仏法のご縁が熟したのでしょう。人の世の悲しみを知った今こそ、尊き教えに出遇う無二のご縁ではないでしょうか。
 実りおおき聞法の季節です。みなさま有縁の方を誘って、どうぞお参詣ください。
 法要の参詣は宗旨・ご先祖の有無に関係なく、どなたが何回お参りされてもけっこうです。特に次世代の方々にお勧めください。


 

 

児童大会 in東本願寺長崎教会

 長崎組の児童大会が長崎教会で行われました。

 スタッフあわせて総勢80名ほどの人が集まりました。賑々しく行われました。

萬行寺からは4名の子が参加。お勤めの導師を務めました。できればもう少し日曜学校の子たちを誘って参加したかったと後で思いました。参加した子は大変楽しかったと言って帰ってきました。

 

 これだけ大人数の児童大会は久しぶりです。長崎教区は現在3つの地区に分かれています。その3つの地区が夏になるとそれぞれの場所で児童大会を盛大に開きます。これが一つの伝統になっています。市内を中心としてた我々第1ブロックも夏になると子どもたちが集まって賑々しく勤めてきました。昨今はコロナウイルスの感染拡大によって自粛をしていましたが、ようやく開催することができました。

 

 

 

 ここ長崎教会(長崎教務支所)は旧長崎教区の教務所として長年にわたって教区の活動拠点として長い間、中心を担ってきました。しかし2020年7月1日から教区が改変されたことにより、長崎は九州教区長崎組と変わりました。その後当面の間は長崎教務所は『長崎教務支所』と改称して残されることになりました。

 

  敷地内には「非核非戦の碑」があります。その中には1945年8月9日11時2分、長崎上空に飛来したB29「ボックスカー」より投下された一発の原子爆弾によって亡くなられた国籍も、出身地も、名前も、年齢も、性別も、まったく分からない1万体、または2万体といわる数のお骨が収められています。

 長崎の原子爆弾による死者は、約15万人とも言われ、その人数と惨状からいかに原爆の被害が甚大であったかが分かります。

 累々と横たわる亡骸の多くは荼毘に付されたそうですが、長らく野ざらしになったものもあったり、あるいは荼毘には付されましたが、お骨の状態で放置されていたものも多くあったのだそうです。そして、原爆投下の翌年から長崎の御門徒がたがお骨を収集され、長崎教会に集められました。その後もその噂を聞きつけた人などからお骨が届けられここに納められたのだそうです。

 

 今回の児童大会は、長崎教区が大切にしてきた非核非戦ということを子どもたちに少しでも知ってもらえたらと思って企画しました。碑の中に収まった遺骨や遺品などを実際に見てもらい、原爆によって亡くなった人が本当にいたんだと実感してもらえるようなことがあれば良いと思いました。

 

 

 

 お昼は流しそうめん。前日から準備したかいがあり、計算通りうまく行ったそうです。会全体としてはうまく行ったようですが、まだまだ問題があったように感じます。9月に入ってから反省会がありますので、その時までに反省点をまとめていこうかと思っています。

スタッフの皆様、大変お疲れ様でした。

日曜学校 in雪浦

 夏休みは雪浦にある真光寺を尋ねました。以前は真光寺・萬行寺合同で毎年萬行寺にて、お泊まり会を行なっていました。今回は萬行寺の日曜学校の子どもたちが雪浦を初めて尋ねました。久しぶりに会った雪浦のお友だちとすぐに仲良くなりました。

まずは勤行。その後ご住職の仏さまのお話がありました。

 

 

 その後は近くにある「つがねおとしの滝」に行って水遊びを楽しみました。気候もよく、子どもたちが遊べるほどの滝でとても気持ちが良かったと大好評でした。

滝で水遊びをした後はお寺にかえって、お昼の美味しいカレーをいただきました。たくさん遊んだ後のカレーはとても「美味しかった」とまた大好評。午後はちょっとだけ友だちと仲良くなるためにゲームをしました。これも萬行寺と真光寺の子どもたちが混ざり合って楽しんでいました。普段学校では友だちと遊ぶのが苦手な子もいました。ここの日曜学校に来流ようになって、自分の居場所が見つかったのでしょうか、この日も積極的に質問などをして楽しんでいる様子を見てホッとすることもありました。

 

 以前の予定では来年の夏は萬行寺で行う予定です。しかし雪浦が好評だったので来年はひょっとしたら雪浦にまたお邪魔するかもしれません。日曜学校は毎年子どもの入れ替わりがありますので、同じ子が来るとも限りませんが、また行きたいと楽しみにしてくれるのはありがたいですね。中学生になってもきてください。雪浦の子たちも以前の萬行寺のお泊まり会に来てくれていた子もいました。以前のお泊まり会を覚えていてくれて嬉しかったです。子どもたちの「また行きたい」という声はなんと言っても続ける原動力になります。

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 お寺の子ども会は継続し続けることがその活動の命です。その原動力となるのは、子どもたちの手をあわせる姿でしょう。その中で子どもたちを楽しませることは忘れてはなりませんが、それだけになってしまったら、お寺の子ども会にはならないでしょう。そこに仏の教に基づいた人間教育が大変なことだと感じます。しかし、これが一番難しいと感じます。

夏のつどいのおしらせ

2023作あがり 7月の12日と13日に毎年恒例の『作上がり法要』をお勤めします。

<ご案内>

  蝉声天に満てる候、いかがお過ごしでしょうか。 かつて人々は野山の草木や路傍の虫にも手を合わせて生きていました。それはすべてのいのちと共にあるという豊かな生き方であるように思います。ですから当然の如く農繁期が終わると、生きるために仕方なく殺してきた虫たちのいのちを拝むため、お寺で「法要」を勤めてきたのです。
一方、私たちの生活は文明の発達によって格段に便利になりました。しかし、かつてのような時代とは決定的に何かが違うと感じます。
夏の一時、有縁の方々を誘ってお寺の法要に参詣下さいますようご案申し上げます。
 

 

おとなの寺子屋講座

「おとなの寺子屋講座」始まっております。昨年の9月より『歎異抄』をお話ししております。

この歎異抄は、仏教書の中でも多く読まれている本だと聞いています。今日では様々な視点から多くの本が出版されているいわば名著です。

 宗教の問題を考えるという意味において、歎異抄は現代社会を生きる私たちに大切な視座を与えてくれることでしょう。そこに流れている宗教的普遍性は時代を超えもなお私たちに充分にうったかけるものがあります。

「他力の信心」・「有縁の知識」etc・・・・聞きなれない言葉は多くありますが、親鸞聖人の珠玉の言葉に触れるたびに新しい発見があります。

 

先月(5月の6回目)は第5章を取り上げました。この章は、前の第4章から続いて問題が続いて展開している点もあり、続けましたが次回の第7回目は第9章を中心に学んでいきたいと考えております。